報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

コンゴ内戦(6)

2005年01月20日 01時22分52秒 | ●コンゴ内戦
──拡大する反乱軍のテリトリー──
 キサンガニに着いて7日目、ようやくゴマから航空機が来た。
 空港には、ちょうどプロペラ機が到着したところだった。今回の航空機は、ロシア製の中型輸送機アントノフ8型機だった。やはりパイロットは白人でロシア語を話していた。彼らがロシア人であるという確信はない。彼らが話す言葉がロシア語だという確信もない。ウズベク語かもしれないし、グルジア語かもしれない。
 アントノフ8型機や超大型のアントノフ-124がコンゴに持ち込まれた経緯や、パイロットの素性について知りたくはあったが、たとえ話しかけるチャンスがあったとしても、彼らは何も答えはしなかっただろう。操縦以外に何の興味もないといった感じだった。パイロットはかなり年配で少し太り気味だった。

 反乱軍は、コンゴ東部を自由に飛びまわり、兵員を必要な地域に速やかに移送していた。部隊を首都キンシャサ近郊まで運び、カビラ大統領を慌てさせたこともある。反乱軍の破竹の進撃も、航空機という輸送手段がなければ、あり得なかった。
 アントノフ8型機には、100人ほどの兵士が乗り込んだ。搭乗する前に指揮官は、兵士の銃の薬室が空か確認させた。弾倉をはずし、AK-47のボルトをガチャガチャ引く音が、ジャングルの中の静かな空港にこだました。一発の暴発で、墜落しないとも限らない。
 戦闘は、東南部へ移っていたが、この部隊はゴマの手前で降ろされた。あとは、僕とコンゴの民間人4人だけとなった。身なりの良いお金を持っていそうな感じだった。
 眼下には、地平線の彼方まで熱帯雨林が広がっていた。アマゾンに匹敵する広大なジャングルだ。資源としての価値も高い。

 夕方、ゴマに着いた。
 搭乗責任者の軍人が笑顔で迎えてくれた。
 ようやくキサンガニを脱出したのだが、翌日また飛ぶことになった。
 この日、反乱軍が新たに東南部のエリアを陥落したのだ。
 またキサンガニの、にのまえになるかもしれないが、行くことにした。 ゴマに着いてすぐ、担当指揮官のヴェッソンに連絡を入れておいた。

 翌朝、空港へ行くと、笑顔の搭乗責任者がすぐに来て、名簿に僕の名前を書き込んだ。「これで君はちゃんと乗れるよ」というようなことを彼は言った。前回、僕の搭乗をめぐって、彼と空港セキュリティがかなりもめた。セキュリティは権威を傘に着るタイプだった。今回も僕は搭乗許可書を持っていない。彼は、間違いなく僕が乗れるように、わざわざ来て名簿に書き込んでくれたのだ。
 十数人のジャーナリストがすでに待機していた。欧米に加え、アフリカ諸国のジャーナリストもいた。一人だけスイス人の若いフリーランスのカメラマンがいた。ゴマに着いたところだった。おなじフリーランスがいるというのは嬉しい。大手メディアでは、アメリカのAP通信(カメラマン一人)、フランスのAFP(記者二人)、イギリスのロイター(記者二人)がいた。ちょっと敷居の高いメディアだ。ウガンダの新聞、テレビからも来ていた。こちらは気さくで何かとやりやすそうだった。しめて十数人だ。
 メディアに加えて、反乱軍政治部高官の、前外務大臣ビジマ・カラハ氏がいた。大物の視察があるということは、重要拠点が陥落したということだ。












 今回は輸送機ではなく、ヤコブレフ40という小型ジェットだった。舗装していない滑走路にでも着陸できるという頑丈な作りだ。後部ドアが階段になり、地面からそのまま乗機できる。これもロシア製だ。もちろんパイロットは白人でロシア語を話していた。二人のパイロットは制服を着ていた。パイロットの制服だ。これまでの輸送機のパイロットは、短パンにTシャツだった。
 空港で三時間ほど待たされて、11時に搭乗がはじまった。荷物を担いで、滑走路の機のところまで行った。搭乗責任者が名簿を見ながら、搭乗するジャーナリストをひとりひとり確認した。定員は20名ほどなのだが、あきらかに人数が多かった。何人かは、取り残されることになる。搭乗責任者が名簿を指差して「君はだいじょうぶ」と笑顔で言った。ほんとにいい人だ。結局、名簿に名前のないウガンダの何人かのジャーナリストが取り残された。本来なら、僕も居残り組みだった。

 ヤコブレフ40は、熱帯雨林がつくる巨大な積乱雲の谷間を縫うように飛んだ。大型輸送機と違って、高度が低く、直線で飛ぶことができなかった。入り組んだ積乱雲の谷間を右に左に飛行した。雲の渓谷は、とても美しかった。
 となりの席はAPのカメラマンだった。陽気な男で、こころから仕事を楽しんでいるようだった。丸太のような腕をしていた。カメラマンは一に体力。この機内に限れば、誰がカメラマンで誰が記者かは一目瞭然だった。

 小型ジェットは、雲を縫いながら、カレミに到着した。
 カレミは、ゴマから南へ約450キロ。タンガニーカ湖畔の街だ。
 ここでも、二ヶ月前に政府軍による虐殺が行われたという。
 タンガニーカ湖畔では、遺体の発掘作業が行われていた。

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