大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その25)

2016年04月26日 | 労働者福祉
署名活動は地味な運動ですが、集まった署名数によっては大きな成果を生み出します。
昨年末から今年にかけてみなさんに協力願った「給付型奨学金創設と無利子型給付金の拡充」を求める署名活動では、全国で300万筆を越える署名が集まり、とうとう政治を動かし始めました。
2016年4月1日ブログ
このように有効な署名活動ですが、組織的に取り組もうとすると大きな壁があります。
2006年、その壁に連合静岡は挑戦しました。

ひとつは「クレ・サラ高金利引き下げ」署名活動。
もうひとつは「ブラジル政府との犯罪人引渡し条約締結の署名活動」です。
奇しくもふたつの署名活動は、高いハードルを乗り越えて、06年5月17日の執行委員会で承認されます。

もうひとつの偶然は、ふたつとも「連帯と協同」の手順に沿って展開されたことです。

連合の署名活動は基本的には中央からの決定と指示がなければできない仕組みです。
当時「クレ・サラ高金利引き下げ」署名活動は、中央段階では産別によって取り組み方針がまちまちでしたから、連合静岡として組織一丸となって進めることは困難でした。
しかしクレ・サラ問題は日常的に起こっていましたから、なんとか全県的な運動にしたいと考えていました。
一方、連合方針には署名活動について「地域全体で合意できる署名活動」については、地方連合の決議で展開可能という項目もありました。

このクレ・サラ問題に関しては、県労福協の加藤清氏(当時事務局長)や労金の勝又長生氏が中心となって、静岡県に「クレ・サラ被害をなくす県民会議」をつくろうと呼びかけ始めておりました。
そして「県労福協」「連合静岡」「県弁護士会」「県司法書士会」「労働金庫」「全労済」「県生協連」の7団体が趣旨に賛同し、06年5月「クレ・サラ県民会議」が誕生します。
これで立派な地域共通のテーマとなり、連合静岡では署名活動の取り組みに全産別組織が取り組むこととなりました。
全国でも群を抜く署名が集まり、全体では300万筆を越えて、総量規制の法律が誕生します。
06年5月29日ブログ7月25日ブログ10月31日ブログ
当時の街頭署名活動の写真です。私も若かったですね~懐かしい。


(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その24)

2016年04月22日 | 労働者福祉
連合静岡でも「個別賃金分析プログラム」を利用した「賃金ミニマム運動」に舵を切りました。
導入直後は6000人前後の個別賃金把握でしたが、賃金データ提出単組へプログラム改良版を配布することとした2006年は1万4292人の個別賃金が集約できました。
06年5月には連合本部にも理解を求め、連合東海ブロック(静岡・愛知・岐阜・三重・長野)でもこの運動に参加していただけるようになりました。

連合静岡ではそこから個別賃金の集約が年を追うごとに増えていきました。
06年1万4292人→07年2万2722人→08年2万2954人→09年2万5308人→10年2万7291人。
2010年には3役会議で「民間全単組の取り組み拡大に向けて」と題して本音の議論を行いました。
一部産別では本部の了解が必要とのことでしたから、連合静岡として連合本部と話をして理解を求めていきました。
しかし様々な理由から機関決定はできませんでした。
それでもその思いや経過は執行委員会でも報告しましたので、11年2万9338人→12年3万2115人と集約数も増えていきました。

ところが3万人を超えるとプログラムの処理能力が足りず、データ解析に時間がかかりすぎて肝心な時に使えないという不具合が出てきました。
改良するにはプロの手が必要なため本部に資金援助を求めましたがうまくいかず、東海ブロックの仲間に相談して、東海ブロックの繰越金と各県連合会の資金持ち寄りで「個別賃金分析プログラム」をリニューアルいたしました。
これにより100万人分のデータ処理が瞬時に可能な「個別賃金分析プログラムVer2.0」が完成します。

これ以下では働かせないという「賃金ミニマム運動」はこの「個別賃金分析プログラムVer2.0」によって大きく変わる可能性があります。
「最低賃金運動」から始まって「賃金ミニマム運動」「地域ミニマム運動」、そして2010年の「民間全単組の取り組み拡大に向けて」の議論を経て、2013年には「組合員20万人の賃金地図をつくろう」という旗が掲げられました。
この地図が完成した時になにが起こるでしょうか?
賃金データを各組織にフィードバックするとともに、データを開示することで広く県内の雇用社会に影響を与えることができます。
労使交渉において根拠を明確にした要求組立もできますし、労働組合がないところでもそのデータを使って低賃金の是正が図られるかもしれません。
まだまだ道のりは険しいかもしれませんが「継続こそ力!」です。

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その23)

2016年04月21日 | 労働者福祉
2005年の第16回定期大会で連合静岡の活動を特化して「3つの領域」に整理しました。
3つ目の領域を当初は「国民運動」としていましたが、2008年度からより広範な「教育機能」と改称します。

ここでは主に次のことを述べていきます。
1、「個別賃金分析プログラム」を活用した「組合員20万人の賃金地図をつくろう」運動
2、クレサラ県民会議や署名活動
3、スタッフブログや地協ブログによる「知らせる活動」
4、災害ボランティア活動
5、対話集会
6、連合未来塾
7、「Workers Library」

