倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

沖縄本土復帰50周年 =政治がいかにあろうとも 人々(民間人)を犠牲にしてはならぬ=

2022-05-16 | 日記

今年の5月15日は、沖縄(県)が、米軍の統治下から日本(本土)に復帰してから50年の節目の年を迎えた日です。

 

 

 

 

この日、いち日本人として 沖縄の本土復帰について思いをいたすと同時に、現下の社会(世界)情勢においても 戦争などの有事における「民間人の犠牲」について考えることとなりました。

 

1945年8月、4年に亘って戦禍にまみえた太平洋戦争は 日本軍の無条件降伏によって終結、日本全土は 米国を中心とする連合国に占領されることとなりました。

その後 米軍は全国各地に駐留しましたが、1952年には 日本と米国(連合国)と結んだ「サンフランシスコ講和条約」によって独立することになります。

しかし、沖縄・奄美・小笠原については連合国の属下に留め置かれることに。

さらに その後、奄美は53年に復帰・小笠原は68年に復帰するも、沖縄だけは日本から切り離されたままにされることとなってしまいました。

 

と いうのも、ご案内のとおり 沖縄は、今も昔も 米軍(米国)にとっての〝太平洋に要石(ようせき)〟であったからです。

当時は 米ソ東西冷戦の時代、米軍は沖縄を アジア大陸を牽制する「基地の島」として軍事拠点化しました。

その〝統治〟は 沖縄に暮らす人々を無視する形で強行されました。基地を造成するために 地主の同意なしに土地を接収できる「土地収用令」を公布、武装兵が住民を強制排除し ブルドーザーで田畑や家屋をつぶして基地に変え、その強権ぶりは「銃剣とブルドーザー」と呼ばれるほどでありました。

 

 

 

そこには日本国憲法は適用されず 立法・行政・司法といった施政権は米国が握ったままで留め置かれ、沖縄は 終戦後もいわば米国の植民地と化していましたが、その施政権が 1972年、ようやくの形で日本に返還され「沖縄の日本復帰」が実現しました。

当時の佐藤栄作首相が 日本の首相として戦後初めて沖縄を訪問(65年)した際「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていない」と演説したことは知られていますが、その後 米側との「核」の扱いについて密約が交わされるなどの様々な経過を経ながら、今も沖縄(県)は、日米の軍事の要衝としての位置づけは変わらないまま 現在に至っています。

 

戦後七十有余年・沖縄復帰後50年が経過し、私たち本土(という呼び方はいかがなものと思いますが)の者を含めた日本国民は 一見的には平和社会を享受しています。

しかし 一方で私たちは、そのような状況を何の違和感もなく甘受すべきではないとも考えるところです。

例えば 今回の沖縄本土復帰に際しても、その〝成果〟は (それは第二次大戦までにも遡(さかのぼ)ったうえて)多くの沖縄県民(民間人)の犠牲のうえに成り立っている 紛れもない事実があるのです。

 

そして 奇(く)しくもそのこと(民間人の犠牲)が、現下のウクライナ情勢においても行なわれているのは残念に尽きないところです。

一部(もっと言えば一人)の政治(家)の思惑によって引き起こされた戦禍は、軍vs軍の争いに止(とど)まらず 多くの民間人を巻き込む惨事に発展しています。

その惨状は 見るに堪えないものばかりでありますが、一方で「ウクライナ勝利のためには民間犠牲はやむを得ない」との考えが ウクライナ国内においても(国民の間にも)共通認識としてあることは、ウクライナ国民の愛国心として他言するところではありませんが、今回の不測の事態に接するにあたり、私(だけでなく)は さまざまな政治的行動よって引き起こされる「民間人の犠牲」について考えざるを得ませんでした。

さきの第二次大戦における国民(民間人)の犠牲・沖縄の本土復帰までの沖縄の方々(民間人)の犠牲・そして 現下のウクライナ情勢における民間人(ウクライナ国民)の犠牲と、とりわけ国vs国との争いの中で発生している民間人の犠牲は、残念なことに いずれの史実も、それ(民間人の犠牲)を避けられないままに推移しているところです。

 

そして このこと(民間人の犠牲)は、大なり小なり 政治(行政)が行なう施策の中にも見られるところです。

さきのブログでも触れましたが、法整備の未達による不測の災害や事故の発生に伴う民間人の犠牲・生命の危険とまではゆかなくとも、例えば区画整理事業等における家屋の移転解体・施設建設に伴う日照権の侵害・新たな道路の開通に伴う騒音や振動の問題等々、行政施策の推進(施行)により 人々(民間人)の平穏な生活に犠牲を強いる事案は引きも切らないところでありましょう。

れだけに、政治に身を置く者は それぞれの施策を進めるにあたり、いかほどの人たち(民間人)が いかほどの犠牲を強いられるものか、にも思いをいたして 事(こと)に当たらなければならないと強く認識するところです。

「全体の推進のためには、多少の犠牲はやむを得ない」との考えは傲慢(ごうまん)そのものであり、そんな 一方だけに光を当てた事業の推進は、やがて大きな誹(そし)りを受けることになると考える中で、これからも いわば双方向に目を配った中で政(まつりごと)に臨んでゆくべきと 改めて思いをいたした「沖縄本土復帰の日」でありました。

 

 

 

 

 

 

◆長野市コロナ報告

5月14(土)・15日(日)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

5/14(土) 長野市におけるコロナ感染症の発生(70人/市16127~16196例)について

                           [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/747444.pdf

 

 

 

5/15(日) 長野市におけるコロナ感染症の発生(97人/市16197~16293例)について

                           [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/747450.pdf