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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

あらためて靖国を考える

2013-08-04 23:52:12 | 政治経済のことも考えよう
この時期、終戦記念日が近づくと、
きまって取りざたされる政治家の靖国参拝問題。

1000年後の子孫たちに向かって、
被害者と加害者の関係は永遠に変わらないと言い張る国。
1000年前の罪人の像を作り、所縁の地に設置して、
観光客が実際に唾を吐きかける国。
このような国民性の国々の人々に、
人権の本当の意味や死者の尊厳など永遠に理解できないのでしょう。

ましてや、たとえ現世では罪を犯した人であったとしても、
命をもって償った人、亡くなってしまった人の霊を弔おうとする心情など、
何をかいわんやです。

靖国が神社でなく、仏閣であろうと、教会であろうと、
あるいはモスクであろうと、死者を弔う日本人の心に変わりはなく、
参拝は行われることでしょう。

「死者を弔う気持ちと行動は、
 死者の生前の行いを称賛するという意味ではない」
私たちはそのことを充分に良く理解しています。

行動に恥ずべきことがなければ胸を張れば良いのです。
理解してくれない人びとがいるからと言って、
死者を辱める人びとの言いなりになって、
死んでいった人々を弔う精神と行動を否定することは、
日本人の美徳のひとつを失うことにほかなりません。



幼稚新聞!?

2013-08-03 13:50:04 | 政治経済のことも考えよう
「そこに山があるから」

これは20世紀初頭のイギリスの登山家、ジョージ・マロリーが、
新聞記者から「なぜあなたは、エベレストに登るのか」と問われて答えた有名な言葉です。
これを聞いた人々は、そこに「何か哲学的な意味」があるものと解釈し、
100年近くたった現代にまで伝えられているのです。

しかし、ジョージ・マロリー本人はその言葉に、
哲学的な意味など込めたつもりはなかったという説もあります。
あまりにもしつこい記者の取材にうんざりしていたマロリーは、
面倒くさくなって、投げやりにそう答えたのだというのです。

「そこに山があるからだよ!もういいかげんにしてくれ!」
彼がここまで答えていれば、その言葉の意味も、世間の評価も、
まったく違ったものになっていたことでしょう。
真意は、本人のみぞ知るところです。

これに例えるのもおかしな話かもしれませんが、
翻って麻生副総理のナチス憲法発言に対するマスコミ報道。

私は仕事の関係で毎朝、
一般・専門合わせて13紙の新聞に目を通しますが、
一部新聞社の鬼の首を取ったような熱狂的な取り上げ方をみると、
マロリーと同じような言葉の独り歩き、言い換えれば、
マスコミの言葉いじりを感じずにはいられません。

確かに問題だとされている言葉の部分だけを切り取ると、
ナチスの手法を称賛しているように聞こえます。
しかし一方で、発言会場にいた記者や傍聴者の声を取り上げ、
問題とされる発言の前後の言葉の流れから、
あれは麻生氏特有の改正強硬派に対する皮肉であって、
ナチスを称えているようには聞こえなかったという報道もあります。

一国の副総理を務める者が、
安易に揚げ足をとられるような皮肉を言うのも好ましくはありませんが、
出来事の大局を報道せずに、記者にとって都合の良い部分だけを切り取り、
あたかもそれがすべてであるかのように責め立てる、
まるで子どもの喧嘩のような報道にも辟易します。

そして私たち国民も、その手法に慣れきってしまっています。
気に入らないことがあれば言葉尻や一挙手一投足をとらえて、
落ち度を見つけては、汲々として責め立て溜飲をさげる。
物事を大局で見ようとしないから、まったく前に進めない。

あまりにも幼稚すぎやしませんか?
学級新聞や学生運動のビラじゃないんだから。



前には進めない国

2013-07-29 22:08:08 | 政治経済のことも考えよう
サッカーの日韓戦で韓国側応援団が観客席に掲げた、
日本を非難する巨大横断幕の報道を見て、
昨日のNHK大河ドラマの八重のセリフを思い出しました。

