秘書にゃんこ*映画『青春の蹉跌』

2022-09-02 | 映画が好き
 神保町シアターで『青春の蹉跌』を観てきました。


昭和49年(1974年)公開
萩原健一(当時23歳)は、この作品で「キネマ旬報 最優秀主演男優賞」受賞


 混沌とした時代に生きる若者の熱情と焦燥感を描いた作品に集うのは、出演者と同じ団塊の世代と思しき方々。

新宿駅東口が映れば、思わず「鈴屋」(若い女性に人気のあったお店)を探してしまう私は、少しだけ下の世代。

道を歩きながらタバコを吸うショーケンがそのまま喫茶店に入ると、レジの横にはピンク電話。

駅には「伝言板」があり、山手線はグリーン一色・・・それが「昭和」だったのですよね。


 ショーケンといえば、ザ・テンプターズの頃からファンでした
(「あら、ジュリーじゃなかったの?」という声が聞こえてきそうですが、それはそれ、これはこれ


ザ・テンプターズ時代の LP
左のレコードジャケット「5-1=0」は、メンバーが一人でも欠けたらザ・テンプターズじゃない
という意味でしょうが、既に「5-3」です。



わずか3年間の活動期間に、ザ・テンプターズとして出演した映画『涙のあとに微笑みを』(昭和44年)
『青春の蹉跌』の5年前の作品ですが、失礼ながら演技は学芸会レベル
グループ解散後の、ショーケンの水を得た魚のような活躍ぶりなど想像もできなかった時代です。



俳優として映画やドラマで活躍しながら、昭和50年に久々に再開した歌手活動でリリースしたアルバム
すべて私物で他にカセットテープもありますが、レコードプレーヤーもカセットデッキも無し。


 私がショーケンのステージを観たのはたった一度、「最後の日劇ウェスタンカーニバル」です。

70代を迎えることさえなかった萩原健一という俳優の、若かりし日の作品の余韻に浸っています。


お読みくださいましてありがとうございます。
映画館近くのカフェから向かい側のビルを見上げましたら、
屋根の上に本が3冊 (ご覧になれますか?)
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2 コメント

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なつかしい (hirorin  )
2022-09-03 18:16:17
私も見ましたよ。
桃井かおりも出てましたよね。
ショーケン、かっこよかった。
年取ってからは、恰幅のいいおっちゃんになったけれど、なんか危うい精神のバランスが取りづらい感じが良かった!

そして、「鈴屋」なつかしい。「玉屋」もありましたよね。大阪だと阪急三番街にありました。
短大に入ってからよく買ってました。
後、マミーナってご存じですか?
こちらは、三宮で買ってました。
なつかしい~
レディエドワーズやヨーク、それから今名前が出てこないけど、そういう系、ああ~気持ち悪い。名前が~

まさかその数十年後、名前が出てこないようになるとは思いもしませんでした。
hirorin さんへ (Juliet)
2022-09-03 21:15:19
hirorin さん、こんばんは

>年取ってからは、恰幅のいいおっちゃんになったけれど、なんか危うい精神のバランスが取りづらい感じが良かった!

ショーケンの魅力ってそこなんですよね。
危なっかしくて、私が居なくてはダメというか・・・いえ、会ったこともありませんが

>「鈴屋」なつかしい。「玉屋」もありましたよね。大阪だと阪急三番街にありました。

「鈴屋」は「SUZUYA」とも表記されてオシャレでしたよね。
「鈴」つながりで青山に「ベルコモンズ」というファッションビルを運営していましたが、6年前に閉館。
「玉屋」も以前はよく見かけましたが、今はいくつかのブランドに分かれているようです。

>マミーナってご存じですか?

札幌の高校の先輩が、「お勤めしてお給料をもらったら、全身マミーナで揃えるのが夢」と言っていました。
映画には新宿駅東口の歩行者天国が映っていましたが、鈴屋が在った先には今も伊勢丹があり、
かつては通りからよく見える場所にマミーナが入っていました。

>レディエドワーズやヨーク、それから今名前が出てこないけど、そういう系、ああ~気持ち悪い。名前が~

「そういう系」なら、「オックスフォード」の清楚で上品なファッションが好きでした
ヨークのチェック柄やオックスフォードのシンプルなセーターなどは、
年齢に関係なく今でも愉しめたでしょうにね。

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