定かではないが、7、8人の兄妹の末っ子に当たる母はついに一人だけ残されることになった。
母の最後の姉が89歳で亡くなった知らせが届いた。それが20日。
23日の夜になると、母は思い出すように亡くなった姉の事を話し始めた。
この世で親も兄弟も亡くなってしまったというのに、
何だか悪口のような悪たれをつく。
しょうもないなぁ~と思いながら縫物をしながら聞く。
悲しいとか悔しいとか、そういう感情はあるのかもしれぬが、そういう感傷的な話にはならない。
既に叔母が寝たきりで誰の存在も認識しないくらいになってしまっていたのはだいぶ前から知っていて、いつ逝くともしれぬと覚悟は出来ていたのかもしれない。
何故か、あの時は・・・・云々。。。。
可笑しかった事や腹立たしかった事など、ピンキリの話だけなのだ。
だから、話が途中から可笑しくて笑ってしまったりもする。
死者に対してまぁ~憎まれ口ばかり(笑)いいのかいね?(笑)
80も過ぎたりすると、こんな風にオモシロオカシク話せるようになるんだろうか?
戦争時代の姉の事、父親の事、近所の小父の事、戦死した兄の事、兄嫁の人格の素晴らしきこと、母親の仁徳・・・嘆き・・・しぐさ。
その頃に生きてた頃がシンクロするんだな・・・
実に実に興味深くオモシロい。
オモシロいとか可笑しいとか言ったりしたら失礼なのかもしれないが、
だって何だか笑えたりするんだもの・・・(^_^;)
姉の思い出と他の家族との思い出が交錯するんだなぁ・・・っつうか、繋がるんだねぇ。
母は戦死した兄の事を沢山話してた。
そしていつの間にか涙ぐんだりしてる。
妙な話だが、
姉の死を通して、その向こうで生きていた幼い自分がイキイキと蘇るのだろう。
そうして自分の長く生きてる人生を重ねて感情が噴き出すのだろう。
そっか、ついにあれも逝ったか・・・などと時々合いの手のように会話に出てくる。
幾ら喧嘩をしても、幾ら姉キ風を吹かれても、
とにかく怒られないように、嫌われぬようにと気遣う末っ子の気質をバンバン出して話す。
へぇ~・・・母にはそんな気質があったのかぁ~・・・何だか別人みたいだ(笑)
むかぁ~しむかし・・・と、昔語りを聞いているような気分になる。
戦死した兄の長男が早くに亡くなった時、母と能代に居たもう一人の母の姉を連れて今は亡くなった姉の元に行った事がある。
私は婆二人を引率する世話役だった。
あの頃一人暮らしをしていた叔母だった。
生き残り姉妹が三人、夜遅くまであれこれお喋りして、あ~オモシロいね~と言い合ってた。
翌日はお葬式なのに・・・お喋りが止まらなくてさ~
いつまでたっても寝ないでよもやま話。ホントに女三人寄ればカシマシイのである。
私は引率者だから妙に蚊帳の外でさ・・・話には入れない(笑)
あれが叔母に会った最後だろうか・・・10年も前の話だ。
その時の叔母が呆れるように引率して行った私に笑い掛けていた。
呆れる姉妹ださ。可笑しいべ?と。
母の実家で数年過ごした私が小学1年の頃、叔母の家に時々遊びに行ったりした。
私にも思い出はそれなりに残っているんだけどさ。
いつか、いつか私と妹もそんな風に笑い合う時が来るのだろうかねぇ・・・しかし、私には妹しか居ないなぁ~・・・妹には子はいないし・・・
う~~ん・・・
さて、妹が先か私が先か・・・昔々のよもやま話・・・笑える通夜の土産話の一つでも残しておかねば悪いかなぁ~・・・なんて(^^ゞ
で、翌日、何だか昨夜は眠れなかったな~、そう言えば昨日は通夜だったなぁ~と母。
あら、私・・・な~んかザワザワして眠れなかったんだよねぇ。
ん?カタカタ風も無いのに音がしてたね。私も変だと思ってたと妹。
この女三人カシマシイ親子の母の結論・・・
あぁ、来たんだな。
げ・・・来てたんかぃ・・・こぇぇ~~(^^ゞ
母の最後の姉が89歳で亡くなった知らせが届いた。それが20日。
23日の夜になると、母は思い出すように亡くなった姉の事を話し始めた。
この世で親も兄弟も亡くなってしまったというのに、
何だか悪口のような悪たれをつく。
しょうもないなぁ~と思いながら縫物をしながら聞く。
悲しいとか悔しいとか、そういう感情はあるのかもしれぬが、そういう感傷的な話にはならない。
既に叔母が寝たきりで誰の存在も認識しないくらいになってしまっていたのはだいぶ前から知っていて、いつ逝くともしれぬと覚悟は出来ていたのかもしれない。
何故か、あの時は・・・・云々。。。。
可笑しかった事や腹立たしかった事など、ピンキリの話だけなのだ。
だから、話が途中から可笑しくて笑ってしまったりもする。
死者に対してまぁ~憎まれ口ばかり(笑)いいのかいね?(笑)
80も過ぎたりすると、こんな風にオモシロオカシク話せるようになるんだろうか?
