二条河原の楽書

京都サンガF.C.を中心にJリーグを楽な感じで綴るサッカー忘備録(予定)

2017年京都サンガF.C.への所見

2017-12-04 | 蹴球
「我々は、熱心なファン・サポーターの方に、『俺もうこのチームとは距離をおきたいわ』、という事を思わせる期間が長すぎたんです」
 これは、昨年のサポーターズカンファレンス(以下サポカン)での山中社長の発言だ。個人的な思いとして、今まさに『このチームと距離をおきたい』という気持ちになっている。もっとも、シーズン前からそんな予兆はあった。「あれ?何だかこのチームおかしいね?」―そういう見通しを持っていた人は、自分以外にも多かったのではなかろうか。『京都サンガはどうしてこうなったのか?』自分なりに今季チーム作りに“失敗”した原因を探っていきたい。

■強化部の“眼の不確かさ”
「エスクデロはサイドのプレイヤーとして考えていた」―前述サポカンで野口強化部長(当時)が発した言葉に、メモを取る手を止めて唖然としたことを覚えている。エスクデロ競飛王(セル)について、石丸前監督は2トップの一角として起用。守備のタスクを減らして攻撃に専念させ、5位躍進(←前年17位)に欠かせないピースになった。石丸氏がセルをサイドで使わなかった理由はおそらく…いや間違いなく「守備が不得手だから」。今のサッカーでは、サイドプレーヤーは攻撃的ポジションに置かれていても守勢に回れば素早く守備の駒に転じねばならない。例えば日本代表の原口元気のように。残念ながらセルの持ち味は守備面ではない。重戦車のようなドリブルと前への推進力、キープ力、パス能力…そのほとんどは中央前目で役割を限定してこそ発揮されるもの。そんなセルを「サイド」として考えていた野口氏の「見る眼」にはやはり疑問符が付く。“ウイイレ”ならサイドに置けば活躍できるかもしれないが。セルは一例として挙げてみたが、強化部の“眼”には、「運動量」「献身性」「気配り」といった能力はさほど重要に映っていなかったようだ。それは、いびつな編成となって現れた。

■いびつな編成のツケをルーキーが払う“異常さ”
 眼力の怪しい強化部が編成したチームは、それはそれはバランスの悪いものとなった。拙ブログでは開幕前に “蓋を開けてみるととてつもなく「いびつ」な編成” “巨大部品をつなぎあわせる潤滑油的な存在がほとんど見当たらない” と書いたが、そこから加筆する必要がないほどのいびつさのまま1シーズンを過ごした。予想通り中盤の「サイド」と「ディフェンシブ」に駒は足りず、本来FWの小屋松知哉と本来FWの新人・岩崎悠人がサイドに転用され、彼らが走力リソースを守備に割くことでチームを成り立たせていた印象すらある。小屋松は想像していたよりも攻守にそつなくサイドMFをこなした気もするが、プロ1年目の新人・岩崎がチーム全体のバランスに腐心しながら運動量の穴埋め仕事に右往左往していたのは多分に気の毒だった。チームとして役割分担がきちんと整理できていれば、もっとペナルティエリア内で勝負させられた気もするが、結局は走力任せの便利屋、タフな何でも屋のような非常にもったいない使い方に。運動量や献身性のあるタイプの選手を編成しなかったツケをルーキーたち(岩崎+仙頭啓矢)がかぶった形だ。夏のウインドーで不足している汗かき役タイプの中盤を補強するのかと思いきや、獲ってきたのは43歳のDF土屋征夫。「軌道修正を図ろうにも補強費はほとんど残っておらず」との事情だが、無計画さにツッコめばいいのか、そもそものお金の使い途のおかしさにツッコめばいいのか…。見る眼がない上に1年間戦っていくチームの設計図が描けてない時点で、「昇格」などよほどのラッキーパンチが連続しない限り到底望むことのできない「絵に描いた餅」だった。

