恒例になった相方さんの実家(鹿屋)で過ごすお盆の帰省、今年は高速料金1000円の影響で例年以上の渋滞が予想されるとテレビで散々言うものだから、
「これは避けないかんね」
と12日仕事が終わってから手土産の買出しをし、少し長~い夜のドライブをする事に。
おかげで渋滞は一度も無かったものの、深夜でも九州道は上下ともさすがに車のライトが切れることは無かった。
そして立ち寄ったパーキングは何処も満車で駐車待ちの車で溢れ、結局熊本を過ぎるまで我慢?・・・ガソリンだけ給油して星空が見え隠れする空を眺めつつの移動となった。
「そう言うたら13日の未明が一番流れるらしいわ」
「何やら流星群か?」
「もしかしたら見られるかも知れんねぇ」
なんてことも話しつつ八代(やつしろ)から23個続くトンネル郡を過ぎ、やがて人吉から熊本と宮崎の県境を貫く加久藤トンネル(6260m)を越えた頃にはすっかり曇ってしまい、やっと駐車スペースを見つけて此処で仮眠しようと落ち着いた「えびのパーキング」ではまもなく雨が降り出してやがて土砂降りになってしまった。
楽しみにしていた夜空の天体ショーはあえなく断念。
(加久藤トンネル)
明るくなるのを待って「えびのジャンクション」で高速を下り、えびの高原に向かった。が、雨こそ上がったものの高度が上がるにつれ一面ガスがかかり、視界を遮られて何も見えない状態。
いつもはウロウロしている鹿にも出会えず、これもまた楽しみにしていた「太郎池」までの朝の散策も断念。
確か去年もこの道を通り、途中まで歩いたけど足元の準備をしていなかったので引き返した記憶が・・近くて遠い「太郎池」を何時見ることが出来るのだろう。
後ろ髪引かれつつ霧島温泉郷まで下った。
時計を見れば、朝の7時前。このまま鹿屋に行くのも早過ぎるし何処か立ち寄り温泉にでも入っていこうかって事になり、朝風呂の贅沢をさせて貰ったのは断念続きだったのでラッキーだったかも。
かじかの湯 朝7時から入れます。 380円也
シャンプー石鹸等は持参してね。
湯煙りが雰囲気あり
それからは一路、実家に向かって朝のドライブで
「花は霧島ぁ♪ たばこは国分ぅ♪♪ 燃えてあがるはおはらはぁ桜島♪ョィョィヨィヤサッ♪」
を通り錦港湾を半周する形で桜島の東側の海岸線を走り、ブリの養殖で有名な垂水港を過ぎそして高隈山の麓、実家のある鹿屋に無事帰り着きました。
(今年は畑が花盛り)
(真っ赤なケイトウが咲いていた。)
実家では盆提灯も飾ってあり、畑の草も無く(義母が私達に何もさせまいと全部手配して済ませておいてくれたから)、お墓参りのお客さんが二組と初盆参りに出掛けた以外はする事も無く、暇さえあればお茶にお菓子そして朝昼晩は規則正しく食事をし、お腹の空く暇無しの生活でおまけに畳の暮らしだから膝や腰が何時もと違う状態で、贅沢ちょっと参った。
(トサカのケイトウはこの地域の盆花だそう。初めて聞いた。)
(ウコンの花も盆花らしい。お墓にも仏壇にも飾ってあった)
お盆間は、お天気が今ひとつで私達も何処へも行かず寝正月ならぬ寝盆状態で何しに帰ったことやらと、後になって反省もしつつそれでも嬉しかったのは、義母が去年より元気だった事。
畑に綺麗な花が咲いていたのも義母が丹精したおかげだね。前はそれも出来なかったものね。
そして時間があった分、いろんな話を沢山出来た事が何より良かったかと。
(義母の友達が遊びに来た)
こうしてあっと言う間のお盆は終り青空の広がった16日早朝
「また4ヶ月したら帰って来るけんね。それまで元気でね。」
と涙の別れをし、鹿屋の実家を出発しました。
「これは避けないかんね」
と12日仕事が終わってから手土産の買出しをし、少し長~い夜のドライブをする事に。
おかげで渋滞は一度も無かったものの、深夜でも九州道は上下ともさすがに車のライトが切れることは無かった。
そして立ち寄ったパーキングは何処も満車で駐車待ちの車で溢れ、結局熊本を過ぎるまで我慢?・・・ガソリンだけ給油して星空が見え隠れする空を眺めつつの移動となった。
