倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

新型コロナウィルス禍 =「思いやりと良識のある地域社会」を ここ長野市から=

2020-04-24 | 日記

4/23 Thu.

 

 

前日には、市内で3桁に上る「新型コロナウィルス感染症における(陽性感染者の)濃厚接触者」が発生し、その濃厚接触者の中に あろうことか現役の市長が居(お)られたことが判(わか)り、ちょっとした騒動になってしまった長野市です。

その際の 長野市保健所の報告(会見)によると、市長自身は 特段の症状もなく「陰性」となっておりますが、ひとたび濃厚接触者となった以上は 14日間の自宅待機と経過観察の対象となり、現在はそれ(自宅待機)を遵守しながら過ごしておられるとのこと。

経過観察期間(25日まで)は 副市長が職務代理者を務め、市長ご自身は 電話やWEB(パソコンテレビ電話通信)などを用いて指示を出すなどして、市政の遅滞なきよう務めておられるとのことでした。

 

ところで、現役市長が「濃厚接触者」となったことは、巷(ちまた)に何ともいえない〝反響〟を及ぼしたようであり、私自身 それを実感することとなったものです。

朝イチには、私の下(もと)に 複数の後援会関係者の方々から電話がかかってきました。

その内容は総じて「市長が「コロナの濃厚接触者」になっちゃったみたいだけど、クラちゃんは大丈夫かい?」というものでした。

また この日は、複数の市民と会話する機会があったのですが、その際にも「市長も罹(かか)ったみたいだし、この中で 一番(コロナ感染の)リスクが高いのがクラちゃんだ。」と 半分冗談めいた中で話しが出るなど、この日の〝冒頭の話題〟の多くは「市長が濃厚接触者になった件について」でありました。

みなさんは、今回のことで 私の健康をも案じてくださり、多くの「善意」を感じ取ったところでしたが、その一方で 一連のやり取りの中で 他人様(ひとさま)の心の中には、私自身が市(行政)に関係しているということだけで「クラノも新型コロナウィルスに罹(かか)ったんじゃないか。」というような、何というか「疑心暗鬼」のような心境が芽生えてしまっていることも感じ取られ、(やや大げさな表現ですが)私を見る目まで変わってしまったような 何ともいえない雰囲気が伝わってきて、人の心の機微(きび)のようなものを肌で感じたところです。

 

確認させていただければ、長野市長は あくまで、陽性感染者が出た整骨院に通ったことで 濃厚接触者の扱いを受けただけのもので、その後は何の症状も出ておらず PCR検査の結果も「陰性」となっています。

にも関わらず、人によっては「市長が 新型コロナウィルスに罹(かか)ったらしい。」と言う人もあり・・・それを聞くと「噂話しというのは怖いもの。クシャミしただけで、それが3人の口伝(くちづた)いの後には「風邪引いたらしい」となり、5人過ぎれば「大病している。」に化けてしまう。」との〝都市伝説〟を思い起こさせられてしまいます。

 

 

・・・・・。

「コロナいじめ」なる〝悪しき社会現象〟が起きていることが伝えられています。

ありがたことに、私に対しては 多くの方が「善意」の心を寄せてくださいましたが、これが「悪意」の集積となったとすれば。

今回の長野市長のように、発症には遠く及ばない段階の人(や関係者)に対しても それ相当の〝反応〟があったのに、これが 陽性感染者ご自身、さらには それがクラスター(集団感染)の要因にでもなったことが周囲に知られることになったとすれば。

その後の〝周囲から向けられる視線〟は いかばかりのものかと憂慮せざるを得ないところです。

側聞すれば 他県においては、ある家の家族が陽性感染者になったことが判った途端に、その家の人が、敷地に石が投げ込まれたり、塀に落書きをされるなどの被害に遭ったとのこと。

もはや犯罪レベルです。これは非常に極端な事例ではありますが、そんな過激な行動に出ないまでも 万一ムラの中で ある家人が陽性感染者となったことが判れば(これは 当局の消毒作業が入るので、どうしても判ってしまうようですが)、「あの家が〝コロナの家〟だ。」と陰口を叩かれることになるのかもしれません。