戦争時代の姉の事、父親の事、近所の小父の事、戦死した兄の事、兄嫁の人格の素晴らしきこと、母親の仁徳・・・嘆き・・・しぐさ。
その頃に生きてた頃がシンクロするんだな・・・
実に実に興味深くオモシロい。
オモシロいとか可笑しいとか言ったりしたら失礼なのかもしれないが、
だって何だか笑えたりするんだもの・・・(^_^;)
姉の思い出と他の家族との思い出が交錯するんだなぁ・・・っつうか、繋がるんだねぇ。
母は戦死した兄の事を沢山話してた。
そしていつの間にか涙ぐんだりしてる。
妙な話だが、
姉の死を通して、その向こうで生きていた幼い自分がイキイキと蘇るのだろう。
そうして自分の長く生きてる人生を重ねて感情が噴き出すのだろう。
そっか、ついにあれも逝ったか・・・などと時々合いの手のように会話に出てくる。
幾ら喧嘩をしても、幾ら姉キ風を吹かれても、
とにかく怒られないように、嫌われぬようにと気遣う末っ子の気質をバンバン出して話す。
へぇ~・・・母にはそんな気質があったのかぁ~・・・何だか別人みたいだ(笑)
むかぁ~しむかし・・・と、昔語りを聞いているような気分になる。
戦死した兄の長男が早くに亡くなった時、母と能代に居たもう一人の母の姉を連れて今は亡くなった姉の元に行った事がある。
私は婆二人を引率する世話役だった。
あの頃一人暮らしをしていた叔母だった。
生き残り姉妹が三人、夜遅くまであれこれお喋りして、あ~オモシロいね~と言い合ってた。
翌日はお葬式なのに・・・お喋りが止まらなくてさ~
いつまでたっても寝ないでよもやま話。ホントに女三人寄ればカシマシイのである。
私は引率者だから妙に蚊帳の外でさ・・・話には入れない(笑)
あれが叔母に会った最後だろうか・・・10年も前の話だ。
その時の叔母が呆れるように引率して行った私に笑い掛けていた。
呆れる姉妹ださ。可笑しいべ?と。
母の実家で数年過ごした私が小学1年の頃、叔母の家に時々遊びに行ったりした。
私にも思い出はそれなりに残っているんだけどさ。
いつか、いつか私と妹もそんな風に笑い合う時が来るのだろうかねぇ・・・しかし、私には妹しか居ないなぁ~・・・妹には子はいないし・・・
う~~ん・・・
さて、妹が先か私が先か・・・昔々のよもやま話・・・笑える通夜の土産話の一つでも残しておかねば悪いかなぁ~・・・なんて(^^ゞ
で、翌日、何だか昨夜は眠れなかったな~、そう言えば昨日は通夜だったなぁ~と母。
あら、私・・・な~んかザワザワして眠れなかったんだよねぇ。
ん?カタカタ風も無いのに音がしてたね。私も変だと思ってたと妹。
この女三人カシマシイ親子の母の結論・・・
あぁ、来たんだな。
げ・・・来てたんかぃ・・・こぇぇ~~(^^ゞ