基本、艦船ヲタクだが、艦船のプラモを作るとそれに付随して航空機なんかも作ってる。
特に1/700の艦船を主に作ってるので、同じスケールの航空機プラモは小さいから、そんなに高価じゃありません。
ざっと数えても完成品が500機以上あると思います。
それに未組み立ての航空機は300機ぐらいある。
おそらく、余程気が向かないともう組み立てる事はないと思う・・・わけない。
暇な時に本土防空戦の飛行機を作ろうと思ってます。
一般的にはB29が最強の爆撃機で、日本軍は手も足も出ず悠々と爆弾を落として帰還したと思われてますがね。
それは、硫黄島が陥落して、同島の滑走路が使えるようになりP51が護衛についてからの話です。
B29の対日本の初陣である八幡製鉄所爆撃の際は、68機出撃して7機撃墜されてます。
戦争では、3割被害を受けると全滅と言いますから、これは甚大な被害です。
調べれば判るけど、私の古い記憶では大戦中に生産したB29は2500機程度です。
その内、日本軍が撃墜もしくは破壊したB29は480機ぐらいだったはす。
被害を与えた機体が2500以上だったかな?(ちょっと自信がない)
要は、すべての機体に被害を与えたと言っても過言ではありません。
特攻隊で亡くなったパイロットの数が約4000人。
B29の搭乗員の戦死者が3000人以上です。
被害からすれば、スーパーフォートレス(超空の要塞)なんて嘘っぱちだと思ってます。
そして、この歳になると、カッコイイとかでプラモを作る事が出来ません。
一機一機の飛行機に人(命)が乗ってて、祖国ため家族のために散っていった人達の事を考えます。
今私が生きてられるのは、もしかしたらB29を撃墜して爆弾を阻止してくれたパイロットのおかげかも知れませんから。
特に1/700の艦船を主に作ってるので、同じスケールの航空機プラモは小さいから、そんなに高価じゃありません。
ざっと数えても完成品が500機以上あると思います。
それに未組み立ての航空機は300機ぐらいある。
おそらく、余程気が向かないともう組み立てる事はないと思う・・・わけない。
暇な時に本土防空戦の飛行機を作ろうと思ってます。
一般的にはB29が最強の爆撃機で、日本軍は手も足も出ず悠々と爆弾を落として帰還したと思われてますがね。
それは、硫黄島が陥落して、同島の滑走路が使えるようになりP51が護衛についてからの話です。
B29の対日本の初陣である八幡製鉄所爆撃の際は、68機出撃して7機撃墜されてます。
戦争では、3割被害を受けると全滅と言いますから、これは甚大な被害です。
調べれば判るけど、私の古い記憶では大戦中に生産したB29は2500機程度です。
その内、日本軍が撃墜もしくは破壊したB29は480機ぐらいだったはす。
被害を与えた機体が2500以上だったかな?(ちょっと自信がない)
要は、すべての機体に被害を与えたと言っても過言ではありません。
特攻隊で亡くなったパイロットの数が約4000人。
B29の搭乗員の戦死者が3000人以上です。
被害からすれば、スーパーフォートレス(超空の要塞)なんて嘘っぱちだと思ってます。
そして、この歳になると、カッコイイとかでプラモを作る事が出来ません。
一機一機の飛行機に人(命)が乗ってて、祖国ため家族のために散っていった人達の事を考えます。
今私が生きてられるのは、もしかしたらB29を撃墜して爆弾を阻止してくれたパイロットのおかげかも知れませんから。
戦争はやっぱりするべきじゃないと言うことです。
人間は勝手なもので、人を殺しに行って殺されたら恨む。
その連鎖がずっと続きます。
そもそも、黒ウサギさんに国を守るために散った人たちの
ことを考えさせてしまう時点でダメです。
子孫にこんな十字架を背負わせてはいけません。
欧米は、素晴らしいものを作り出しますが、とにかく
品質が悪いです。
毎日、欧米のプロダクトと向き合っていますが、
品質もサービスも日本では考えられないレベルの
低さで、嫌になります。
B29も、要塞ではなく棺桶じゃないかと思っています。
兵器はひとを殺す道具ですが、やはり美しいものが
多いですね。 皮肉なものです。(^-^;)/
ちなみにPCパーツの会社「コルセア」のロゴは海賊船をイメージした帆。光るメモリとかかっこいいです。
私は艦船は全て組み立て済みで航空機と自衛隊車両の
在庫が僅かです!
