大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その3)

2016年03月15日 | 労働者福祉
2005年10月21日の連合静岡定期大会で異例の非専従事務局長に就任しますが、役員選考委員会では7月にそのことを公式発表してありましたので、異例中の異例で8月の連合静岡書記局会議から参加しておりました。
それは来期の活動方針策定から入ったほうがやりやすいだろうという平野次期会長の配慮からです。
どうせやるならということで、以前から思っていたことをすべて提案させていただきました。

私は単組の立場、産別の立場、地協事務局長&会長の立場、地区労福協会長の立場、とオールラウンドで経験してきました。
そこで感じたことはそれぞれのステージにおけるダブり感です。
同じようなことをそれぞれが張り合って行動しても、現場地点の身体はただひとつです。
そんな議論から連合静岡第16回定期大会では、連合静岡の活動を「三つの領域」に特化することにしました。
ひとつめは「政治政策機能」。
ふたつ目は「組織対策機能」。
みっつ目は「国民運動」です。
のちに「国民運動」は「教育機能」と改称されます。
そして1年かけて「連合評価委員会 最終報告」の読み解きに入りました。
まずは事務局スタッフから入り、2006年8月27日には日曜日の終日をかけて連合静岡3役会で読み解きを行いました。

それらの地道な活動の末に2007年10月の第18回定期大会にて、第1号議案「地域に根ざした顔の見える労働運動をめざして」~連合静岡事務局のブロック体制について~が陽の目をみます。
ちなみに表紙の侍のカットは当時副事務局長であった鳥居氏の苦心作です。
彼が自宅でほぼ徹夜状態で仕上げてくれた力作です。

(つづく)

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