今年2回目の信州岩波講座 講演者は 井上ひさし さんでした。
テーマは『ふるさと』
話しは 3人の日本人を紹介しながら進められました。
一人目は、ペシャワール会代表の 中村哲さん。 この方は1980年代に海外青年協力隊員として パキスタン、アフガニスタンに出かけ、現地でゴム草履の普及に努め、続いて井戸を掘ることに努力され、次第に現地の人々の信頼を得て今日まで発展されてきた人だそうだ。この井戸を掘るには資金が必要でありその資金集めに、ペシャワール会というのが設立されたそうだ。多くの会員がいるようで、会の収入は5億円。そのなんと97パーセントが 現地に送金されるそうだ。この会のスタッフはほとんどボランティアである。 これまでに1800以上の井戸が掘られて、最近では井戸だけでなく用水路まで建設するようになったそうだ。
これから2人目先日殺害された伊藤さんに移る。昔といっても40年ぐらい前までは、このアフガニスタンは緑豊かな土地であったそうだ。しかし、ソ連のアフガン侵攻、さらにその後の大旱魃により今の砂漠化した荒野になってしまった。
この大地に再びみどりを取り戻そうというのが この伊藤さんをはじめ、ペシャワール会の目標になっていたこのような活動は現地の人々からの信頼も得られ、中には 是非うちの娘を嫁にもらってくれ、そしてお前の両親もこの地に呼んで一緒に暮らそうではないか、と言う人も現れていたそうだ。 しかし皆が同じように思っていたわけではなく、日本が給油している石油で以ってアフガニスタンの爆撃が行われているではないか。これは日本がアメリカとぐるになっておりペシャワール会の活動はむしろ目をそらす為の策略ではないかと疑い、その結果伊藤さんのような事件に繋がってしまったようだ。
次に山形のラスクで有名になったシベールの創設者、熊谷しんいちさんについて。私がこのように成功できたのは、地元の人々の支援があってこそであり、この土地をより豊かにするために投資をするという話しでした。
自分で拠って立つところができれば、どこにでもふるさとはできる。 この伊藤さんにとっても、志は半ばであったが アフガニスタンという土地にしっかりと根付いた人生を送っておられた。かれにとってもこの土地は第2のふるさとであったろう。
もう一つ日本人は一斉に一つの方向に流れやすいので気をつけましょうと。
テーマは『ふるさと』
話しは 3人の日本人を紹介しながら進められました。
一人目は、ペシャワール会代表の 中村哲さん。 この方は1980年代に海外青年協力隊員として パキスタン、アフガニスタンに出かけ、現地でゴム草履の普及に努め、続いて井戸を掘ることに努力され、次第に現地の人々の信頼を得て今日まで発展されてきた人だそうだ。この井戸を掘るには資金が必要でありその資金集めに、ペシャワール会というのが設立されたそうだ。多くの会員がいるようで、会の収入は5億円。そのなんと97パーセントが 現地に送金されるそうだ。この会のスタッフはほとんどボランティアである。 これまでに1800以上の井戸が掘られて、最近では井戸だけでなく用水路まで建設するようになったそうだ。
これから2人目先日殺害された伊藤さんに移る。昔といっても40年ぐらい前までは、このアフガニスタンは緑豊かな土地であったそうだ。しかし、ソ連のアフガン侵攻、さらにその後の大旱魃により今の砂漠化した荒野になってしまった。
この大地に再びみどりを取り戻そうというのが この伊藤さんをはじめ、ペシャワール会の目標になっていたこのような活動は現地の人々からの信頼も得られ、中には 是非うちの娘を嫁にもらってくれ、そしてお前の両親もこの地に呼んで一緒に暮らそうではないか、と言う人も現れていたそうだ。 しかし皆が同じように思っていたわけではなく、日本が給油している石油で以ってアフガニスタンの爆撃が行われているではないか。これは日本がアメリカとぐるになっておりペシャワール会の活動はむしろ目をそらす為の策略ではないかと疑い、その結果伊藤さんのような事件に繋がってしまったようだ。
次に山形のラスクで有名になったシベールの創設者、熊谷しんいちさんについて。私がこのように成功できたのは、地元の人々の支援があってこそであり、この土地をより豊かにするために投資をするという話しでした。
自分で拠って立つところができれば、どこにでもふるさとはできる。 この伊藤さんにとっても、志は半ばであったが アフガニスタンという土地にしっかりと根付いた人生を送っておられた。かれにとってもこの土地は第2のふるさとであったろう。
もう一つ日本人は一斉に一つの方向に流れやすいので気をつけましょうと。