倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

関東大震災から100年 未だ繰り返される自然災害に対峙する「マイタイムライン」の重要性

2023-09-04 | 日記

さきの9月1日は、わが国の中枢を成していた(いる)東京直下/首都圏に 未曾有の被害をもたらした「関東大震災」から100年が経過した日でありました。

1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分頃に発生した大地震は、東京都や神奈川県を中心に 火災・建物倒壊・土砂災害などの大規模かつ多様な被害を一斉に発生させ、実に10万人を超える住民が犠牲となってしまいました。

その後 この日は「防災の日」とされ、各地で防災訓練が行われるなどして 震災そのものは国民の間に定着しています。が、もはや当時を知る人も少なくなり、首都圏直下型地震の実際の恐ろしさは風化しつつあるようです。

この日、あの未曾有の大震災から100年の大きな節目を迎えるにあたり 私たちは起こった事実を改めて回顧し、首都圏を再び大地震が襲う恐れ/怖さを再認識し この際は世代を超えて記憶を受け継ぎ災害に備えなければならないと思うところです。

 

 

 

気象庁や内閣府などの資料によると、関東大震災の震源は神奈川県西部 深さ23kmで、マグニチュードは7.9に及んだとのこと。東京府(当時)と埼玉・千葉・神奈川・山梨県が震度6に及び、北海道や中国・四国地方にまで及ぶ広範囲で揺れを記録したそうです。

自然災害においては「発生時刻」が 被害の大小や被害の類別を左右すると申せます。

さきの「阪神淡路大震災」は早朝の食事用意どきに伴う火災発生・「御嶽山水蒸気爆発」は行楽時期の休日の昼どきに伴う人的被害拡大など、いつなんどき(災害が)起きるかで 不測の被害拡大を招くことを、私たちは思い知らされています。

で、この関東大震災においても然り。大正は9月の昼飯前 炊事の煮炊きに火が使われている時刻(11時58分頃)に発生した大きな揺れは、ただ揺れるだけではなく 火のついた五徳(ごとく)をひっくリ返して火災を発生させ、そこに 折しも襲来した台風の影響による強風を受け(火災が)拡大し、地震による揺れ・その多くが木造建築だったことで類焼の拡大・津波などによる家屋流出などで約30万戸が何らかの被害を受けたそうです。

無論、電気・水道・道路・鉄道などにも甚大な被害が発生しました。

 

 

 

さらに、震災の前日にはまとまった雨が降ったことから 山地や丘陵で土砂災害が多発、、神奈川県小田原市では列車が海に転落したり「震生湖」ができるなど、地形が大きく変わり、さらに房総から伊豆半島東岸にかけて12mにも及ぶ津波が発生したそうです。

 

このように「未曾有」といえる関東大震災でしたが、その(災害の)歴史は 残念ながら今も繰り返されています。

大きなものでは 前掲の「阪神淡路大震災」や「東日本大震災」、類(たぐい)は違いますが「東日本台風」などの水害、また(前掲の)「御嶽山水蒸気爆発」など、私たちの暮らす社会においては いわば否応なしにさまざまな災害が降りかかっているのが現状です。

そんなとき、私たちはどうやって我が身を守ればいいのでしょうか。

 

このことについては、余りに規模の大きい災害の場合は どうすることもできない面はありますが、私とすれば、せめて 自衛と自覚のためにも「マイタイムライン」を推奨するところです。

「マイタイムライン」とは、各々が暮らす地域の地勢や それぞれの生活環境に合わせた形で、自分なりの避難行動を予(あらかじ)め決めておくものです。

 

 

 

この いわば自主計画は、イザというときに慌てずに行動することができ 画一的でない「自分なりの避難計画」として非常に有効であることから、この際は 個々人が自分の生活を基本としたうえで、計画づくりに臨んでもらうことが強く求められています。

 

 

 

私といたしましても、この「マイタイムライン」を推奨したうえで、それらを蓄積した「地区マイタイムライン」などにイイ意味で派生させたうえで「自分の身は自分で守る・地域の安全は そこに住む人たちの目線で保持する」を念頭に(進)勧めてゆきたい、と、関東大震災から100年を契機に 改めて思いをいたしたところであります。

 

[参考]長野市の資料(HP)/マイタイムラインをつくってみよう!

   ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/documents/1067/702852_1205966_misc.pdf

 

行政(自治体)においては、例えば河川の河道掘削や排水機場の整備・また火災に備えた機器やインフラ整備などのハード面を、一方で住民(市民)は「マイタイムライン」などのソフト対策や防災・減災意識の醸成を担うなどしながら、それぞれの立場で重層的な取り組みを行なうことで、より安全な社会づくりが進むと考えるところです。

 

過去において、また全国各地で起きるさまざまな災害。

自分の住む地域以外で起きた報を聞いたとき「ウチの地域じゃないから関係ねー」で済まさず、常に他山の石(自分事)と捉え 被災地(者)と痛みを共有しながら事象に向き合いたい。

それがまた「思いやり社会」にもつながると思うのです。