まずは1番目の「個別賃金分析プログラム」です。

これは現在の連合静岡HPにあるプレゼン用データです。
春になると賃上げのシーズンです。
1万円の要求が高すぎるとか低すぎるとかそんな話題ばかりがマスコミに乗りますが、肝心なことはひとり一人の賃金です。
平均1万円の賃上げを獲得してもそれがどう配分されたのか、あるいは他社と比べてどうなのかを知らなければ組合員の真の理解を得られません。

私が小糸製作所の労組専従役員になったときのことです。
委員長が私に与えた仕事のひとつに「個別賃金プロット図」の作成がありました。
もう30年以上前のことでPCもありませんから、人事から賃金台帳を借りてきて一人ずつの賃金をグラフに落としていきます。
年齢、男女、学歴別に2千人以上の賃金を落としていくのですが、そのプロット図から多くのことが分かります。
協定通りの配分がされているか、賃金カーブのいびつな部分がないか、昨年のプロット図と比較することもできます。
個々の賃金で不可解なところがみつかるとその原因を当たって意外なことを知ることもありました。
他社との比較をするために他労組への調査活動にも出向きました。
なかなか教えていただけずに苦労しましたが、教えてもらえても年齢別平均賃金やモデル賃金でした。

1999年、私たちの上部団体である「ゼンキン連合」は「金属機械」と合併し、新たに「JAM連合」を結成します。
もともとふたつの組織はひとつの産別でしたが、総評加盟をめぐって分裂した末の歴史的合併です。
ここから新しい仲間と活動を共にして、同時に新しい発見をします。
当時私はJAM連合自動車部会の部会長を務め、その関係で知った「金属機械」の個別賃金調査データを見て驚きました。
あの苦労した「個別賃金プロット図」が全単組掲載された調査票が1冊の本になっているのです。
これをみて自動車部会の調査委員会活動の中心にこれを置きました。

またこの取り組みを知った「JAM静岡」の二村書記長(当時)が、得意のPCスキルを活かして「個別賃金分析プログラム」を開発してくれました。
もちろんJAM静岡内でもこのプログラムを使用した全組合員個別賃金調査を調査活動の中心に置き、自動車部会でも同様の取り組みを展開しました。
何年かしてJAM静岡と自動車部会では全単組の個別賃金把握ができるようになりましたが、やはり取り組み当初は強い抵抗がありました。
2000年、「賃金ミニマム運動」のツールとして、連合静岡にこの「個別賃金分析プログラム」を紹介したのは、中小労働委員会の委員を担当していた開発者の二村氏でした。

(つづく)


私の運動史(連合静岡時代 その22)

2016年04月18日 | 労働者福祉
連合静岡では、県内160万勤労者がそれぞれ繋がりを感じ、そして居場所となれるような“場”づくりを検討しました。
それが2010年4月1日に発足した年会費1000円の「連合静岡メイト」です。

華々しくマスコミにも取り上げて欲しくてイベントも組みましたが、例の小沢問題でそれこそ大騒動になってしまい、連合静岡メイトのスタートは散々でした。
設立当時は立派なHPもなく、チラシや新聞広告や口コミが拡大ツールの中心でした。
10年2月26日ブログ4月1日ブログメイトHP

その後、会員同士のオフ会や独自の「ワークルール基礎講座」開催などの企画で頑張ってくれています。
12年4月24日ブログ
次のステップでは次代リーダーの手で工夫して「年会費1000円のサイバーユニオン化」できないものかと思います。
そうなればより広範囲で仲間づくりが広がるはずです。

労働委員会や労働審判を経験して思うことは、この近代的な世の中でも、まるで犬猫のように扱われる労働者がまだまだ多いという現実です。
それは労働者の無知にも原因があります。
個人的に受ける相談事と同様に、ボランタリーな受け皿としてここに存在していれば、未組織労働者の拠り所になれると思います。
奮闘を祈ります。

次回からは「教育機能」に移りますが、頭の切り替えが済むまで、少々お休みさせていただきます。

(つづく)

私の運動史(連合静岡時代 その21)

2016年04月15日 | 労働者福祉
県内160万勤労者をターゲットにした新事業は「LWサポート」事業と「連合静岡メイト」事業です。

2007年8月1日に「NPO法人 LWサポート」が設立されます。
この組織は、連合静岡・県労福協・県経営者協会・地域活性化支援センターの4者が協働してつくりあげたNPO法人です。
それぞれの立脚点の相違を乗り越えて労使協働でつくりましたので、全国的にも例を見ないユニークな存在として注目を浴びます。
08年11月には会報として「LWマガジン」を発行、現在では年4回25万部を発行しています。
(LWマガジン 2016春号
また1700のLW優待店舗と契約し、優待店舗で使える「LWカード」を無料で全会員に配布しました。
2011年2月からは「LWライトアップパーティー」と名付けた婚活事業も展開、多くのカップルが誕生しています。

10年12月22日ブログ12年2月2日ブログ7月12日ブログLWサポートHP
当初構想のなかで実現できなかったものは、個人会員登録による「メール&Web」を連動した共有メディアへの進化です。
これはぜひ次代のリーダーに挑戦して欲しいもののひとつです。

(つづく)