大阪府堺市といえば、仁徳天皇陵の前方後円墳で有名です。
大阪府のちょうど中心にあって、下町情緒のある昔懐かしい街並みが残ります。
清風高校時代、清風高校から清風南海高校まで紀州街道沿いに走ったことがあります。
チンチン電車と競争したこともあります。(笑)
天下茶屋や浜寺を過ぎ、阪堺の大小路駅前に、飯炊き名人、いや飯炊き仙人と呼ばれる名物おやじ「村嶋さん」が経営する飯屋「銀シャリ屋ゲコ亭」があります。
村嶋さんは、象印の炊飯ジャーのモデルになったことでも有名です。
店に入ると右に長いテーブルに坊主椅子。
壁沿いにもカウンター席があり、30~40人は座れます。
厨房側には大きな盛り付け台が2つ。
その上にはありとあらゆるおかずがびっしり。
初めて入った人はその品数の多さにまず驚きます。。
オープンキッチンの厨房ではおばちゃん(奥さん)がいつもだし巻き卵を焼いています。
おかずの中ではこれが一番人気。
いざ銀色の配膳板をもっていざおかず選び。
この瞬間がとても楽しい。
おかずを順番に取っていくと最後に大きなおひつの前でご飯をよそっていただく。
炊きたてのホクホクの銀シャリは、おやじが毎朝毎朝4時に起きて米を研ぎ、一晩くみ置きした水に30分以上浸してから炊き上げる。
午前9時に開店すると、自られんが積みしたかまどに火を入れ、40度を超える暑さのなか、3升炊きの大釜四つを相手に、上半身裸で火と水加減に集中し、炊きたての銀シャリを自ら客にふるまう。
そんなおやじも今年で82歳。
二人三脚で店を守ってきた奥さまが腰を悪くし、ついに今年引退を決意。
今後は、全国に約440店を展開する「まいどおおきに食堂」が後を継いでくれるそうです。
「まいどおおきに食堂」の藤尾さんも、原点は大阪市北区の天神橋筋商店街で両親が営んでいた大衆食堂。
食を大切にする村嶋さんのひたむきな姿は、両親と重なったといいます。
僕のおふくろも僕が高校時代に食堂を経営していました。
早朝から野田の中央市場や木津の市場に自転車で買い出しに出かけ、職人さんの弁当に始まり、昼食、夕方までは夜の仕込み。
夜は11時頃まで現場で働く職人さんがおかずをさかなに瓶ビールを空けていきます。
その間に食欲旺盛な僕と弟の弁当や家の掃除や洗濯などの家事をこなし、ほんといつ寝ていたんだろ?
お袋が寝ている姿を見たことがありません。
たぶん、村嶋のおやじもお母さんも、同じように働きずめで働いてきたんでしょうね。
あとは、まいどおおきに食堂に任せて、ゆっくり体を休めてください。
本当にお疲れさまでした。
大阪府のちょうど中心にあって、下町情緒のある昔懐かしい街並みが残ります。
清風高校時代、清風高校から清風南海高校まで紀州街道沿いに走ったことがあります。
チンチン電車と競争したこともあります。(笑)
天下茶屋や浜寺を過ぎ、阪堺の大小路駅前に、飯炊き名人、いや飯炊き仙人と呼ばれる名物おやじ「村嶋さん」が経営する飯屋「銀シャリ屋ゲコ亭」があります。
村嶋さんは、象印の炊飯ジャーのモデルになったことでも有名です。
店に入ると右に長いテーブルに坊主椅子。
壁沿いにもカウンター席があり、30~40人は座れます。
厨房側には大きな盛り付け台が2つ。
その上にはありとあらゆるおかずがびっしり。
初めて入った人はその品数の多さにまず驚きます。。
オープンキッチンの厨房ではおばちゃん(奥さん)がいつもだし巻き卵を焼いています。
おかずの中ではこれが一番人気。
いざ銀色の配膳板をもっていざおかず選び。
この瞬間がとても楽しい。
おかずを順番に取っていくと最後に大きなおひつの前でご飯をよそっていただく。
炊きたてのホクホクの銀シャリは、おやじが毎朝毎朝4時に起きて米を研ぎ、一晩くみ置きした水に30分以上浸してから炊き上げる。
午前9時に開店すると、自られんが積みしたかまどに火を入れ、40度を超える暑さのなか、3升炊きの大釜四つを相手に、上半身裸で火と水加減に集中し、炊きたての銀シャリを自ら客にふるまう。
そんなおやじも今年で82歳。
二人三脚で店を守ってきた奥さまが腰を悪くし、ついに今年引退を決意。
今後は、全国に約440店を展開する「まいどおおきに食堂」が後を継いでくれるそうです。
「まいどおおきに食堂」の藤尾さんも、原点は大阪市北区の天神橋筋商店街で両親が営んでいた大衆食堂。
食を大切にする村嶋さんのひたむきな姿は、両親と重なったといいます。
僕のおふくろも僕が高校時代に食堂を経営していました。
早朝から野田の中央市場や木津の市場に自転車で買い出しに出かけ、職人さんの弁当に始まり、昼食、夕方までは夜の仕込み。
夜は11時頃まで現場で働く職人さんがおかずをさかなに瓶ビールを空けていきます。
その間に食欲旺盛な僕と弟の弁当や家の掃除や洗濯などの家事をこなし、ほんといつ寝ていたんだろ?
お袋が寝ている姿を見たことがありません。
たぶん、村嶋のおやじもお母さんも、同じように働きずめで働いてきたんでしょうね。
あとは、まいどおおきに食堂に任せて、ゆっくり体を休めてください。
本当にお疲れさまでした。