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随分以前、このブログに、
「 京都のなかでも、左京区というところは特別の場所だ。
大学が多いから、当然、若者が多い。
大人になりそこねた ( 拒否した ) ようなオッサンたちにもあちこちで出会う。
いってみれば、左京区というのは、
青春の解放区 とでも呼ぶべき、
若い時期特有の不定型さがそのまま街を成しているようなエリアなのだ。
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いまでも、ノスタルジック散歩 と称して、
吉田界隈や北白川を散策することがあるが、
そんなとき、あれ ( = 自身の学生時代 )というのは、
本当に在ったことなのだろうか、と想うことがある。
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人生がそもそも夢のようなものなら、
人生で一番多感で不安定な時期が、
夢だったのか、現(うつつ)だったのかと問うてみるのも自然なことなのだろうが、
左京区には、そうした想いを増幅する舞台装置が随所にあるのだ 」
と書いたことがある。
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冒頭の写真の、吉田山の中腹にある竹中稲荷神社も、私にとって
そのような舞台装置の1つ。
なにせ、吉田山の麓のアパートで5年近く住んでいたのだから。
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それにしても、あれは本当に在ったことなのか ?
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下は、森見登美彦さんの「京都ぐるぐる案内」。
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森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫) |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
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