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働き方コンサルタント 椎葉怜子のブログ

株式会社ルシーダ代表。理性と感性のキャリアカウンセラー。
テレワーク、女性の働き方、起業が専門。

「産む」をめぐる悩みに寄り添います

2017年06月15日 | 不妊治療
去年の年末に、知人夫婦に二人目の赤ちゃんが生まれました。
同じ年の1月に二人目不妊で悩んでいると聞き、わたしがお世話になった
クリニックをご紹介したところ、治療が上手く進み、
とんとん拍子で妊娠されたそうです。


今年の9月には、昨年妊活の相談にのらせていただいていた方が
ご出産予定ということで、かなりわくわくしています。


先日は、有名な不妊治療のクリニックからの転院を検討されていた方に
わたしがお世話になっていたクリニックをご紹介したところ、「行ってよかった!」
とのご連絡をいただきました。


いやはや、本当に、本当によかったです。


「産む」をめぐる悩みは人に相談しづらく、水面下で女性ひとりで抱え込む
ことの多いテーマです。
わたしでよろしければ、ぜひご相談くださいね。

霧につつまれた里親・養子縁組

2014年06月27日 | 不妊治療
不妊治療を経験された方のなかには「里親・縁組」という選択肢を考えた、
または頭によぎった方が少なくないかと思います。

でも、里親・養子縁組を検討する上での有益な情報はあまり出回っておらず、
どういう仕組みになっているのか霧につつまれたような状況です。

人権NGO団体ヒューマン・ライツ・ウォッチさんが先月発表した
「夢がもてない―日本における社会的養護下の子どもたち―」
全89ページ)
という報告書を読んで、その理由が少し分かったような気がしました。

報告書によると、、、

・日本では社会的擁護が必要な子どもの9割近くが施設で生活している
 (2013年現在、3万4千人の子どもが施設で暮らしている)
・世界的に見ると施設で暮らす子どもの割合は異常に高い(本来は里親・養子による家庭での養育が望ましい)
・里親・養子縁組を希望する夫婦(受け入れ)が多いにも関わらず、成立するケースは少ない
・児童相談所は、児童虐待問題への対応に追われ、手間のかかる里親・養子の仲介には及び腰

里親・養子縁組が進まないのは、日本特有の制度上の問題が大きいこと詳しくが記されていました。

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なぜ、このテーマを取り上げたかというと、NPO法人Fineさんのサイトやブログを見ていて、
「もっと早く養子縁組をしたらよかった」という声を目にしたからです。

里親や養子縁組を仲介する団体のサイトを見ていると、40代以上の夫婦は対象外となって
いたりします。

ということは、30代のうちに決断し、行動を起こす必要があるわけです。

ですが、いまや不妊治療の技術が高度化し、妊娠できる年齢がどんどん高くなっていて、
30代のうちに「不妊治療のやめ時」を決めるのは、簡単なことではありません。

さらに、里親、養子縁組という選択肢を選ぶことには、並々ならぬ覚悟が必要で、
自分自身や自分の家族と改めて向き合う時間も必要です。

とても重たいテーマで、自分の頭の整理もあまりできていませんが、
里親・養子縁組を前向きに考えたいのに、その年齢を過ぎてしまっていた! 
という人が少なくなればいいな、と思いメモしてみました。

<参考ページ>

★年齢は絶対に39歳以下でないと駄目ですか?
(NPO法人環の会さん)


★里親・養子という選択肢
(NPO法人Fineさん)


<用語>

里親・・・一時的に家庭内で預かって養育。親権は生みの親に残る

養子縁組・・・①「普通養子縁組」自分の子どもとして家庭内で育てるが、戸籍上は「養子」「養女」と記載される(年齢制限なし)

     ・・・②「特別養子縁組」自分の子どもとして家庭内で育て、戸籍上も「長男」「長女」と記載される(6歳未満)

不妊のことで悩んだら、NPO法人Fineさんへ

2014年06月26日 | 不妊治療
先日、NPO法人Fineさんにご案内いただき、不妊を経験したママ向けの会
(Fineマナティー・クラブ)に参加しました。

プライベートなことなので詳細は控えますが、無事に子どもを
授かることができた今も、あれやこれやと悩みが尽きません。
妊娠を機に考えることから逃げていた悩みに再び向き合う必要がでてきたり、
新たに想像もしていなかった悩みがでてきたり...。

