大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

私の運動史(連合静岡時代 その23)

2016年04月21日 | 労働者福祉
2005年の第16回定期大会で連合静岡の活動を特化して「3つの領域」に整理しました。
3つ目の領域を当初は「国民運動」としていましたが、2008年度からより広範な「教育機能」と改称します。

ここでは主に次のことを述べていきます。
1、「個別賃金分析プログラム」を活用した「組合員20万人の賃金地図をつくろう」運動
2、クレサラ県民会議や署名活動
3、スタッフブログや地協ブログによる「知らせる活動」
4、災害ボランティア活動
5、対話集会
6、連合未来塾
7、「Workers Library」

まずは1番目の「個別賃金分析プログラム」です。

これは現在の連合静岡HPにあるプレゼン用データです。
春になると賃上げのシーズンです。
1万円の要求が高すぎるとか低すぎるとかそんな話題ばかりがマスコミに乗りますが、肝心なことはひとり一人の賃金です。
平均1万円の賃上げを獲得してもそれがどう配分されたのか、あるいは他社と比べてどうなのかを知らなければ組合員の真の理解を得られません。

私が小糸製作所の労組専従役員になったときのことです。
委員長が私に与えた仕事のひとつに「個別賃金プロット図」の作成がありました。
もう30年以上前のことでPCもありませんから、人事から賃金台帳を借りてきて一人ずつの賃金をグラフに落としていきます。
年齢、男女、学歴別に2千人以上の賃金を落としていくのですが、そのプロット図から多くのことが分かります。
協定通りの配分がされているか、賃金カーブのいびつな部分がないか、昨年のプロット図と比較することもできます。
個々の賃金で不可解なところがみつかるとその原因を当たって意外なことを知ることもありました。
他社との比較をするために他労組への調査活動にも出向きました。
なかなか教えていただけずに苦労しましたが、教えてもらえても年齢別平均賃金やモデル賃金でした。

1999年、私たちの上部団体である「ゼンキン連合」は「金属機械」と合併し、新たに「JAM連合」を結成します。
もともとふたつの組織はひとつの産別でしたが、総評加盟をめぐって分裂した末の歴史的合併です。
ここから新しい仲間と活動を共にして、同時に新しい発見をします。
当時私はJAM連合自動車部会の部会長を務め、その関係で知った「金属機械」の個別賃金調査データを見て驚きました。
あの苦労した「個別賃金プロット図」が全単組掲載された調査票が1冊の本になっているのです。
これをみて自動車部会の調査委員会活動の中心にこれを置きました。

またこの取り組みを知った「JAM静岡」の二村書記長(当時)が、得意のPCスキルを活かして「個別賃金分析プログラム」を開発してくれました。
もちろんJAM静岡内でもこのプログラムを使用した全組合員個別賃金調査を調査活動の中心に置き、自動車部会でも同様の取り組みを展開しました。
何年かしてJAM静岡と自動車部会では全単組の個別賃金把握ができるようになりましたが、やはり取り組み当初は強い抵抗がありました。
2000年、「賃金ミニマム運動」のツールとして、連合静岡にこの「個別賃金分析プログラム」を紹介したのは、中小労働委員会の委員を担当していた開発者の二村氏でした。

(つづく)


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