2011年4月27日と28日のブログで、「筑波山の古道
羽鳥道を歩く」を書いた。
たまたま羽鳥道のガイドパンフに載っていた平良兼の別宅とか
山城とか呼ばれる「竜ヵ井城」跡を調べたが、道を間違えたり
して不明のまま終わっていた。
大河ドラマで平清盛が放送されていることもあり、もう一度
調べてみようと言う気になった。3月20日祝日、天気も良い
観光パンフの地図から読み取った、竜ヵ井城跡のおよその位置を
GPSに記録して、前回の調査で登った柳澤のため池の脇から登る
事にした。
柳澤ため池は、真壁から湯袋峠に抜ける道の右側にある
ため池の隣に「柳澤農村公園」という公園があり、駐車場もある
その駐車場を基点として北坪の山に登る計画だ。
今回歩いたコースのGPSの軌跡図
上りと下りとは別コースを歩いた。下りコースは尾根の上を歩く
感じで、踏み跡もしっかり残っていた。
いずれにしても、踏み跡頼りのコースなので、尾根上のコースに
目標地点の目標1を設定して登った。
見上げると、足尾山の上空付近で、パラグライダーが沢山飛んでいた。
天気も良いし、どんなにか気持ちも良いだろうなー。
高所恐怖症が情けない。
柳澤の溜池の脇に「柳澤土地改良区」の記念碑が建っている
良質な水田なのに水不足でかなり困難したらしく、溜池が
完成するまでの困難が忍ばれる。右奥に見えるのが加波山
記念碑の土手に関東タンポポが一輪咲いていた、
登り口まで行く農道には、一面の大犬フグリの花が咲いている
いまや、こんな所まで外来種が進入し、在来種の犬フグリを
見る事はない。
前回来たときは、まだ明瞭な踏み跡が有ったが、今やすっかり
藪に覆われた登り口、谷筋なので下はぬかるみだ
かすかに残る踏み跡を頼りに、左の斜面にとりついて登る。
やがて中腹を巻くようにして続く作業道に出た。
この道は地図には無い。目標地点をGPSで確認すると右奥である
作業道を右にしばらく歩くことにする。
作業道の周辺は、青木の群落が続いている
真っ赤な実が木漏れ日に輝いていた。
やがて杉林の道になり、やや薄暗い道を緩やかに上り、やがて
下草を刈った杉の林から、目標地点のある尾根道を目指して道無き
急斜面をよじ登る。
しめった斜面は、ズルズル滑って、何度も転びそうになった。
ようやく尾根道にたどり着いたら、そこは山桜の多い
尾根であった。
回りを見回すと、少し左に進んだ所に、境界を示すのか赤く
塗った石の杭が有った。
GPSで確認すると、目標2は右である。
尾根道は明瞭な踏み跡があり比較的に歩きやすいが
意味不明のテープを巻いた竹竿が有ったりする。
途中には赤いテープも巻いてあるが、目的がなんなのか
判らないので、完全に頼る事ができない。
目標方向を頼りに尾根道を歩く。
やがて倒木が道をふさいでいたが、根元を迂回した
踏み跡が有った。
窪地が続く場所に出た。もしかするとこれは
昔の人たちが歩いた道跡なのか、から堀なのか不明だが
窪地は荒れているので、土手の踏み跡をたどる。
しばらくすると藪が多い道になり、踏み跡を探しながら
藪こぎで進む。
だがその先は、竹の密生する尾根で、人一人がやっと通れる
踏み跡が有る道で、身体中がほこりだらけになる
後で気がついたが、カメラもホコリだらけで失敗だった。
こんな時は、ポケットに入るカメラの方が便利かも。
尾根の下には、平行するように平らな部分が続いている
帰りは、その部分を歩いてみたが、結構歩きやすい。
やがて、やや開けた尾根のピークとおぼしき所に出るが
そこは城跡ではないらしい。
そこから一段下った所に少し平らなスペースが有り
大きな石が二つ転がっていた。
もしかして、これが城跡かな、と思ったのだが、GPSの目標
とは微妙に位置が違う。
右下の窪地におりてみると、二つの石のあるスペース側は
石が積み重なった崖の様にも見える
桜川市で聞いた話では、史跡には何の表示もなく、土塁の
跡が有るだけだで、ガイドなしでは判らないだろうと言っていたが
本当にその通りで、素人の私には確定することができなかった。
が限りなく史跡に近づいたことは間違いない。
これは土塁の跡だよなーと未練がましく付近をさまよった
終わり
後記
その少し先は崖で、崖の向こう側の斜面はモトクロスの練習場
のようで、沢山のバイクが轟音を上げて走り回っていた。
尾根道は、この崖に沿って左右に分岐している様だが、練習場
から丸見えで、不審者と思われるのが嫌で行かなかった。
たぶん、左に行けば羽鳥集落に出ると思われる。
機会が有ったら、再び探訪して羽鳥集落への道を確認したいと思う