「そう言うたら13日の未明が一番流れるらしいわ」
「何やら流星群か?」
「もしかしたら見られるかも知れんねぇ」
なんてことも話しつつ八代(やつしろ)から23個続くトンネル郡を過ぎ、やがて人吉から熊本と宮崎の県境を貫く加久藤トンネル(6260m)を越えた頃にはすっかり曇ってしまい、やっと駐車スペースを見つけて此処で仮眠しようと落ち着いた「えびのパーキング」ではまもなく雨が降り出してやがて土砂降りになってしまった。
楽しみにしていた夜空の天体ショーはあえなく断念。
(加久藤トンネル)
明るくなるのを待って「えびのジャンクション」で高速を下り、えびの高原に向かった。が、雨こそ上がったものの高度が上がるにつれ一面ガスがかかり、視界を遮られて何も見えない状態。
いつもはウロウロしている鹿にも出会えず、これもまた楽しみにしていた「太郎池」までの朝の散策も断念。
確か去年もこの道を通り、途中まで歩いたけど足元の準備をしていなかったので引き返した記憶が・・近くて遠い「太郎池」を何時見ることが出来るのだろう。
後ろ髪引かれつつ霧島温泉郷まで下った。
時計を見れば、朝の7時前。このまま鹿屋に行くのも早過ぎるし何処か立ち寄り温泉にでも入っていこうかって事になり、朝風呂の贅沢をさせて貰ったのは断念続きだったのでラッキーだったかも。
かじかの湯 朝7時から入れます。 380円也
シャンプー石鹸等は持参してね。
湯煙りが雰囲気あり
それからは一路、実家に向かって朝のドライブで
「花は霧島ぁ♪ たばこは国分ぅ♪♪ 燃えてあがるはおはらはぁ桜島♪ョィョィヨィヤサッ♪」
を通り錦港湾を半周する形で桜島の東側の海岸線を走り、ブリの養殖で有名な垂水港を過ぎそして高隈山の麓、実家のある鹿屋に無事帰り着きました。
(今年は畑が花盛り)
(真っ赤なケイトウが咲いていた。)
実家では盆提灯も飾ってあり、畑の草も無く(義母が私達に何もさせまいと全部手配して済ませておいてくれたから)、お墓参りのお客さんが二組と初盆参りに出掛けた以外はする事も無く、暇さえあればお茶にお菓子そして朝昼晩は規則正しく食事をし、お腹の空く暇無しの生活でおまけに畳の暮らしだから膝や腰が何時もと違う状態で、贅沢ちょっと参った。
(トサカのケイトウはこの地域の盆花だそう。初めて聞いた。)
(ウコンの花も盆花らしい。お墓にも仏壇にも飾ってあった)
お盆間は、お天気が今ひとつで私達も何処へも行かず寝正月ならぬ寝盆状態で何しに帰ったことやらと、後になって反省もしつつそれでも嬉しかったのは、義母が去年より元気だった事。
畑に綺麗な花が咲いていたのも義母が丹精したおかげだね。前はそれも出来なかったものね。
そして時間があった分、いろんな話を沢山出来た事が何より良かったかと。
(義母の友達が遊びに来た)
こうしてあっと言う間のお盆は終り青空の広がった16日早朝
「また4ヶ月したら帰って来るけんね。それまで元気でね。」
と涙の別れをし、鹿屋の実家を出発しました。
途中のかじかの湯なかなかえい雰囲気やねえ。
彦次郎さんのお母さん、去年より元気で待っていてくれたのは何より嬉しいことやねえ。花も沢山綺麗に咲かせている。これも元気でないと花どころじゃないもんね。トサカのケイトウ懐かしい(笑)
丹精込めて育てた花をお供えするのが一番やねえ。
お義母さんのお友達の鶏さん、上の写真は何か普通に見るのと違うようなけんど、首も目いっぱい伸ばしちゅうがやろうか。下の鶏と同じなの?鹿屋特攻隊でも有名ぜねえ。
日頃はずっと一人で長い一日を過ごしてるだろう義母の話し相手にほんの少しだけでもなれたかな?と。。
ただ表の畑に仏様の花が沢山咲いていたので、誰かに植えてもらったのかと思ったら自分で種撒いて育てたとの事。草も綺麗に抜いてありそれだけでも嬉しかったですよ。
あはっ、ナゴヤコーチンという名の鶏らしいよ。
鹿屋は今も航空隊があって特攻隊の慰霊碑もあります。自衛隊で成り立っているような町ですね。あっ今は鹿屋体育大学があるね。