報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

コンゴ内戦(8)

2005年01月23日 13時26分17秒 | ●コンゴ内戦
──特派員──

 タンガニーカ湖畔のカレミ(Kalemie)で、政府軍による虐殺現場、難民、捕虜を流れ作業のように反乱軍に案内され、僕はかなり消化不良を起こしていた。やはり、自由な取材はできない。しかし、すでにそれに乗ってしまったものはどうにもならない。

 ひと通りの「取材」が済むと、我々はまた空港に戻され、ジェットに乗った。次の目的地は、キンドゥ(Kindu)だ。前日、反乱軍が陥落したばかりのホットな街だ。カレミから約500キロ。一時間半ほどのフライトだったが、キンドゥの空港に着いたものの、迎えの車両はなく、かなり空港で待たされた。
 迎えが来るまでの間、空港の中をうろうろしながら、少し写真を撮った。滑走路わきには、壊れたカチューシャ(多連装ロケット発射車両)がポツンと放置されていた。
 運転席に入ってみると、操作盤には「発火器操作方法」と書いてあった。中国製だ。てっきりロシア製だとばかり思っていた。

 迎えの車両が来たころには、あたりはすでに暗くなりはじめていた。
 キンドゥの街は、戦闘で電力供給が止まっていた。我々の宿泊するホテルだけは、自家発電機が設置されていた。発電機が回ると欧米の通信社の面々はパソコンを広げ、さっそく原稿を打ち始めた。APのカメラマンはネガを現像するため部屋にこもった。僕とスイス人のフリーのカメラマンだけが手持ち無沙汰だった。仕方がないので、特派員の仕事の模様を撮って、暇をつぶした。

 彼らは、取材メモを見ながら、あるいは取材テープを聴きながら、パソコンに原稿を打ち込んだ。今日一日のレポートはそれほど長いものではなかったが、何度も推敲し原稿を練っていた。
 原稿を打ち終えると、それをインマルサットで本国へ送った。
 インマルサットは、ノートパソコンほどの大きさの衛星電話だ。船舶用の衛星通信として開発され、四つの衛星が全世界をカバーしている。この地上のどこからでも音声、画像、データ通信ができる。そのため、世界中の通信社が利用している。今回のように、ジャングルの中からでも自由に通信ができる。災害時の通信機器としても注目されている。
 インマルサット(INMARSAT)とは、もともとの名称International Maritime Satellite Organization の略だが、現在は陸海空の全通信を扱うようになり、International Mobile Satellite Organizationという名称に変わっている。ただINMARSATという旧略称は、そのまま使われている。

 APのカメラマンは、長い間部屋にこもってフィルムを現像していた。フィルムの現像は、三段階の行程があり、設備の整った暗室の中でも、面倒な作業だ。それをジャングルの中のホテルで行うのは、かなり気を使う。現像後、乾燥もしなければならないので、とにかく時間がかかる。

 98年の時点では、まだAP通信も、デジタルカメラを使っていなかった。性能にまだ信頼がなかったのだろう。しかし、2000年あたりを境に通信社、新聞社の撮影機器は、銀塩フィルムからデジタルへと急速に交代した。現像、乾燥、スキャンという行程を省くことのできるデジタルカメラは、特に辺境地帯で撮影する報道カメラマンの負担を格段に改善した。

 現像を終えてやっと部屋から出てきたAPのカメラマンは、ドライヤーでフィルムの高速乾燥をはかったが、自前の小型発電機(そんなものまで持ってきていた!)がすぐに壊れてしまった。超タコ足配線のコンセントのひとつを空けてもらってようやく乾燥が完了した。しかし、ここまでは、まだ準備段階だ。
 乾燥したネガを切り、スリーブに入れ、小型のビュアーでコマを確認する。選んだコマをニコンのスキャナーでスキャンし、パソコンに取り込んでいく。取り込んだ画像をパソコンの画面でチェックし、必要に応じてフォトショップで修正加工。そしてキャプションをつけ、ようやくインマルサットで送信する。
 現像から送信まで、実に手間のかかる作業だ。しかも蒸し暑い熱帯で、一日中撮影してヘトヘトになったあと、ホテルでこれだけの作業をする。報道カメラマンは、タフでなければやっていけない。












 彼が作業している間、僕とスイス人のフリーの若者は、後ろからずっとパソコンを覗き込み、なにかと話しかけた。実に迷惑な奴らだ。
「これはどこで撮った?」
 軍用ヘリに負傷兵が運ばれている写真だった。
「コンゴへ来る前にウガンダで撮ったやつだ。いいと思うかい?」
「すばらしいよ」
 彼は、白くつぶれた雲を、フォトショップで加工した。空だけに濃淡がつき、雲が鮮やかに現れ、熱帯の空気感が強調された。当時、僕はパソコンなど持っていなかった。フォトショップというソフトも当然知らなかった。当時の僕としては、手品を見るようだった。しかしいまでは、このくらいプロでなくてもしている。
「さっき空港で撮影したこの写真は、どっちがいいと思う?」
 と彼は訊いた。
「こっちかな」
「OK。じゃあ、これを送信する」
 その日撮った写真を、その日見ることができるなんて、当時はほんとにうらやましかった。ポジフィルムを使っている僕は、数ヵ月後日本に帰るまで、自分の写真と対面できない。

 彼の仕事が終わった後、我々三人はずっと話をして夜を過ごした。
 キンドゥの街で、電気が点いているのは、このホテルだけだった。ホテルと言っても、従業員はひとりもいない。ホテルどころか街そのものがからっぽだった。政府軍と反乱軍の戦闘で住民は街を逃げ出していた。

 ジャングルの真っ只中の街は、漆黒の闇に包まれていた。町の規模もわからない。大きな町なのかもしれないし、朝起きたらこのホテルだけがジャングルの中に建っているのかもしれない。これほどの深い闇はそんなには経験しない。そして、不気味なほど静かだった。

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