倉野立人のブログです。

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青木島遊園地存廃問題 =奇しくも見せつけられた 長野市の体質=

2023-04-19 | 日記

未だ大きな社会問題となっている「青木島遊園地存廃問題」ですが、半ば一方的に始められた「原形復旧工事」は、その工事初日に 遊園地を〝破壊する〟ともいえる無碍(むげ)とも言える作業の様子を、誰からも 特に心に最も大きな痛みを負わされた児童の目にも晒(さら)す形で行なわれたことに、その無神経さに驚かされると同時に そのことに対し私も含め多くの市民から 抗議の声が寄せられました。

 

 

 

このことについては、遊園地を管理する長野市や 遊園地を利用した児童が通う児童センターを運営する長野市社会福祉協議会に対し抗議の電話が寄せられたり、児童センター保護者会の有志の方から 長野市に対し 文書で緊急の申し入れが行なわれる事態となりました。

申し入れ文の内容は下記のとおりです。

青木島遊園地の原形復旧工事について(緊急の申し入れ)

標記の工事について、その対応が余りにも関係者 特に児童センター利用児童への配慮に欠けることから、緊急的に申し入れを行ないます。

本日から始まった原形復旧工事は、いわば否応なしという形で着手されています。

子どもたちが笑顔で駆け回った遊園地に大型重機や作業員が立ち入り、植栽の抜根や樹木の伐採など、これまで子どもたちが慣れ親しんできたものが次々と除去・撤去されており、それを目にする心ある地域住民は 一様に心を痛めております。

そんな状況下で工事を見守る中、市ならびに市社協が 最も心を砕くべき児童センター利用児童に対する配慮が全く見られないことから、ここに緊急に申し入れを行ないます。

前掲のとおり、現下の原形復旧工事の模様は、見る者の心を痛めることになっていますが、そのことについて一番 心に痛みを負うのが、他でもない児童センターの利用児童です。

工事初日の17日、学校から児童センターに向かう児童らは、あれほど慣れ親しんだ遊園地が無残に壊されていく様子を直接目にすることとなり、一様にショックを受けています。

中には「遊園地を壊した人を許さない!」と憤ったり、工事の様子を見て情緒不安定に陥り泣き出す子どももいるほどで、多感な児童にとって遊園地が目の前で壊されていく様子は、大人が感じることよりも、その受ける悲しみの度合いははるかに大きく、その心理的ショックはいかばかりかと思われるところであります。

しかし実際には、工事は いわば剥き出しのままで行なわれています。

このような児童に対する配慮に欠けた行為(工事)は、もはや所管課(公園緑地課)の範疇を超え、児童福祉・児童教育の面でも大きな問題があると言わざるを得ません。

 

長野市が行なう「児童への配慮」とは、交通安全などの外見的な配慮のみであり、児童の「心」に対する配慮が全く為されていないのです。

 

顧みれば、さきの遊園地への感謝の紙の掲示を阻止したことについて、所管の市社協会長は「子どもたちの気持ちに十分寄り添えずに対応したことを深くお詫び申し上げる。」とし、さらに「子どもたちに寄り添った支援がさらに充実するよう、全職員が一丸となって取り組む。」としたはずであり、そのことについては委託元の荻原市長も同意でおられるところでありましょう。

今まさに「子どもたちの気持ちに十分寄り添った対応」が求められているのです。

つきましては、下記のとおり緊急に申し入れますので、然るべく対応を行なってください。

             記 

1,青木島遊園地の原形復旧工事にあたっては、青木島児童センターに面する遊園地東側と、センター利用児童が通行する遊園地北側の面について、工事の様子が児童の視野に直接入らないよう遮蔽物を設置すること。

 

 

なお、この緊急申し入れ書の「宛先」については、長野市が 児童の「心」にまで配慮するよう、複数の部局に対し出されています。

通常であれば、工事を所管する「都市整備部」のみに対し出されるものですが、今回の長野市の配慮不足(配慮ゼロ)は、いち所管では事(こと)足りないこととなっているからです。

これについては先日も触れましたが、工事を所管する 都市整備部公園緑地課は、この工事を〝単なる原形復旧工事〟としか考えていないことが分かっています。

彼ら(公園緑地課)は、今回の経緯…自分たちの初期対応の誤りによって 子どもたちの欠かせぬ居場所であった青木島遊園地を廃止に追い込んだことの反省は もはや今は昔のことと捉え、廃止の手続きが瑕疵(かし)なく進み 市長も了承したことだから後は工事を進めるだけとばかりに、その惨状を目にする児童の「心」のことなどお構いなしに工事に着手しているのです。

