去る7日には、被爆後77年を迎える「広島平和記念式典」が挙行されました。
原爆が投下された8時15分には 広島市内をはじめ各地で黙祷が捧げられ、私も長野の地から西の彼方に頭(こうべ)を垂(た)れたところでありました。
8・07「原爆の日」を迎える度に、私たちは「ピカドン」原子爆弾が一瞬にして広島の街を破壊し尽くし 十数万とも言われる人々の命を奪ったこと、辛うじて生き延びた人の中にも 例えば後遺症などの健康被害を誘発された人・また日常の社会生活を奪われ 無用の労苦を背負うことになってしまった人が数多(あまた)出られるようになったことなど 惨状の数々を改めて回顧し、もうあんなことは二度とあってはならないことを再々認識するところです。
体験…ことに「戦争体験」のような 苛烈(かれつ)を極めた体験には、その当事者にしか分からない厳しさ・辛(つら)さがあるものです。そして その体験が辛ければ辛かったほど (後世の者が)同じ思いを味わうことの無いよう伝承してゆくことが求められるところです。
で、まさに この原爆(被)投下の体験は その最たるもの…そして このこと(被爆体験)に基づく非核化に向けた社会運動を、国を挙げて全世界に展開してゆくべきことは これまでも被爆者団体を初め各方面から強く指摘されているところであります。
そのうえで、今年の「広島平和記念式典」は、例年にも増して「世界を挙げての非核化」を 世界で唯一の戦争被爆国として強くアピールすべき場であり、そのため(世界の非核化)には「具体的提案」を行なう、いわば 一歩前に踏み出すべき機会でもありました。
そして、その「具体的提案」は、日本が未だ批准していない「核兵器禁止条約」への(批准に向けた)意思表示であったことは 既にご案内のとおりであります。
その背景には、今や世界的な問題となっている ロシアによるウクライナへの軍事侵攻があり、また 台湾海峡などを巡る米中の緊張状態にも然り、さらには 未だ米国や(日本を含む)周辺国に挑発を続ける北朝鮮問題の態度があります。
そのいずれの国も 外交的駆け引きの中で、最終的手段として「核保有」を持ち出しており、それは あたかも銃器をぶら下げ路上を睥睨(へいげい)するギャングの如く、そんな傍若無人な振る舞いを公然を行なうようになってきた〝危険な兆候〟がそこここで見られるようになっていることからして、「核」の存在が〝抑止力〟の名の下(もと)で その危険度を日々増幅させていることは 由々しきことに他ならないと思わされるところです。
そんな〝一触即発〟の社会(世界)情勢においては、世界で唯一の戦争被爆国である日本の〝発信力〟には大きな期待が寄せられるところであり、そんな中で挙行された「広島平和式典」における 日本の国家元首の発言には、衆目の期待が寄せられてところでありました。
しかし残念ながら、ときの岸田総理の「アピール」は 何というか〝中途半端感〟から抜け出せないものでありました。
挨拶の冒頭には「77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは 唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、被爆地広島出身の総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ 核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から私は「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と、声を大にして世界の人々に訴えます。」とし、さらに「いかに険しく 難しかろうとも「核兵器のない世界」への道のりを歩んでまいります。」と強い決意を述べました。
さらに「非核三原則を堅持しつつ、厳しい安全保障環境という「現実」を 核兵器のない世界という「理想」に結び付ける努力を行なうため、現在開会中の「核兵器不拡散条約(NPT)の運用検討会議に日本の総理大臣として初めて参加し、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持・強化していくべきである旨訴えてまいりました。」と成果を強調されていました。
しかし、冒頭こそ声に熱を帯びたように感じたものの、後半はトーンダウン。
日本(唯一の被爆国)が率先して批准すべきハズの「核兵器禁止条約」についてや、条約の締約国会議へのオブザーバー参加にも触れないままに挨拶を終えたことに「核兵器廃絶へ道筋を示すような言葉は見当たらなかった」と残念がる声が上げられていました。
多くの被爆者・遺族など関係者を前に、その胸におちる言葉が紡(つむ)ぎ出されなかったのは 残念に他ならないところでありましょう。
繰り返せば、世界は今や 極限ともいえる緊張状態にあり、現に ウクライナにおいては「核」が戦争の駆け引きの道具とされ いつ「核のボタン」が押されても不思議のない危険な状態に陥っています。
あんな惨禍は繰り返してはならない。
被爆地ヒロシマの方々の苛烈な体験を せめて今後の世界平和に活かしてほしい…そんな切なる願いが、今年も僅か届かないまま 時間ばかりが経過しているのでありました。
・