人に軽々しく話せない内容なので、ひとりで溜め込んでイライラしていました。

マナティー・クラブでは、守秘義務が守られるのはもちろんのこと、
似たような経験をされた方々が集まっているので、いちいち驚かれたり、
否定されることがないので、たいへんな安心感がありました。

心理カウンセラーの先生も同席されており、専門家の立場から客観的な
アドバイスを下さったおかげで、今まで見過ごしていたことに気付いたり、
頭の整理ができました。

会の後は、参加者の方々とランチへ。
初めてお会いする方々なのに、やっと適切な話し相手を見つけられた!
という感じで話が弾みました(^^)

不妊にまつわる悩みは、人に言えず一人で抱え込んだり、自分を責める人が多いものです。
NPO法人Fineさんは、不妊で悩む人の心に寄り添う様々な取り組みをされています。
Fineさんの会員は全国にいて、北は北海道、南は沖縄まで、各地でお話会などが開催されています。

電話相談もされていますので、悩みを抱えていらっしゃる方は利用されてみてはいかがでしょうか?
Fine公認ピア・カウンセラーによる電話相談

陽性判定~不妊クリニック卒業(妊娠4週~9週)

2013年02月16日 | 不妊治療
備忘録として妊娠後の状況も簡単にまとめておきたいと思います。

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体外受精の場合、妊娠判定後も週に一回不妊治療専門のクリニックに通い、妊娠の経過を確認します。
クリニックを卒業できるのは、妊娠9週で問題ないことが確認できてから。

※わたしが通っていた不妊治療専門のクリニックでは、陽性判定後に妊娠が継続し、クリニックへの通院が終了することを「クリニックから卒業する」と言っていました。

※産婦人科デビューは基本的に妊娠10週目以降。

※クリニックによっては、妊娠8週で卒業というところも。

一回目の移植が初期流産に終わってから、妊娠のごく最初の段階(8週ぐらいまで)は染色体異常による流産が珍しくないことを知りました。そのため、毎週の診察の度に心配で眠れず胃がきりきりしました。

陽性判定からクリニック卒業まで以下のようなチェックが行われました。

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<妊娠2ヶ月>
ちょっと分かりにくいのですが、生理周期が28日の場合、妊娠1ヶ月目は生理開始日(0週0日)から次の生理予定日前日(3週6日)とされています。

つまり、妊娠していなくても、次の生理が来るまでは妊娠1ヶ月と見なされるのです。

そのため、陽性判定が出る時期はいきなり妊娠2ヶ月とカウントされます。

陽性判定後は、週に1回、以下の検査が行われました。

4週・・・陽性判定

5週・・・胎嚢確認

6週・・・心拍・成長確認

7週・・・心拍・成長確認

<妊娠3ヶ月>

8週・・・心拍・成長確認

9週・・・心拍・成長確認
     不妊クリニック卒業

※クリニックから処方された妊娠を維持させるための薬は、9週いっぱい服用しました。

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妊娠4週~6週は、大学での講義やイベントでのファシリテーションの仕事などがあり、こなせるか不安でしたが、つわりもなく快適に過ごすことができました。

ところが妊娠7週で滴り落ちるほどの出血があり、「短かった妊娠生活が終わってしまった・・・」と絶望しました。

翌朝クリニックで診てもらったところ、赤ちゃんは生きていましたが切迫流産(実際の流産ではありません)ということで、自宅安静が始まりました。

この頃を境に体がだるくなって一日中横になっていたい気分でした。
吐き気はないのですが、食べ物を見るのが気持ち悪くなったり、食べたくないのに食べたくて仕方なくなったりして、とにかく不快なのです。
この状態は、結局妊娠5ヶ月に入るまで続きました。

妊娠7週~9週は、ちょうど忘年会のシーズンでしたが、自宅安静中だったので、全てのイベントを欠席してしまい、とても心苦しかったです。

クリニックを卒業したのは、12月25日のクリスマス。
この日はエコーで胎児が全身で動いているのを確認できて感動しました。
一年前のクリスマスはストレス性急性胃炎になって、日赤広尾の救急でもだえ苦しんでいたので、喜びもひとしおでした。

年末年始は帰省せず、自宅で過ごすことになりました。
切迫流産で安静にしなくてはならないのに人混みの中を片道6時間以上かけて帰省するのはよろしくないですし、何かあった場合に年末年始だと診てもらえない可能性があったからです。

