大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

ガンジー伝(4)

2014年11月10日 | 労働者福祉
「もったいない」を「ありがとう」に変えることが当たり前の社会になることを目指して、今年5月にスタートした『フードバンクふじのくに』。
余剰食料を生活困窮者に提供するこの運動に、多くのみなさんから毎日のように善意が寄せられています。
また食品関係の企業やユーコープなどからの食料品提供も目立ってきました。

9月24日にはNPO法人格も取得し、名実ともに公共的団体の仲間入りを果たしました。
先日、県庁へ出向きまして、行政とのさらなる連携もお願いしてきましたが、関係各所のみなさまにはさらなるご理解・ご協力をいただきたいと思います。
『フードバンクふじのくに』のHPもありますので、時々は覗いてください。

『ガンジーの言葉』
私は人間に奉仕することによって、神に会おうとつとめています。
神がいるのは、天でも地中でもなく、人々の心の中であると知っているからです。

さて「ガンジー伝」の続きです。

1915年、45歳のガンジーは故郷インドへ帰ります。
南アフリカでの彼の業績は知れ渡っており、たくさんの人々がガンジーを出迎えてくれました。
ガンジーのインドでの活動は、貧しい人びとを救うことから始まります。
ガンジーは、不可触民(カースト制度のさらに最下層の人々)、貧しい農民、貧しい工場労働者の味方でしたが、仲間の多くは不可触民の受け入れに反対でした。
彼はまず不可触民を救う運動に取り組みます。
また、ガンジーは各地を回り、英国人地主や紡績工場に対する小作農民や労働者たちのストライキの支えになったりもしました。

社会に大きな影響力を持つようになっていたガンジーのもとに、インドを統治する英国の総督が助けを求めに来ます。
第1次世界大戦を戦う英国の手助けをするため、インド人の義勇兵を募って欲しいとの頼みです。
平和主義者たちは反対しますが、ガンジーはその頼みを受け入れます。
彼は、インド人が大英帝国の市民としての権利を主張したいのならば、協力を求めてきた英国に尽くさなければならないと考えたのです。

インドの義勇軍は英国兵らとともに戦いに出て行きました。
大きな犠牲を払いながらも勝利はしましたが、この戦争を契機に英国の力は大きく衰えていきます。
インド人たちは英国とともに戦った以上、自分たちが人間としての尊厳と平等の権利を勝ち取ったものと考え、新しい意気込みでいっぱいでした。
しかし英国がインドに対して示した理解と、インドの自治という口約束は守られませんでした。

ガンジーはここで初めて、英国人によるインド政庁と対立する決心をし、「ハルタール」という一種のゼネストを人々に提案しました。
集団で仕事や学校を休み、祈りをささげたり行進をしたりして、権力者に抵抗の意志を示そうというものです。
これが英国の統治を終わらせることになった28年間の闘いのスタートでした。
ガンジーに組織された「ハルタール」は多くの人々によって支持されましたが、地方によってはその抗議行動が暴動に発展してしまいました。
ガンジーは首謀者を非難し、すべての運動を中止させます。
不服従運動を成功させるためには、まず人々への教育が必要なことに気づいたのです。

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