■新人監督の“力量のなさ”
 調達してきた部材は見栄えがしてお金がかかっているけれど、足りない部材や用途に合ってない部材も多く、そもそも設計図がおかしい。そんな状況で現場の棟梁がいかに難しかったのかは想像に難くない。…という同情の余地はあるものの、それを差し引いても棟梁・布部監督の手腕はお粗末だった。そもそも実戦での指揮経験ほぼ皆無の布部氏を監督として選んだ経緯自体がブラックボックスで、確かなのは彼を連れてきたのが小島卓氏(当時チーフスカウト→現強化部長)ということくらい。何を評価して監督にしようとしたのかは本当に謎。そもそも「見る眼がない人たち」がろくに実績も残してない人物をオーディションできる合理的な理由も見つからない。結局「フロントにとって操縦しやすい、都合のいい監督だったのでは?」という結論しか導き出せないのだ。監督本人も自分の力量不足を実感しながらのシーズンだったのだろう、試合後のコメントは常に歯切れが悪く、戦術意図も説明しきれず、「力不足。まだまだですね。」ばかりを連呼した。ゲーム後のインタビューの拙さは、別の意味で心配になった。大方しどろもどろで、内容に具体性を欠き、意図を明確に伝えられない人物が、何十人もいる集団を統率できるのだろうか。サッカーに限らず、どんなグループにおいても同じだろう。

■戦術レス&一発頼みの“不確実さ”
 今年のJ2では、徳島のリカルドロドリゲスや東京Vのロティーナなど日本が初めての指揮官たちがほんの数ヶ月でチームを掌握して作戦意図を浸透させ、大変面白いリーグ戦が繰り広げられた。一方布部氏は同じ言葉が通じるにも関わらず、チーム内で戦術意図を最後まで共有できなかった感は拭えない。そもそも戦術自体があったのかどうかも怪しい。攻撃時に3人目、4人目が絡む展開がほとんど見られなかったあたり、パターン攻撃すら落とし込めていなかったのではなかろうか。今季、開幕直後から迷走し始め戦い方がブレにブレながら布部氏が行き着いた戦術は「ツインタワー」。田中マルクス闘莉王とケヴィンオリスを並べてそこに目掛けて放り込んで、あとは個人能力任せというあまり創造力を必要としないシンプルな作戦だった。目の前の城を落すために丸太を抱えて力任せに正門から突破を試みるような戦い方を戦術と呼んでいいのかどうかは別として。ツインタワーが対策されてダメになっても「闘莉王がいないと勝てない」というような呪縛から抜け出せず、戦術・大黒を含め、一発頼みで点が取れるかどうかというギャンブル性の高い不確実な戦術に終始した。彼らを使うことを布部氏が望んだのか、それともフロントが(営業的な意図から)望んだのか、そこらへんの真相はわからない。確かなのは布部氏は上層部に不平ひとつ言わずに黙々と仕事をこなしたということ。この姿勢を美徳ととる人もいるかもしれないが、要はフロントから見れば従順で扱いやすい監督だったのだ。

■監督手腕の“お粗末さ”
 今年1年で露見した布部監督のお粗末さについて、思い浮かんだ分だけ書き出してみたい。
*目指した形のわかりづらさ
 シーズン前に出てきていたキーワードは「サイドアタック」と「角を取る」。前者は(出来たかどうかは)ともかく、後者はかなり意図不明ワード。コーナー付近のエリアへの進出を指しているのか、ペナルティエリアの角のことなのか…。で、角を取ったから次は?という部分などまったく実像が見えてこなかった。終盤戦で監督が多用した言葉は「コンパクト」。うん、それは去年石丸監督がやってたね…。

*スタイルの定まらなさ
 キャンプから取り組んだ3-4-3のシステムは序盤で頓挫、去年までの4バックに戻し、さらに2トップに高身長FWを並べてみたり、やめてみたり。チームのスタイルがハッキリしてないからという理由以上に感じたのは、選手の個人能力に頼りすぎたていたということ。闘莉王をはじめとする「強キャラ」次第のゲーム運び。出たとこ勝負。やっぱりウイイレだったら強そうね。