不妊治療でお世話になったTクリニックからは、妊娠8週の診察が終わった段階で、「年末年始に何かあったらマズいから、年内に分娩予定の産院で診察してもらってね」と言われていましたが、産院に電話したところ「年内は予約で一杯なので1月以降に予約して下さい」と言われてしまいました・・・。

年末年始は頼れる先がなくなってしまったので、気持ち悪さを抱えたまま大人しく時間が過ぎるのを待ちました。

こうして年末で妊娠9週が終わり、年が明けた妊娠10週目でようやく念願の産婦人科デビューを果たすことができました。

※(2014.03.09追記)
おどろいたことに、わたしのブログの中で一番アクセスが多いのがこの記事です。
陽性判定後のプロセスについて、詳しく説明してくれるクリニックは少ないのでしょうね。わたしもネットで検索しまくって調べていました。

妊娠初期は、妊娠を継続できるかどうか不安でいっぱいだと思いますが、これをご覧になられている方が、無事に産婦人科デビューされることをクリニック通いを経験した同志として心より願っています!

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<不妊治療関係の記事>
・わたしの不妊治療(前編/23歳~34歳)
・わたしの不妊治療(後編/34歳~35歳)

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<産前産後の便利情報>
・35歳からのマタニティ服
・東京で産後ケアを受けるなら
・産後に便利な食材宅配サービス(生協編)


★キャリアカウンセラーとして「ママのための働き方相談室」を開設中です♪
電話相談ですので、ご自宅でお話いただけます。ぜひお気軽にご利用下さい(^^)


わたしの不妊治療(後編/34歳~35歳)

2013年02月16日 | 不妊治療

34歳になったとはいえ、高度不妊治療(体外受精)に踏み切るのは、とても
勇気のいることでした。心身への負担、治療に失敗した場合子どもを諦める決断をしなくてはならない恐怖、治療と仕事との両立のストレス、高額な医療費など躊躇する理由に事欠きませんでした。

それでも、この問題にケリをつけたいという覚悟の方が勝り、本格的な治療への取り組みを決めました。

わたしが選んだのは、表参道にあるクリニックです。
ここは「不妊治療の最後の砦」とも言われており、他の病院で体外受精に失敗した方々も流れ着いているようでした。つまり、このクリニックで上手くいかなければ後がないということになります。(実際はさらに転院される方もいらっしゃいますが)

またこのクリニックは、ホルモン注射を沢山打つ高刺激系のクリニックとしても
有名でした。

このクリニックに初めて行った時、ドクターから「1年で結果を出しましょう!」と言われました。これは「1年経っても結果が出なければうちのクリニックでは
難しい」という意味にも取れましたが、自信に満ちたドクターの発言に少し未来が開けたような気がしました。

体外受精では、ホルモン注射で卵巣を刺激し、卵巣から一度に複数の卵子を取り出します。
それを精子と受精させ、受精卵を子宮に戻します。

このクリニックでは、受精卵をすぐに子宮には戻さず、約5日間分割させて
胚盤胞(はいばんほう)と呼ばれる状態で凍結させます。
※胚盤胞になるまで分割した状態で凍結するのは、受精直後の
受精卵よりも着床率が高いためです。

そして、子宮の状態がよい時期が来るのを待って、凍結した胚盤胞を子宮に戻して着床につなげるのです。
※採卵後は卵巣が腫れ、ホルモンバランスが乱れることから子宮環境が万全でないと言われています。そこで、採卵直後は移植せず、最低一周期は子宮を休ませてから移植フェーズに入ります。

以下、このクリニックの場合の採卵、移植プロセスを簡略化させて書きました。

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<採卵周期> 卵巣から良質な卵子を複数取り出すフェーズ

ホルモン調整(採卵の1ヶ月以上前からピルを服用して子宮の状態を整える)


採卵(約2週間前からホルモン注射を1日1~2本注射。
   採卵手術では麻酔をして卵巣から複数の卵子を取り出す)

受精卵(摘出した卵子とあらかじめ準備しておいた精子を受精させる)


胚盤胞(受精卵を5日分割させる)


凍結

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<移植周期> 凍結させた受精卵(胚盤胞)を子宮に戻すフェーズ

ホルモン調整(移植の1ヶ月以上前から子宮の状態を整えるための薬を服用する)


胚移植(凍結しておいた胚盤胞を子宮に戻す)


妊娠判定(胚移植の10日目に結果が分かる)

