報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

国民の利益より、業界の利益

2005年11月28日 15時51分35秒 | □経済関連 バブル
「悪者探しに終始すると、マンション業界つぶれますよ、ばたばたと。不動産業界もまいってきますよ。景気がこれでおかしくなるほどの大きな問題です」
26日、自民党武部幹事長発言。耐震強度偽装事件に触れて。
http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=AT1E2600L%2026112005&g=P3&d=20051126

なかなかみごとな本末転倒だ。
業界が国民を欺き、国民の利益を侵害しているというのに、国民の利益よりも、業界の利益の方が心配とは。政治家の頭の中とは、こういうものだ。

都合の悪い事には蓋をして、国民の目から遠ざければ、それで済むと思っているようだが、旧態依然の政治家の発想というしかない。「民は知らしむべからず、寄らしむべし」「民は愚かに保て」こんな言葉をいまだに金科玉条としているのが政治家だろう。いったい、いつの時代の言葉だ。

武部氏は景気を心配しているようだが、なぜ景気が悪いのかを考えたことがあるのだろうか。
国民を欺く、政界、官界、産業界の三位一体のあり方が信用できないから、景気が悪くなるのだ。国民は、政治家も官僚も企業も信用してはいない。そんな国民不在の、安心して暮らせない社会の中で、大切なおカネを使おうという気持ちになれるだろうか。メディアが電波を使って、いくら笛を吹きまくっても、国民は踊らない。こんな不安な時代に、踊れるわけがない。

景気をよくしたければ、安心して暮らせる社会を築く以外にない。そうすれば、誰もが安心して消費するようになる。そういうことだ。日本には、おカネそのものはふんだんにあるのだから(いまのところ)。

しかし、政治家や官僚、資本家が自らそうした本質に気づくことは期待できない。
彼らの発想は、より手っ取り早く、より楽して、より多くを奪うことだ。
つまり、よりよき社会とは、われわれひとりひとりが築いていくしかないのだ。
誰も代わりにやってくれはしない。
われわれは、もっともっと疑わなければならない。

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11 コメント

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Unknown (satoshi)
2005-11-28 18:05:09
そうですね。

国民一人一人がもっと自分の頭で考えて賢くなり、次回こそ選挙で本当に国民のことを第一に考える政治家を送り出さなければなりませんね。
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 (STUDIO TAKUMA)
2005-11-28 18:20:53
しかし、悔しいです。なぜだか、悔しい。果たして選挙等で変わるとは到底思えんです。選挙ももうとっくに腐敗しているのでは?

 選挙こそ自分達の利権為に一票を入れているのでは?



 暴露議員に期待するしかないか。
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選挙 (中司)
2005-11-29 00:29:33
確かに、現行の選挙制度がどこまで有効であるかは疑問符がつくと思います。

アメリカでの、最近の二回の大統領選が、ある程度、近代選挙の実態を物語っていると思います。あまりにも信頼を置きすぎると、足をすくわれることになりそうです。



かといって、選挙制度を否定することも、現実的ではないです。代わるものがありませんから。完璧な制度は存在しませんから、あるものでひとまずやっていくしかない、というのが現実のよう思います。



早急に制度が変えられない以上、システムに信頼は置いていないが、あえてそれで戦ってやろう、というくらいの気持ちでしょうか。
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untitle (STUDIO TAKUMA)
2005-11-29 05:44:01
やはり、選挙しかないですか・・・。どうもあの制度好きになれんです。送り出しても送り出しても、裏切られてるような・・・・。どんなに志を持った人格者も、あの政界という世界に入ると"政界のルール"に曲げられていくような気がします。。"お付き合い"がはじまってしまうからか?

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STUDIO TAKUMAさんへ (中司)
2005-11-29 15:12:01
僕も、現行の選挙制度には、まったく信頼を置いていません。選挙民と候補者は地縁・血縁によって、地元に利益をもたらす人しか当選しません。残念ながら、国民の利益を考える候補者はほとんどいません。



先の選挙でも、「郵政民営化」に反対を明言して当選しておきながら、国会であっさりそれを翻すというような無節操な輩ばかりでした。



国民の利益という概念が彼らにはありません。

また、信頼に足る政党も存在しません。

国民に取っては、ほとんど八方塞りです。



エジプトなどは、大統領選の投票率が20%ほどでした。80%の国民は、おそらく選挙制度そのものに信頼を置いていないのでしょう。いわば、80%の国民から不信任を突きつけられたとも言えます。それでも、選挙そのものは成り立ってしまいます。ムバラク氏はれっきとした国家元首として国際的に認められます。



議会制民主主義というのは、かなり矛盾と欠陥を含んだ制度だと思います。制度を改変することは、難しいことではないかも知れません。でも、制度を変えただけでは、何も変わらないと思います。



大事なのは、人のこころだと思います。

このままではいけない、と思う人が大多数を占めれば、当然社会は変わっていくものです。でも、そう思わせないために、為政者もあの手この手を使うわけです。あるいは、何をしても無駄という諦めを植えつけたりもします。