*短絡的な結果欲しさ
 DFとしてはアジリティに欠ける闘莉王をFWに転向させ、結果的にチーム得点王(リーグ11位)に。確かに彼のシュートテクニック、一撃必殺の怖さはリーグトップクラスだった。しかし彼を前線に置くことで、当然前線の運動量は犠牲になる。なおかつ同系統でこれまた運動量の少ないケヴィンオリスを並べてしまうという短絡思考。ビルドアップできない→じゃあアバウトなボール蹴ってデカイ奴らで何とかしてもらおう、と。「点が欲しいから筋力スペックの高い選手並べてみた」という以上の意図を感じることもなく、「遊ぶカネ欲しさに…」という動機にも通ずるくらいに短絡的だった。シーズン途中、攻撃面を重視して守備意識の低いセルをボランチに置いたのも大変短絡的な事象のひとつ。ゲーム中にボランチ1枚(あるいは2枚とも)削ることも多く、全体のバランスを考えず守備力や献身性を軽視するのは監督の特性でもあったのだろう。

*連動性の低さ
 守備面でシーズンを通じて目に付いたのは、相手ボールへのプレスが単独→単独になり、寄せのスピードにもバラつきがあったこと。とにかく複数が連携しながらプレッシングという場面は少なかった。攻撃面でも連動性に欠け、ボールの出し手A→受け手Bまでで終わってしまうことはごく当たり前。そこにさらに受けにくるCとか追い越してスペースを衝くDなどの動きはチームとしてはまったくできていなかった。例外的に小屋松、仙頭、岩崎の“橘トリオ”で連動する場面もあったが、これはたぶん彼らだから成立したコンビネーションで、組織的に仕込まれた動きではないだろう。

*ビルドアップの出来なさ
 元々パスの出し手が少なかったこともあるが、攻撃を組み立てていくパスの精度は極めて低かった。ビルドアップについては受け手側にも問題があり、足元で受けるばかりでは相手に読まれやすい訳で…。そのあたりチームとして「初手としてボールをどこに動かすか」という一種の定石的な共通理解すら構築できてなかったフシがある。ビルドアップを半ば放棄して、縦に早く…というより雑に前に蹴り込んでは相手に渡すだけという場面も多く、栄えある『J2で最もボールを大事にしないチーム オブ ザ イヤー』に輝いた。

*再現性のなさ
「誰が出ても同じサッカーができる」ことが必ずしも正義とは思わないが、特殊なカードの必殺技発動頼み、みたいな形になっているのはチーム作りとして間違っていたと断言できる。闘莉王のゴールはどれも闘莉王でしか成し得ないものばかりで、再現性は極めて低い。短期決戦のトーナメントで使うとかならまだしも、“その時よけりゃそれでいい”式の刹那的なチーム作りでは結局のちのち何も残らない。2年前の戦術大黒で懲りてなかったのか…。最初から個人能力に依存してチームを作ればそりゃ限界に達するのも早い。札束が尽きた時点で、はい、それまでよ。

*ファウルの多さ
 今季は反則ポイントで堂々のJ2最下位を記録。ファウルが多いということから見えてくるのは、〈1〉守備に切り替わった時に準備ができていないことが多く、ファウルで止めざるをえないという組織的欠陥。 〈2〉フェアプレーに対するモラルの欠如。〈1〉はつまり連携した守備網を張れず、個で止めに行く場面多いので至極当然の結果。〈2〉が大問題。厳しい規律できっちりやっていればタガが外れない選手でも、規律が緩い中で好き勝手にプレーしていればついつい本性が現れてしまう。審判に対する文句やら暴言やらが多いのもモラルの低い証拠。これは編成どうこうは関係ない。監督の統率力のなさ、ガバナンス力の脆弱さだ。

 簡単にまとめるつもりが、書き出すとついついお粗末が沸き出してきた…(絶句)。もちろん成績もお粗末で、一度も一桁順位に入れなかったにも関わらず来季も引き続き監督として指揮を執るというから、これまたお粗末な話である。クラブ出身のレジェンドであるとかならともかく、縁もゆかりもないこの監督を継続する合理的な理由は何一つ見いだせない。