もはや、彼らに「思いやり」の心は無く、ひたすらに納期に間に合わせんと 重機を駆り人足を投入して更地化をめざしているのです。

で あるとするならば、同じ市行政を担う者として「児童福祉」を担う「こども未来部」ならびに「児童教育」を担う「教育委員会」にも共通認識をもって考えてもらいたいとしたところでありました。

保護者有志のみなさんは、もはや 今回の工事内容は、センター利用児童に心の傷を負わせる重大事案 すなわち「児童福祉」ならびに「児童教育」の面で大きな問題があると言わざるを得ない「行政瑕疵」と言えるのではないかと厳しく指摘しているのです。

長野市が行なう「児童への配慮」とは、交通安全などの外見的な配慮のみであり、児童の「心」に対する配慮が全く為されていないのです。

この一文に、市民の 長野市に対する強い憤りと大きな落胆の意が込められていたのでした。

 

このことに対し、長野市は〝然るべく〟対応してきたようです。

保護者有志が実感した「多感な児童にとって遊園地が目の前で壊されていく様子は、大人が感じることよりも、その受ける悲しみの度合いははるかに大きく、その心理的ショックはいかばかりかと思われるところであります。」このことに鑑み、

青木島児童センターに面する遊園地東側と、センター利用児童が通行する遊園地北側の面について、工事の様子が児童の視野に直接入らないよう遮蔽物を設置すること。

と申し入れたことに対し、翌日(18日)市が対応を行ないました。

しかし それは、あろうことか既存のフェンスにブルーシートを掛けただけのもの。

これを〝遮蔽物〟としていたのです。

 

 

 

既存のフェンスの高さは1mそこそこ。そこにブルーシートを掛けただけの〝遮蔽物〟は、ただ回りをシートで囲っただけで 内部は丸見えのままです。

ブルーシートの上面では、ユンボのアームで引き抜かれた植栽がダンプに積まれる様子がほぼ丸見え…これじゃ「お尻隠してアタマ隠さず」笑えない諺(ことわざ)のようです。

 

これを即(すなわ)ち「やっつけ仕事」と呼ぶのでしょう。

 

 

 

この〝やっつけ仕事〟について、記者が「工事の様子を完全に見えなくする対策はどうか」と問うと、所管課は「予算的に難しい」と答えたとのことです。

このことについては 先日も触れましたが、今回の工事計画に そもそも遮蔽物を設置する内容は盛り込まれていなかったとのことです。

 

・・・・・・。

自治体における「予算措置」とは、その自治体の〝意思表示〟であると申せます。

ある事業に予算を盛ることで「これをやります」と内外に示し、予算を付けないということは その事業は行なう意思が無いことを表すものです。

つまり 長野市は、今回の現状回復工事に際し 当初から児童の「心」にまで配慮する気が無かったのです。

「予算が無かった」のではなく「その気が無かった」ということなのです。

それが この顛末です。

関係者が悲痛な声を寄せたのを受けての措置が ブルーシートを掛けただけ。

情けないとしか言いようがありません。

 

百歩譲って、この高さが とりわけ無垢な低学年児童の身長より高いとすれば、辛うじて幼子の目には(工事の模様が)入りにくいのかもしれません。

しかし、一番のショッキングなシーンは 既に終わった工事初日の抜根作業でした。

やっつけブルーシートが掛けられたこの日は、既に作業が進捗した後です。

 

 

 

植栽が剥がされ木々の根が引き抜かれる いわば遊園地が潰される様子は、工事が剥き出しの初日にこそ集中したところであり、今さらシートを掛けても 遅きに失したともいえる有様。

やはり遮蔽物は、工事計画の中にキチンと盛り込まれ 中が(児童の視界に)見えないようにしてから開始すべきでありました。

 

 

ところで 遡れば、荻原長野市長は 新年度の訓示で「役職の上下に関わらず、おかしいことを「おかしい」といえる職場の雰囲気をつくりたい。」と述べたそうです。

その観点でいえば、今回の現状復旧工事に際し 児童の目に晒(さら)すのを防ぐ遮蔽物が無いことを「おかしい」と言う職員はいなかったのでしょうか。

そんな良識を持った職員が皆無だったとすれば…長野市職員は 一体どんな感性を持って業務に臨んでいるのかと 懐疑的にならざるを得ません。

 

今回 たったこれだけの市民対応を見ただけで、長野市の体質のようなものを改めて実感させられたところでありました。