kyon's日誌

つれづれに・・・

手の動き

2015年12月14日 | 日記
昨夜はグランプリフィギアスケートを見て、凄いものを見てしまった感じで・・(^^ゞ
羽生君の素晴らしきこともさることながら、あり得ないと思ってた点数ですものねぇ・・・驚く驚く・・・(^^ゞ
でもワタシは、初のグランプリで3位の宇野昌磨君の演技がとても心に残りましたねぇ・・・あの良き気迫・・・テレビ画面からでも伝わるんですねぇ・・・会場で見ていたファンはどんな気分だったでしょう・・
いや、ホントに素晴らしくて・・・凄いね~(^^ゞ

ところで、少し横道に反れるけど、
選手達の手の動き、指の細部まで神経を行き渡らせてる動き・・・あれは見てても色々に思いをかき混ぜる時があるなぁ・・・などと(^_^;)
まぁ足元を見ても解説者の見方のような真似は出来ない。
上体と下腿が繋がる感覚だけはおぼろげに分かるような・・・(笑)
で、手、指先・・・

何で気になるかというと、太極拳でも手指のことも言われる事があるからなんですが・・・
どうも体の中の勁力を通すことでしか手指の動きの美しさは出ないんですね・・
足元から上体に繋がって指先まで繋がれる・・ワタシらはこれを「身法」と言いますが、これがねぇ~・・・中々難しい。
コメンドクサイ理論は避けますが・・・もっとも、ワタシに簡単に説明出来るほど単純でもないので(笑)

動いてる時は意識もせずに何故か手も指も自然に動く訳ですが、
例えばロボットの世界で、腕と手が人間に近い動きが出来るように作られたりする部分ロボットを見たりすると、実は思うように自由に動かせる・・・というのは困難なんだなぁ・・・
手というのは何気に動く時には不自由感も無く気ままに動かせる。
けれど故障したりすると、小指一本でも不自由を感じる。
普段は気にも留めないけれど、使えないとホントに困る・・・

何かを表現する手というのは、何もそこには無い気がしてるけど、本当はそこにも体中から集まる神経があって、それを美しく見せたり演技したり出来ることは、体の中と繋がるから出来ることなんだと、あらためて思う訳です。

絵を描く時もフリーハンドというのは厄介だったりする・・
書をしたためる時もそうだろう・・舞踊を志す人もその動きには意識を高く持たねばならない・・・

まぁ、自分の手をそうしてつくづくと眺めると、あら、こんな無骨な手でもちゃんと動いてくれるのはありがたい・・・ね・・・
演技者ではないけど、もう少し労わってやろうかしらね・・(^^ゞ
コメント (10)
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