kyon's日誌

つれづれに・・・

心のメモ

2013年10月12日 | 日記
事故があったとか、事件があったとか、政治家の発言がどうだとか・・・
そういうニュースに母は必ず反応する。
最近の女学生の殺傷事件、北海道の電車事故、福島の汚染、病院の火事、TPPでの政治家の発言・・・
ふぅ~む・・・
母は世の中の出来事に反応する力がまだまだ衰えない。
世の中としっかり関わってる感が強い。
年だから、もう、自分の事だけしてりゃいいものを、そんな訳にはいかぬというハッシとした気概があるようにも感じる。自分の意志があり、どうしたらいいのかと悩み過ぎる感はあるが、じゃぁ、どうしたいの?という問いに決断する気力があり、何かあればそれに関わろうとする気持ちだけはあるようだ。
例え、それが気持ちだけの空回りだとしても。

私は間違っていたような気がする。
年と共に忘れる事が多くなり、出来ない事だらけになって行く中で、自分の心を制御し、我慢し忍耐しているうちに自然に老いを受け入れて、ある人は認知が進み、ある人は体の自由が奪われ、加齢による障害の為に病を得たりして、人は段々に老いて逝くもののように簡単に捉えていた。
けれど、
今日は出来ても明日は出来なくなる不安を抱えながら、
忘れっぽくなる自分の記憶を取り戻すかのように記憶を辿る、
トイレの回数の多さに嘆く、糞詰りに怒りを、失禁を恥じ、
どうしてこんなにも何も出来なくなるかと悲しみ、
もはや何の役にも立たなくなったのに生きねばならないのかとボやく。
けれど食べれば旨いとかまずいとか感じ、
好きな物が食べられると嬉しいし、たまには病を苦にせずに食べてしまって血糖値が上がったりすると、どうせ先行き長くは無い人生だ、食べたい物を一杯食べらいいという医者の嫌味に傷つき、
悔しいと腹を立て、悲しけりゃ人の倍は涙を流し、
整骨院でお尻を出させられて電気を掛ける屈辱を思い、
けれども、
抗いながら毎日を懸命に生きてる姿は、老人の多くは人生を全く諦めてしまったのではないことを証明している。

社会的な地位のある老人などは一からげに老人という言い方をしないのだろうけど、
庶民で一平民の母の日常は、老いゆく老人である。
毎日何かを諦めたり失ったりしながらも自分という人生をただ淡々と或いは必死で生きてるだけ。
その事に意味は無いようにも感じたりすることもあったから、
早いこと人生を終わってもいいような気もしてた自分は、
やはり間違ってたのではないかと思わせられる。

如何に今をキープさせ、これ以上のボケや気力の無さを起こさせないように・・・なんてエラそうに思ってた娘の私は恥ずかしい。
母の感情はややもすれば私より豊かなのではないか?
そしてそれは今も薄れていない。
母の過ごした人生の大方は、子供の為にという大義名分を隠れ蓑にして(笑)、
案外、しぶとくその時々の自由を謳歌してたんだということを垣間見たりすると、な~んだぁ~と軽んじたりして笑い飛ばしてしまうが、
それは私の誤魔化しだ。
多分、母のように懸命に生きてはいないという、いい訳をしたくないからに過ぎない(笑)

多感な青春時代に戦争があり、17で望まれたとはいえ、農家に嫁ぎ、女遊びの好きな亭主と、鉈や鎌で親子喧嘩をする舅家族の様にカルチャーショックを受け、思わず赤子の兄を落としてしまったとかさ、
嫌で嫌で幾度も逃げ帰った実家に、何度も迎えに来られてさ、
つまりは自分の意志を貫けないまま、あてがわれた人生を受け入れるしかなく。その波乱万丈な人生の一端を聞かされる。
へぇ~とか、ほぉ~とか・・・
つい笑い話のように聞き流してしまう自分だが、
確かに母はそのような人生を懸命に生きて来たのだわよね・・・
私の心の手帳には、このことをメモしておこう・・・なんてね(^^ゞ
コメント (4)
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