倉野立人のブログです。

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青木島遊園地存廃問題 =否応なく進められる廃止に向けた動き=

2023-04-08 | 日記

大きな社会問題となっている「青木島遊園地存廃問題」ですが、長野市は 新年度を迎えたのを待っていたかのように、施設(遊園地)の廃止に向け動き出すことになっています。

 

私自身 これまでも遊園地の存続を願う会の方々に乞われ、また 私自身も、今回の事(こと)の運び(運び方)に大きな疑問を抱く中で 遊園地存続を願うみなさんの意に共感し、存続活動の いわば後方支援を担わせていただいています。

 

先日には「存続を願う住民有志の会」の方々が、改めて市に対し「公開質問状」を提出しました。

 

 

 

※質問の内容については、別枠(後掲載)に載せております。

公開質問状にあるとおり「願う会」の方々は、市が遊園地廃止に いわば突き進んでいる経過について 未だに疑問を投げかけておられます。

そして、その 何とも言えない〝納得できない感〟は、決して かかる願う会の方々だけでは無く、私も含め 多くの市民の方々にとっても同様の感…未だ胸の内に燻(くすぶ)り続ける悪しき共通認識であろうと思います。

本来であれば、未来ある子どもの居場所を守るべき大人…それも地域自治を担うべき公僕の者が 自分たちの手で(子どもの居場所を)奪おうとする所作は、到底納得できないどころか そこに大きな違和感と疑問を禁じ得ないところであります。

で さらに悪しきことは、市(市長)は それが望まれないことと判っていながら〝大人の事情〟をもって(遊園地廃止を)強行しようとしている。

さらにさらに悪しきことには、それら(遊園地廃止)について「行政手続き上は瑕疵(かし)は無い」とし、形式上では問題ないことを錦の御旗と掲げ いわばブルトーザーが整地するかの如くに事(こと)を進めようとしているのです。

その所以(ゆえん)をもって、未来ある子どもたちの放課後の健全育成をひたすらに思う「願う会」の方々は このままの状態を看過すれば、この遊園地の存廃問題に止(とど)まらず、長野市自体の 子育て(子育ち)に向き合う姿勢そのものが問われることになってしまうことに大きな危機感を抱いておられるのです。

「願う会」の方々は、単なるワガママやエゴを根拠に遊園地の存続を求めているのではないのです。

 

 

その一方で、長野市においては 青木島遊園地の廃止に向け、更地化の工事に着手することが明らかになりました。

 

 

 

これまでの経過の中で、一見すると 市(市長)は「これまで 苦情対応など努力を重ね、住民説明会も開いて最善を尽くした」としているところですが、ヨク見れば(顧みれば) いわゆる肝心な部分は省いたままに事(こと)を進めようとしていることが見て取れます。

それは何いう「説明責任」でなないか と。

市(市長)は、遊園地の存廃がハッキリしない中 いわば〝生煮え状態〟の状況では住民説明会を行ないましたが、その後の〝どんでん返しの廃止宣言〟の後は 住民と向き合うこと無く、議会や記者会見・百歩譲っても区長会に説明しただけで事態をやり過ごそうとしており、いわゆるエンドユーザーたる市民への具体的なフォローも無いままに 更地化の工事計画を進めようとしているのです。

この顛末において、市は説明責任を果たしていると言えるかどうか。

答えは「否(いな)」でありましょう。

 

さらに言えば 市(市長)は、青木島遊園地を廃止する代わりに「子どもの居場所を隣接小学校の校庭に確保する」とした〝公約〟を果たさないままであり、遊園地は廃止されるも 子どもの居場所は未だ担保されないままに推移している(させている)ところなのです。

 

事(こと)は既に佳境に入っているのかもしれませんが、このままを許せば 長野市は将来に大きな禍根を残すことになるでしょう。

 

さらに言えば、今回の案件を通じて、かかる遊園地存廃問題に止(とど)まらず 市行政に内在するさまざまな問題…いわば膿(うみ)のようなものが見えてきました。

行政手続きの陰(かげ)にある(行政の)本質・情報公開のあり方⇔「公文書」の意義とその信憑性・区長会を隠れ蓑にした「住民説明」の問題 等々「これでイイのか」という事柄の数々には、市行政に対し危機感すら覚えるところです。

 

私自身「願う会」の方々の活動を支援しながら、その先にある さらに大きな(根深い)課題を感じ取り、そのことに対し如何(いか)に取り組むべきかを更に思慮するところであります。