倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

商工業被害

2019-12-21 | 日記

12/20 Fri.

 

長野市の商工労働課が19日、さきの台風19号に伴う「商工業分野」の被害額が、約500の事業所で 被害総額が 728億8,500万円に上ることになったとの調査結果を明らかにしました。被害額の内訳は、工業分野が約350億円、商業分野が約380億円とのこと。今回の調査は あくまで中間調査で、今後 その数値が変動(増加)することも考えられるとのことです。

発災から2ヵ月、改めて 台風被害の大きさを実感させられることとなりました。

 

 

10月に発生した台風19号は、多方面に大きな被害を及ぼすことになり、その影響は 今も、私たちの社会生活に影を落としています。

千曲川堤防からの越水により 多くの家屋や建屋が水に浸かり、そのままでは住めなくなるような被害が生じました。

 

越水に止(とど)まらず 堤防か決壊したエリアでは、集落そのものが濁流に押し流される被害を受け 復旧には相当の期間が要することが懸念されています。

 

また、千曲川沿いの「堤外農地」では、果樹園などの農地が冠水や漂着物の堆積などで被害を受けました。〝果樹王国〟といわれる長野エリアならではの被害、とも言われ、その後の対応も含め 大きく報じられているのはご案内のとおりであります。

 

 

一方、そんな「目に見える被害」の傍ら、今回の市の中間まとめにあるとおり、存外に大きな被害を受けたのが「商工業部門」の事業者の方々と言われています。

堤防が決壊した 長沼エリアの西方には「北部工業団地」があり、多くの事業所が軒を並べる中で 長野市の製造業を支えていただいております。

その〝長野市工業の拠点エリア〟もまた、堤防決壊による冠水の標的にされ 工業団地の大部分の事業所の1階部分が 水に浸かる被害が出てしまいました。

 

もとより、各事業所の1階部分には 製造ラインがあり、そのための大きな作業機械なども設置されています。それらの動産は 自重も数トンに及ぶことから「水か来るぞ!」と言われても 容易に移動することなどできず、むざむざ冠水を許すこととなってしまいました。

 

事業所の中には、10月の消費税率引き上げを契機に 機械の新規入れ替えを行なったところもあり・・・稼働期間 わずか半月で新型機が水没、泣くに泣けないことになった社もあるとのことです。

今回の被害状況を聞き取る中で、ある製造業の社長は「ウチら〝機械屋〟にとって、今回の水害の一番の敵は、水じゃあない〝河川泥〟だ。」と言っておられたのが印象的でした。

「いいか、クラちゃん。機械にかかったのが「水」だけなら、まだ乾けば何とかなる。ショートした配電盤も交換すれば済むことだ。でも、本当に厄介なのは「泥」なんだよ。河川水の中に含まれる泥、これがまた細かい粒なんだが、これが たった一粒、例えばスライド部分に付いただけで、機械は引っかかって動かなくなる。しかも、日々のメンテナンスの中で 駆動部分には必ずと言っていいほど注油しているから、そこに泥が混じれば、もう その機械は終わりだ。今回の浸水では、多くの機械が この「河川泥」に泣かされたんじゃないか、ウチも含めて。」

今回の台風による〝泥〟被害は、リンゴ果樹の根を塞ぐ被害がクローズアップされていますが、こんなところにも泥の被害が及ぼされていることを再認識させられたところでした。

 

また、11/28の記事でも触れましたが、製造業の事業所においては、多くの製品や 原材料などの在庫品が水に浸かり、廃棄を余儀なくされたところが多くあることも伝えられています。

 

このことについては、今回の台風被害に対する 国などの支援策が、新規投資などの〝これからの再興〟に光が当てられている一方で、失った在庫品や設備そのものについては補償し切れない側面があることから、事業主の方々におかれては、こちらの面でも「泣くに泣けない」と言っておられました。

 

発災から2ヵ月、そして 令和元年の年の瀬を控え「生業(なりわい)」を持たれる方々の支援も 欠かざるべき取り組みであります。

生産計画や出荷見込み、また設備投資などに伴う事業所の「運転」について、今回の台風は それらの面でも〝想定外・未曽有の被害〟を及ぼしたと申せます。

先日の「公費解体」でも述べましたが、かかる事業所運営についても、個々の企業には それこそ様々な形態や状況があることから、ある意味 個人の生活再建にも劣らぬ〝個別対応〟が求められていると言っても過言ではないと思います。

 

私たちの社会生活を支えてくださる さまざまな産業に携わる方々が、真に「復興した!」と言っていただけるよう、精一杯に心を寄せて できることを考える。そんな当事者意識を持って、これからに臨んでゆくべきと 思いをいたしたところです。