■チームが描く未来像への“不安さ”
 今季全日程終了後に、クラブは山中社長の名前で声明を発表した。
 《2017年シーズン終了について》
 内容は特に無い。「このような結果となり、クラブを代表して心より深くお詫び申し上げ」るという事務的な書面で、クラブとして今季の低迷に対する悔しさも悲痛さもまったく伝わってこない。また強化部の細川、野口両氏の退任が発表されたが、コメントもなく、退任理由も明らかにされておらず、公式的には“失敗”の責任の所在は曖昧なまま。そして“布部と闘莉王を連れてきた男”小島氏が強化部のトップに座るというリリースがあった(こちらもコメントなし)。この人事で「おかしな設計図」を描き直せるのかといえば、「否」と答えるしかない。お金をかけてよそから有名選手を取ってきて、選手の個人能力勝負でどうにかなった時代はとうの昔に過ぎている。まずはクラブとして説得力と具体性のある未来像を描き、それにふさわしい戦術を構築できる監督を招くこと。そしてそこに必要な戦力を編成していくという真っ当なチームに生まれ変わらない限り、年々厳しくなるJ2を勝ち抜くことなど夢のまた夢だ。優秀な下部組織を持ちながら、アカデミー出身の若手をレンタルに出すしかないという現在の流れにも危機感を覚える。既に2期連続の赤字が確定しているため「(今季)だめなら、若手育成型に戻して、やるしかない」と社長は発言している。ならばこそ、外部の血に依存するチーム作りに終止符を打ち、大胆なリストラクションに打って出ねばならないのではないか。一部で報じられている「闘莉王に契約延長オファー」など、高年俸選手を残す方策はありえない愚挙だ。もしも名の通った選手を客寄せパンダにして営業面の切り札にしたいと考えているのならば、これも改めるべきだ。その先にあるのは、パープルサンガ時代に名前優先の大型補強を繰り返して30億の赤字を積み上げた過去と同じ、地獄への道なのだから。

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 最後に冒頭に出した山中社長の発言、『俺もうこのチームとは距離をおきたいわ』という件について。実は社長は同サポカン内できちんとアンサーを出している。

「ファンであるということがどういう事か?というと勝ちも負けも一緒に喜べられるかどうかなんですね。しょうもない試合をして負けてると、俺はこのチームのファンじゃないというふうに心の中に距離を置き始めます。それがファン離れなんです実は。それを逆に、以前ファンでおられた方とか、新たな人が、「これは面白いわ」と、もう勝っても負けても一体やと、まあ勝っても負けても、勝つ方が多くないとダメなんですけど、それを、お持ちいただくことが出来れば、ファン・サポーターは確実に増えるんです。」

 この発言自体は間違っていないと思う。それならば今季「しょうもない試合」を積み重ねてきた現実から目を逸らさず、もう一度よくご自分の胸に問いかけていただきたい。
 今年、勝ち負けの結果を越え「サッカーの内容が面白い」という理由から動員を伸ばしたクラブがある。FC岐阜だ。率いるのは2011年~2013年に京都を率いた大木武監督。就任1年目ながら、浸透に時間がかかると思われた独自のスタイルを早々に打ち立て、ファンに「面白いわ」と思わせられるチームに成長した。ちなみに観客動員数も抜かれている(岐阜14万6518人・京都14万1705人)。他にも今年のJ2にはきちんと指揮官の「色」が付いたチームが多かった。昇格3クラブはそれぞれ個性的だったし、スペイン人指揮官の2クラブやハイプレスハイラインの千葉、少ない資金力でも若手を躍動させた水戸や金沢…枚挙にいとまない。京都サンガは今、J2の中でもとびきり魅力を欠き、埋没したクラブである現状を客観的に視なければならない。きちんと結果が突き付けられる世界なのに、「雰囲気がいい」などというお手盛りの評価で現状から目を逸らしてはいけない。もういちどこのクラブに対する関心が沸き上がってくるその日がまた訪れてくれることを、願っている。