「恨みを支えにしては、後ろを向くばかりで前には進めねえ」

薩摩や長州から朝敵とされて討たれ、
いつの日にか復讐することを心に誓って生きる会津の人びと。
八重自身もそんな怨讐にとらわれて苦しみ、発した言葉でした。

「歴史を忘却した民族に未来はない」 という韓国の横断幕は、
あまりにもこれとは対照的で、タイムリーな出来事のように感じられました。
しかも、伊藤博文を暗殺した安重根の巨大肖像画まで掲げる始末。
(この国には、安重根のほかに国際社会に自慢できる人物はいないのでしょうか)

彼らはこれを「日本の歴史認識の違いが問題」と糾弾しますが、
日本人からみれば、もはやこれは「国民性の違いの問題」でしかありません。

私たちの親や祖父たちが、
アメリカ軍の無差別空襲や原爆投下に恨みを持ち続け、
いつまでもアメリカ人を憎み、子供や孫たちにも彼らを拒絶し、
協力し合わないよう教育し続けていたらどうでしょう。
果たして現在の日本の発展と繁栄はあったでしょうか。
代々にわたって恨みつらみを教え込まれて、
私たちは果たして幸福を感じることができたでしょうか。
どちらの言葉が子供たちに幸福をもたらすかは一目瞭然です。

それは戦勝国であるとか、戦敗国であるとかの問題ではありません。
親の世代が子供たちをどのように育て、
その子供たちがどのように生きていくかの問題なのです。
親の世代の重荷を子供たちの世代に負わせない。
それが子供たちの幸福と自国の繁栄を願う親の世代の務めです。

それにしてもこれだけ徹底して、
非常識な方法で大声を張り上げて過去にこだわり続けたら、
日本以外の国々もさすがにドン引きします。
そうやって逆に自分が国際社会で孤立するということに、
なぜ思いが至らないのか不思議でなりません。



投票へ行こう!

2013-07-21 10:23:01 | 政治経済のことも考えよう
報道によれば、今回の選挙の投票率は、
また低い数字になりそうな見込みだといいます。
特に若者の三分の二、国民全体では半分近い人が、
毎回、投票を棄権(放棄)していることになります。

一般の国民が平等に選挙権を得るまでに、
どのような困難な道のり(歴史)があったか。
また、現代においても国民に選挙権すら与えられず、
為政者の好き放題にされる国々の人々がどんな暮らしをしているか。
それを思えば、私たちが持っている一票の投票権の価値、
重みも理解できようというものです。

日本の選挙の投票率の低さは、
学校の授業で、国数英に比べて社会科を疎かにしてきたツケかも知れません。

私たちは、まず、「誰に投票すべきか」ではなく、
「何のために投票するのか」を考える必要があります。

投票を放棄するということは、
「為政者に好きなようにされても文句は言いません」
と言っていることと等しいのです。



おごれる者は久しからず

2013-07-14 22:01:52 | 政治経済のことも考えよう
来週の参議院選挙投票日は仕事になったので、
初めて「期日前投票」に行ってきました。

これまでだったら、投票当日に用事があれば、
「まあいいか」という感じで棄権していたのですが、
今回は自分でも不思議なくらい選挙に前向きです。
それもこれも、「民主党政権があったおかげ」かもしれません。

テレビで政見放送を見て、
新聞で政党や候補者の政策を読み比べて、
さらに候補者のホームページも比較しました。

投票したからといって、また当選したからといって、
有権者はその政党や候補者の政策すべてを支持したわけではありません。
ましてや白紙委任状を託したわけではありません。
多くの有権者は、どの政党や候補者も、
「帯(おび)に短し襷(たすき)に長し」と思っているはずです。
だから、有権者はマスコミのアンケートなどで、
「投票したいと思える政党・候補者がいない」と答えるのです。

「自民党の圧勝が濃厚か」などと言われています。
仮に圧勝したとしても、投票者のすべてが、
「原発稼働」「消費税増税」「憲法改正」「TPP参加」など、
自民党の政策のすべてに賛成しているわけではないはずです。

「当選=すべての政策が支持された」
この大きな勘違いが、政治家の「思い上がり」であり、
特に選挙に勝った政党の「おごり」というものです。

このことを勝った政党だけでなく、
当選したすべての候補者が自覚をしてもらいたいものです。