kyon's日誌

つれづれに・・・

濡れた地面に

2015年11月09日 | 日記
今朝も地面が濡れて黒々と元気そうじゃないか。
乾いた地面はやだな・・・なんて、ふと思った。
元気はどこから来るんでしょうね・・・なんてね・・・
そうだ、この大気の中から毎日毎日生まれているんだ・・・と思う。
では、ワタシの元気はどこから来るのだろう?
ワタシの元気はこの大気の「気」の中から分けて頂いているのだろう・・・なんて、ふと思う。ふ~む・・・生かされているのだねぇ・・などと。

生きてることはありがたいとばかり素直に言えない様な人の中で生きているけれど、続けているとその中には楽しい事も嬉しい事もあるし、そりゃぁ、少しは悲しいことも辛いこともあるけれど、それでも、
総ての生きてる過程で「感じられる」という感性だけはありがたいと思える。
それこそ、生きて自分がここに居るという実感・・・がいい。

心は勝手に様々を思うように出来てる・・それがいいのだろう。。。
欲深であれもこれも欲しくて、いっとき、手に入れたモノは嬉しいのに、ずぅ~っと嬉しい訳でもない、飽きるというのもいい。
好きだなぁと思ってたのに、嫌いになるモノもあり、捨てても惜しくないと思えるのもいい。
ただ、自分で捨ててしまえぬだけだ、その情も悪くない・・・悪くないなぁ~と思えたら、それは自分がまだ腐り切っていない証拠のような気がしてね・・・それがいい。

ワタシは多分、終活はしないかもしれないなぁと、元気な今は思う。
自分で捨てられないものが沢山あって、それらを一々整理整頓したら、さびしいじゃないかと思うワタシが居る限り、出来ないな。
そういうややこしい感情を残したくない方も居ようが、ややこしいのを感じなきゃツマラナイ気がする。

昔、亡くなった友と話した。
逝く時はす~っと消えてなくなればいいね~・・・なんて。
けれど、そんなことは出来なかった友。
ある程度の捨てても構わないものは捨てたかもしれない。けれど殆どは志半ばで残して逝った。
二人の娘と自閉症の兄と、わからんちんの夫はその彼女の残したものの中で何かを思った筈だ。それで良かったと思う。
で、残したものを恨んでる訳ではない風だ。
きっと彼女の居なくなった時間が彼らの負の感情を昇華させたのだ。
時々、バッタリと彼女の娘に出会うことがある。
娘さんの顔や素直な感情がほとばしる輝きを見て取れる。嬉しい。

人は其々の過程を経て、必ず昇華させる強さを根に持っているような気がする。
そこを信じたい。
今はこんな風に受け止めている。。。

それはワタシの元気が戻ってきてるという証拠かな~。受け止める覚悟が出来つつあるという事なのだとしたら、、、
そう、まだもう少しはイケるじゃんワタシ、と感じるのがいいかも、な(笑)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする