6/23 Tue.
今年も この日が巡ってきました。さきの大戦で 約20万人もの人が亡くなることとなった「沖縄戦」から75年の歳月が流れ、この日 6月23日は「旧日本軍による組織的な戦闘が終わった日」として「慰霊の日」とされているものです。
沖縄戦で 最後の激戦が繰り広げられた糸満市摩文仁の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれ、戦没者を悼(いた)み、平和への誓いを新たにしたことが報じられていました。
苛烈を極めた「沖縄戦」については、私たちは戦後の資料映像や 当時を生き延びた方の体験談などを見聞するしか その様子を知る術(すべ)はありませんが、それ(映像や体験談)だけでも その言語に尽くせぬ現地の非情な有様(ありさま)を知らされるところです。
ましてや、あの日 あのとき、現地に居られた方々の恐怖・痛み・悲しみ・苦しみは いかばかりのものだったでしょうか。筆舌(ひつぜつ)に耐えないところであります。
今年の追悼式は 戦後75年という大きな節目となりましたが、当地も 新型コロナウイルスの影響は避けられず、式典の規模を例年の5000人から大幅に縮小し 代表者(161人)による式典を余儀なくされました。
参列者は座席の間隔を空けるなどの感染対策を取り、正午には犠牲者の冥福を祈り、1分間の黙とうを捧げている様子が伝えられていました。
追悼式では 玉城沖縄県知事が「平和宣言」として、戦争の記憶を風化させないため 沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界で共有し、さらに、人類の英知を結集し 核兵器の廃絶・戦争の放棄・恒久平和の確立にまい進しなければならないことを訴えていました。
そんな中、式典の中で 私(だけではないでしょう)が、ことさら胸を打たれたのが 地元の高校生による「平和の詩」の朗読でした。
彼女は 亡くなった戦没者を悼むと同時に、あの戦いによって亡くなった方々の薫陶(くんとう)に感謝し、そのうえで 苛烈な戦禍を耐えしのぎ 生き延びた方々への感謝の意を表していたのでした。
平和の詩「あのとき あなたが」全文
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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1142085.html
日米で 20万人にもなんなんとする戦没者は、その生命(いのち)に代えて 他者を守ってくれた。
生き延びた方々も、死が最善の美徳と洗脳された中で生命をつないでくれ、その〝勇気〟のうえに、今を生きる私たちが居る。
「居てくれること(居てくれたこと)への感謝」この言葉は、戦禍に置かれた方々への感謝であると同時に、それは 現代社会にも通じる、すべての同胞(はらから)に対する、その「存在そのものへの感謝の言葉」とも理解できる 心が込められた詩でもあったのでした。
痛み。
それは 戦争を頂点とする、人と人との争いの中で生じる〝負の感覚の象徴〟ではないか と。
それは 身体の痛み・心の痛みなど、さまざまな類(たぐい)があれど、いずれにしても 他者に痛みを生じさせるような言動は、失うことさえあれど 得るものは何も無いと言えるでしょう(武器商人などの価値観は別(論外)ですが)
沖縄戦を経て 多くの人々が味わうこととなってしまった「痛み」こんなことは 次代の者には体験(体感)して欲しくない。
そのうえで 私たち今を生きる者は、その「痛み」を伝え聞くことで 平和の大切さの意識を共有し、戦争体験者と共々に「恒久平和」を願って歩んでゆくべきと 改めて思う機会となったのでした。
あれから長い年月が流れましたが、史実は厳然としてあり 私たちは決して忘れることなく、次代に継ぐ責務を有しているのであります。