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採卵周期では、ホルモン注射の刺激で卵巣が腫れ上がり、あと一歩で腹水が溜まって入院というところまで行きました。
採卵手術後は、お腹や背中まで痛くなったり、抗生物質の影響で膣炎になるなど心身へのダメージが大きかったです。

治療の結果ですが、
1回目の移植で、陽性判定が出ました。
あまりの嬉しさに、実家の母や会社のメンバーにも報告したのですが、翌週クリニックで検査をしたところ、卵の成長が止まっていることが分かりました。初期流産(化学流産)というやつです。

わたしでもかすかに妊娠できるということが分かったことは嬉しかったですが、
やはりとても落ち込みましたし、何よりも家族が傷ついているのを見て泣きたくなりました。

2回目の移植は、あまり期待はしていなかったのですが、やはりダメでした。

この治療期間は、会社に迷惑をかけてはいけないと思って、いつも以上にアポを詰め込んで働いていました。忙しい方が落ち込まなくて済むとも考えていましたが、つらい気持ちを封印していたせいで、この後心身のバランスを崩すことになります。

2回目の移植が陰性に終わった後、仕事がさらに忙しくなりました。
治療を再開したいのにストレスで体調を崩してしまい、内科や心療内科のお世話になることに。

そして、妊娠しないまま35歳になりました。

治療を再開したのは、仕事を大幅にセーブしてからでした。
仕事量を減らしたことで、生活のリズムが整い、気分も随分と軽くなりました。

すると、採卵の結果が前回(34歳の時)に比べて格段に良くなり、
3回目の移植でようやくきちんと(?)妊娠することができました。

紆余曲折がありながら、妊娠できたことはわたしにとっては奇跡のような出来事です。

ですが、安定期に入ってから流産された方々の経験を何度か伺っているため、
「幸せいっぱい」という気持ちにはなれず、このまま無事に出産できるかどうか正直とても不安です。

いまは何があっても受け止める気持ちで、できるだけ大らかに過ごしたいと考えています。

今後は、妊娠のことも織り交ぜながらブログを更新していきたいと思います。

ひきつづきどうぞよろしくお願い致します。

わたしの不妊治療( 前編/23歳~34歳)

2013年02月16日 | 不妊治療
公表するべきかどうか迷っていましたが、現在妊娠5ヶ月になりました。

結婚12年目にして、ようやくこのような日を迎えることができました。

これも節目ということで、妊娠に至る前の経緯をざっと書いてみようと思います。
最初は妊娠報告のはずだったのですが、すっかり不妊治療レポートになってしまいました・・・。2回に分けてお送りします(苦笑)

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わたしは子育て願望がとても強くて結婚したらすぐにでも子どもが欲しいと考えていました。就職活動では、赤ちゃん用の商品を扱う会社を中心に回っていたほどでした。

23歳で結婚しましたが、いつまでたっても妊娠の気配がこれっぽっちもないわけです。それでも30歳に近づくと子どもを愛したい、育てたいという母性が押さえきれないほど高まってきました。

かといって一向に妊娠しないので、有り余る母性をガーデニングやビオトープ(メダカやエビを育てていました)に向けて気を紛らわせていました。

30歳になった時、不妊治療を専門とするクリニックにはじめて行きました。
ごく基本的な血液検査から始まり、初歩的な治療を数ヶ月受けましたが、卵管造影という検査が激しく痛かったことや、治療の成果が思わしくないことにショックを受けて、不妊治療をしばらく封印し、自然妊娠を目指すことに決めたのです。

この時期は、ルシーダの起業時と重なっていたこともあり、経営を軌道に乗せなければならないという責任感と妊娠するために仕事をセーブしたいという本心との狭間でとても苦しかった記憶があります。(この葛藤は、35歳で仕事をセーブする決断をするまで続きました)

30歳で不妊治療に足を踏み入れていたので、女性は35歳以降卵子の老化により、
妊娠しづらくなることは知識として知っていました。
また、高度不妊治療である体外受精については、卵巣から卵子を取り出すなど特に女性の心身への負担が大きいことから、できれば避けたいと考えていました。

それでも34歳になった時点で妊娠していなかったら、体外受精に踏み切るしかないと思っていました。
30歳から34歳の間には、ありとあらゆる体質改善に取り組みました。
その結果、血液検査の結果もとてもよくなりましたが、結局一度も妊娠することなく34歳の誕生日を迎えてしまいました。

つづく
わたしの不妊治療(後編/34歳~35歳)