 

今回の件(市長が濃厚接触者になったこと)に接し、私以上に市長との接点が多い市職員についてはどうなのか。市民から〝違った目線〟で見られるようになってしまったか?など 詳細は聞き及ぶところではありませんが、いずれにしても今回のことを契機に 改めて、図らずも 新型コロナウィルスに罹(かか)るなどした人に対し、心無いバッシングや あらぬ噂話しを立てることなど無いよう、市民に対し「思いやり行動」を行なうよう啓発を続けるべきと思うところです。

(その点においては、長野市のK保健所長は ウィルス感染に関係の無い個人情報については一切触れないなど、患者(感染者)保護の視点で 実に適切な渉外対応を履行しておられ、心服に値するところなので申し添えます)

 

 

 

市長が自宅待機を余儀なくされた この日、夕方になり 一日の事態が落ち着いた頃を見計らって、市長にお見舞いの電話を入れました。

ほどなくして電話に出た市長は「や、倉野議員。この度は とんだお騒がせをすることになってしまって申し訳ない。」と、いつもの元気で明るい口調で応じてくださいました。

電話の声というのは不思議なモノで、いくら表情で元気を装っていても 体調不良は声のトーンに現れるものです。そのうえで申せば、市長の声は 全く普段と変わらず、元気そのものでありました。

「今回、古牧(整骨院)さんの施術を受けただけで 自分自身が濃厚接触者になってしまったことは、自分自身 驚きと戸惑いの中でしかない。でも、これが新型コロナウィルスの怖さというべきでしょう。幸い、私が不在の間も 副市長を中心に市政は遅滞なく継続されており、また WEB会議を通じて、(自宅に)居ながらにして情報共有は図られているので、(私の件で)長野市の危機管理体制が確認されることとなりました。そのうえで 今回の予期せぬ経験を、今後の長野市のウィルス対策に活かしてゆきたいものです。」と気強く話してくださいました。

 

して「家では「家族を(二次的な)濃厚接触者にしないで!」と嫌われ者になっていますよ。」とやや冗談交じりに話されたことから、今朝からの 私の細(ささ)やかな経験談を伝えると「そうですね。(市長という)自分の影響力の大きさを思えば、私が濃厚接触者になっただけで、もしかしたら職員はじめ多くの関係者が〝そういう目〟で見られたのかもしれません。せめて長野市民の間では「コロナいじめ」のような心無い行為が起こらないよう(自分の経験を活かして)思いやりのある言動を(市民に)求めてゆきたいです。」と結んでくださいました。

 

 

 

 

本ブログで 何度も触れているように、新型コロナウィルス感染は「明日は我が身」です。

市長でさえ濃厚接触者になったように、この厄介な感染症は、いつでも、誰でも、どんな状況でも罹患する〝悪しき機会〟を 誰もが持ち合わせているのです。

 

でも 残念ながら、大衆の心理は「他人(ひと)の不幸は 蜜の味」他人の困り事はゴシップとして〝味(あじわ)う〟ことはあっても、まさか自分が その当事者になることなどは思いもしない。これが人の浅はかなるところなのでしょう。(それが正に、主に首都圏での〝出歩き行為〟に現れています)

 

今回の長野市長の〝濃厚接触者騒動〟は、私たちに 細(ささ)やかながら「実体験」として さまざまなことを教えてくれた感です。

その大きな基(もとい)は「たとえ他人(ひと)が〝コロナ関係者〟になってしまったとしても、差別や蔑視の目を向けない。」ことに他なりません。

そんな「思いやりと良識のある地域社会」を ここ長野市から発信してゆきたいと 改めて思ったものでした。

 

 

 

 

市内を東進中、R19号 五分一方面の建屋に、大きな横断幕が。

 

どうやら看板業のような業種さんの玄関先。カラフルな素地に「抜き文字」が。

 

 

「みんな がんばれー」の〝声なき声〟に、私自身も励まされた感。

 

そうです。この難局、であるからこそ みんなでがんばって乗り越えてゆきましょう!