この季節、お風呂が好い季節でもあるな~(^^ゞ
長風呂が出来ないタイプだ。
長く浸かっていることが苦手だ。母にも驚かれる。
ほぉ~~っ!!な~んとぉ~!どこあたり入ったのかい!しっかりぬぐだまったのが?(温まったか?)
そうなんだよねぇ・・・せっかく温泉に行っても、長風呂が出来ない(^^ゞ
お金掛けて時間掛けて行ってるのにさ、
別にお風呂は嫌いじゃないんだけど、私にはちょっとお風呂は勿体な~い感じだ(笑)
もしかしたら何か私自身が分かってないトラウマでもあるのかと、実は自分でも変だなぁ~と思ってはいる。
長風呂が出来ないのはタンパラ(短腹)だとか、せっかちだとか言われるが、
取り立てて短気な奴でもないしなぁ~・・・
せっかちというほどせっかちでもない気もするしなぁ~(笑)
何故に風呂だけが短いんかねぇ~?(笑)
分からんのよ(笑)
で、一応は、ちゃんとぬぐだまってる感あるし~(笑)
骨が温まれば好い・・・っつう感じで、それは自分の感覚でしかないからなぁ~(笑)
子供の頃は自宅に風呂は無かったからね、毎日入ることが出来なかったね。
お風呂のあるうちは金持ちっぽくてね、アパート暮らしの自分らは銭湯に行くのが常で、それも毎日は行けない経済的に貧しくてな~(笑)
祖母の家に預けられていた頃も、実際はお風呂はあったのに、お客様用で、家族が勝手に使われないお約束があったように記憶してる。
祖母の家族も銭湯まで行くのが常で、毎日ではない。
それでも楽しみではあった。特に冬はドンブク(綿入ればんてん)を着て襟巻して手袋つけて、その他にカクマキ(毛布地で出来た防寒用)を叔母と一緒に包まったりしてさ・・・白い息を吐きながら、転ばぬように一つの塊のように歩いて行ったんだっけねぇ(笑)
道々色々な話を聞いたり笑いながら歩いた記憶。
銭湯のオバちゃんも覚えてて声を掛けてくれる。
大きな湯船の奥には壁に絵が描いてあってさ、あの絵は何の絵だったか思い出せない。
天井も高くてね、洗い場には専用の小さな桶が積んであって、家族分持って来て、祖母の背中を流したり、自分が洗って貰ったり、また直ぐに出るお湯が珍しくて嬉しくてね。
祖母の家は水道を引いてなかったから、大きな木の蓋付き水甕が炊事場にあって、近くの井戸から天秤で水を担いで来てその大甕に溜めて、大きな柄杓で必要な分の水を使っていた。
随分と不自由で、けれど人の心はのびやかで豊かだった気がする。
いつも誰かが働いているけれど、誰かが必ず声を掛けてくれてた気がするし、淋しいとは少しも思わなかった。
母の元に来た時の六畳一間のアパートの狭さと共同炊事場の不自由さ、石油コンロでの煮炊き・・水道はあったけれど、その頃の私には母と暮らす楽しさよりも何だか淋しかった気がする。
こんなはずじゃなかったような気もしていたんだった。
今では水道も当たり前、お風呂も当たり前だ。
あって当然の生活はけれど、慣れてしまえば何だか案外つまらん気もするのは何故かな~(^^ゞ
長風呂が出来ないタイプだ。
長く浸かっていることが苦手だ。母にも驚かれる。
ほぉ~~っ!!な~んとぉ~!どこあたり入ったのかい!しっかりぬぐだまったのが?(温まったか?)
そうなんだよねぇ・・・せっかく温泉に行っても、長風呂が出来ない(^^ゞ
お金掛けて時間掛けて行ってるのにさ、
別にお風呂は嫌いじゃないんだけど、私にはちょっとお風呂は勿体な~い感じだ(笑)
もしかしたら何か私自身が分かってないトラウマでもあるのかと、実は自分でも変だなぁ~と思ってはいる。
長風呂が出来ないのはタンパラ(短腹)だとか、せっかちだとか言われるが、
取り立てて短気な奴でもないしなぁ~・・・
せっかちというほどせっかちでもない気もするしなぁ~(笑)
何故に風呂だけが短いんかねぇ~?(笑)
分からんのよ(笑)
で、一応は、ちゃんとぬぐだまってる感あるし~(笑)
骨が温まれば好い・・・っつう感じで、それは自分の感覚でしかないからなぁ~(笑)
子供の頃は自宅に風呂は無かったからね、毎日入ることが出来なかったね。
お風呂のあるうちは金持ちっぽくてね、アパート暮らしの自分らは銭湯に行くのが常で、それも毎日は行けない経済的に貧しくてな~(笑)
祖母の家に預けられていた頃も、実際はお風呂はあったのに、お客様用で、家族が勝手に使われないお約束があったように記憶してる。
祖母の家族も銭湯まで行くのが常で、毎日ではない。
それでも楽しみではあった。特に冬はドンブク(綿入ればんてん)を着て襟巻して手袋つけて、その他にカクマキ(毛布地で出来た防寒用)を叔母と一緒に包まったりしてさ・・・白い息を吐きながら、転ばぬように一つの塊のように歩いて行ったんだっけねぇ(笑)
道々色々な話を聞いたり笑いながら歩いた記憶。
銭湯のオバちゃんも覚えてて声を掛けてくれる。
大きな湯船の奥には壁に絵が描いてあってさ、あの絵は何の絵だったか思い出せない。
天井も高くてね、洗い場には専用の小さな桶が積んであって、家族分持って来て、祖母の背中を流したり、自分が洗って貰ったり、また直ぐに出るお湯が珍しくて嬉しくてね。
祖母の家は水道を引いてなかったから、大きな木の蓋付き水甕が炊事場にあって、近くの井戸から天秤で水を担いで来てその大甕に溜めて、大きな柄杓で必要な分の水を使っていた。
随分と不自由で、けれど人の心はのびやかで豊かだった気がする。
いつも誰かが働いているけれど、誰かが必ず声を掛けてくれてた気がするし、淋しいとは少しも思わなかった。
母の元に来た時の六畳一間のアパートの狭さと共同炊事場の不自由さ、石油コンロでの煮炊き・・水道はあったけれど、その頃の私には母と暮らす楽しさよりも何だか淋しかった気がする。
こんなはずじゃなかったような気もしていたんだった。
今では水道も当たり前、お風呂も当たり前だ。
あって当然の生活はけれど、慣れてしまえば何だか案外つまらん気もするのは何故かな~(^^ゞ