定期的に訪問する苫小牧の「ニナルカ道線」と云う
砂利道市道にキ―67の墜落慰霊碑が在ります。
縁もゆかりもありませんが戦死された7月に
お参りに行ってます。
叔父の一人は零戦乗りで戦死してますし
もう一人の叔父は大陸で銃弾を受け左手首の骨と筋の
間を貫通し負傷し帰国してる時に終戦となり
命拾いしてます。
私たちがいるのはやはり先人達のお陰だと
つくづく感じます。
もう新しいプラモは買わない事にして、今まで買ったプラモだけを作るようにしてました。
なにせ私以外にはただのゴミですからね。
子供の頃にゼロ戦や潜水艦のプラモばかり作ってて、大人になって本物を見ました。
ビックリしたのは1分の1スケールのプラモにしか見えない事でした。
それほどプラモデルって精巧に作られてるんだと今更ながら感心しましたね。
当時の技術では、日本製品がまだ未熟というか発展途上でしたが、その発展途上の段階でも日本国内すべてに電探基地を作っており、どこからB29が侵入しても、すぐさまスクランブル発進して迎撃に向かったそうです。
コルセア≒海賊船 ヘルキャット≒性悪女 P-61 ブラックウィドウ≒黒衣の未亡人 等々いっぱいあります。
ちなみに日本の戦闘機に付けられたアメリカのコードネームは 疾風≒フランク 隼≒オスカー 銀河≒フランシス等々すべての機体にありますね。
あまり意味ありませんけど(笑)
でもまあ、40年以上かけて作った物なのでボロボロな隼とか彩雲なんてものありますけどね。
未組み立ての物は、現用機が多いです。
F18やホークアイ、C130からツポレフ tu-95とかね。
数年前、ぽんたさんがブログに飛龍の墜落現場であるナルニカ道線のお話を読んだ事があります。
あの写真、ちょっと感じましたからよく覚えてますよ。
奥様のバイオニック化は無事に完了されましたか?ご不自由された事でしょう。
B29かぁ・・・小学生の時に作ったなぁ。
あの頃の最新鋭はF104だった。
私の好きな飛行機は飛燕と彗星でした。三機とか五機買って(一度には買えませんでしたが)、親に同じのを幾つも買って!と怒られたのが懐かしいです。
車輪やプロペラが折れて飽きてくるとB29ならぬ2B弾の餌食になってました。
話は変わりますが、北京五輪のメダルのデザイン。
これ、ジンギスカン鍋に見えるのは私だけでしょうか。
これ、治ろうと体がしてる証だから心配ないと言ってました。
なにせ経験豊富ですからね(笑)
B29は私も作りましたが、やっぱりB17の方が好きです。
与圧された機体って銃弾を受けたら空気が漏れるとかあるし、リモコン操作の機銃も何だか最新過ぎって感じですかね。
飛燕や彗星艦爆は、水冷エンジンだから空冷エンジンの機体とはシルエットが違いますね。
当時の技術力だと欠陥エンジンとまで言われてましたが、きちんと整備された機体の性能は凄まじかったみたいです。
私は、バイク同様、小型でヒラヒラ飛び回れる海軍96艦船や陸軍97戦が好きなのでした。
>北京五輪のメダルのデザイン
確かに成吉思汗鍋っちゃ鍋ですね(笑)
プラモも零戦、隼、飛燕などをつくった記憶があります。
が、ある日ぽつんと父が話しました。
父は学徒動員で千葉の演習場へ送られ飛行訓練の日々だったそうです。そして知覧へ送られる日(特攻隊員として)が決まって間もなく終戦を迎えたのだと。
それ以外に戦争の話はいっさいしなかった父。
そして、その話を聞いた瞬間から思うところあって私の戦闘機フェチは封印したまんまです。
戦争を知らない世代ではありますが、天〇陛下万歳!!と言いたくも無いことを言わされて散っていった大勢の諸先輩がいたことは日本人として忘れてはならないと思います。
零戦のハナシ。
浜松在住の頃、航空自衛隊浜松基地で零戦のレストア機を見たことがあります。美しい機体でした。
頭の上をB29が飛んで空が真っ黒になってたそうです。
で、ゼロ戦と母は言ってたけど、実際は不明な日本軍戦闘機がB29を撃墜したそうです。
その機体が墜落しつつ苦し紛れに爆弾を落としました。
機体は映画館に落ちて、落としは爆弾は母の家から数百メートル離れた所に落ちて爆発しました。
その破片が母の家の窓ガラスを破って入って来たけど、間一髪で母や家族全員無事だったと言ってました。
そして、家に入って来た破片は、バラバラになった黒こげの人だったって。
その話を聞いた幼い私が母に『そんな怖い話しないで』って言ったら『黒焦げの人はB29が爆弾を落とすと普通に見るから平気になる』とかって言ってて、更に怖くなった事がありましたね。
なので、その爆弾が母を直撃してたら、当然今の私もいないわけです。