特に、メディアが果たしている役割は大きいと思います。メディアは、われわれの住んでいる社会が、まるで何事もないかのようなフリをしています。大本営発表で、「勝った。勝った」と言い続けていた戦中のメディアそのものです。「メディアを信じるな」、というのが、当ブログのひとつの目的です。



既存の社会を変えていくのは、あくまで社会の構成員(国民)の総意です。先の選挙で明らかになったように、国民の意見はちょうど半々に分かれました。意見が拮抗するというのは、非常に健全な状態だと、僕は見ています。



いま、われわれに大切なのは、焦ったり、ことを急いだり、あるいは諦めたりしないことだと思います。そして、よりはっきりと日本の、世界の現実を理解することだと思っています。
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Unknown (STUDIO TAKUMA)
2005-11-29 20:49:41
ありがとうございます。おっしゃっている意味、良く解ります。永い目で見ていこうと思います。



 中司さんが今まで世界を飛び回って、体で直接感じた国の中で、どの国のシステムが一番国民の立場に立ったシステムだったでしょうか?

 実際に完璧に機能している国のシステムがあるならば、見習いたいものです。ここでの完璧に機能したシステムというのは、国民本位の政治ということです。

 文明と搾取は比例してしまうのでしょうか?
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裏を読むセンス (Yegy)
2005-11-30 00:22:44
 上記のSTUDIO TAKUMAさんの質問の答えがとても気になります。中司さんが答える前に僕の別の文章を入れてしまうのが、申しわけないです。



 最初の自民党武部幹事長の発言に対する、中司さんの意見「本末転倒」は、僕にとって目から鱗の考えかたでした。僕はこの発言に素直に納得してしまったのですから。それと、「民は知らしむべからず、寄らしむべし」「民は愚かに保て」ということば、僕は初めて聞きました。誰のことばでしょうか?まさに僕は愚かな民になりかけていた気がしました。
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STUDIO TAKUMAさんへ (中司)
2005-11-30 03:42:57
残念ながら、僕が見た限りでは、存在しません。

いろんな意見があるとは思いますが、おそらく、そうした理想的な制度の国家や社会は、この世に存在しないと思います。また、歴史上も存在しなかったと思います。



どの時代の、どの社会も、様々な構成員で成り立っている以上、意見の相違や対立は必ず存在します。誰もが納得する制度やシステムは存在し得ないというのが人間社会の現実だと思います。人間が完璧でない以上、人間の作るものも完璧ではないはずです。



誰でも自分や自分の属する集団(家族、会社、業界など)が損をしないようにと考えるものです。つまり、人間は集団化し、必然的に利害の対立が生まれます。人間が、「制度」を生んだのは、その利害による対立を緩和するためです。「制度」とは妥協を強いるための手段です。万人が納得する結果が存在しない以上、どこかに妥協点を見出さなければ社会自体が成り立ちません。



もし、人間が他者愛で動く存在であれば、制度そのものが必要ありません。みな、等しく平等に分け与えているはずですから。



人間の本質が変わらない以上、どのような制度もつねに不完全ということです。つまり、得をすることもあれば、ときには損をすることもあるということです。その不完全さを承知の上で、制度をうまく使っていかないといけないということになります。



でも、たいていの社会は、「制度」は完全である、と見せかけています。その役割をメディアが担っています。それによって、常に決まった集団だけが得をし、その他の集団が常に損をするという結果になっています。それが世界の現実です。



もっとも大事なのは、自分の属する社会がどのような構造をし、どのようなメカニズムで動いているかを知ることだと思います。
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Yegyさんへ (中司)
2005-11-30 04:01:48
実は、この言葉の起源を考えたことはなかったです。

漠然と、江戸時代あたりだろうと思っていました。調べて見ると、あまりよくわからない。

江戸時代という表記はありましたが、同じような発想は、東洋にも西洋にもあるようで、いたるところに出てきます。



ただ、語順が違いました。たいていの表記では、

「民は寄らしむべし知らしむべからず」

となっていました。



おそらく、古今東西を問わず、国民統治の大原則を的確に言い表した言葉でしょう。
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寄らしむべし知らしむべからず (ちゅうたしげる)
2005-12-01 07:28:03


資料を失ったので確かではないのですが(1988年の日経新聞で読んだ記憶がある)、この言葉は中国古代に典があるということでした。



 はじめは「べし」というのは、「禁止」の意味ではなく「可能」の意味だったと書いてあったようにおもいます。



 知らしめて、統治することはできない。民の心を依らしめて統治せよ。と。



 たとえば、中司さんのブログを印刷して日本中の人(世界中に翻訳しても)に読んでもらって、人びとが理解したとしても、そのことでわたしは世界が変わるとは思えません。



 逆に、支配者がどんなにメディアを圧倒的に掌握していても、人心が離れればある時支配は崩壊する。とも言えると思います。



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