帰り道、筑波梅林の横を通ったら、車があふれていた。
久しぶりの晴天の祝日で、筑波山にも賑わいが戻ったようだ。
参考までにネットで調べたら
竜ヶ井城の場所を、次のように書いている人がいた。
所在地 真壁郡真壁町羽鳥字北坪145
これは桜川市に合併する前の旧町名だが、地名としての
北坪はある。
惜しむらくは、市販の地図で北坪の番地を確認できないことだ
その方は参考書として「真壁町の城郭」とか「重要遺跡調査
報告書Ⅱ(城郭跡)」をあげておられる。
桜川市の資料館のような所に行けばみられるかもしれないが
今のところ、そこまではできない。尾瀬関係や山の資料を
調べるだけで、手一杯てあるし、何よりもボケがひどくて(笑)
NHKの大河ドラマ「平清盛」視聴率がイマイチとか言われて
ネットでも主演の方の評価が飛び回っている。
視聴率を上げるために、お色気場面も取り入れるとか言われて
いるが、何おか言わんやである。
ところで、平清盛は、あの将門の乱で有名な板東平氏がその
祖先であると言われている。
通説では、その系図は次のようなものだ
桓武天皇-葛原親王-高見王-平高望-平国香-平貞盛-
平維衡-平正度-平正衡-平正盛-平忠盛-平清盛
この中の平国香の弟が平良兼で、その下の弟が良将で将門の
父である。
また良兼の娘が将門の妻であったから、叔父、甥の関係でも
あると同時に、義理の親子でもあった。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
このブログに掲載の地図およびGPS軌跡図等は国土地理院の
承認を得ています。
「 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)
数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)
数値地図50mメッシュ(標高) 及び数値地図10mメッシュ(火山標高) を使用した。
(承認番号 平22業使、第446号) 」
羽鳥道を歩く」を書いた。
たまたま羽鳥道のガイドパンフに載っていた平良兼の別宅とか
山城とか呼ばれる「竜ヵ井城」跡を調べたが、道を間違えたり
して不明のまま終わっていた。
大河ドラマで平清盛が放送されていることもあり、もう一度
調べてみようと言う気になった。3月20日祝日、天気も良い
観光パンフの地図から読み取った、竜ヵ井城跡のおよその位置を
GPSに記録して、前回の調査で登った柳澤のため池の脇から登る
事にした。
柳澤ため池は、真壁から湯袋峠に抜ける道の右側にある
ため池の隣に「柳澤農村公園」という公園があり、駐車場もある
その駐車場を基点として北坪の山に登る計画だ。
今回歩いたコースのGPSの軌跡図
上りと下りとは別コースを歩いた。下りコースは尾根の上を歩く
感じで、踏み跡もしっかり残っていた。
いずれにしても、踏み跡頼りのコースなので、尾根上のコースに
目標地点の目標1を設定して登った。
見上げると、足尾山の上空付近で、パラグライダーが沢山飛んでいた。
天気も良いし、どんなにか気持ちも良いだろうなー。
高所恐怖症が情けない。
柳澤の溜池の脇に「柳澤土地改良区」の記念碑が建っている
良質な水田なのに水不足でかなり困難したらしく、溜池が
完成するまでの困難が忍ばれる。右奥に見えるのが加波山
記念碑の土手に関東タンポポが一輪咲いていた、
登り口まで行く農道には、一面の大犬フグリの花が咲いている
いまや、こんな所まで外来種が進入し、在来種の犬フグリを
見る事はない。
前回来たときは、まだ明瞭な踏み跡が有ったが、今やすっかり
藪に覆われた登り口、谷筋なので下はぬかるみだ
かすかに残る踏み跡を頼りに、左の斜面にとりついて登る。
やがて中腹を巻くようにして続く作業道に出た。
この道は地図には無い。目標地点をGPSで確認すると右奥である
作業道を右にしばらく歩くことにする。
作業道の周辺は、青木の群落が続いている
真っ赤な実が木漏れ日に輝いていた。
やがて杉林の道になり、やや薄暗い道を緩やかに上り、やがて
下草を刈った杉の林から、目標地点のある尾根道を目指して道無き
急斜面をよじ登る。
しめった斜面は、ズルズル滑って、何度も転びそうになった。
ようやく尾根道にたどり着いたら、そこは山桜の多い
尾根であった。
回りを見回すと、少し左に進んだ所に、境界を示すのか赤く
塗った石の杭が有った。
GPSで確認すると、目標2は右である。
尾根道は明瞭な踏み跡があり比較的に歩きやすいが
意味不明のテープを巻いた竹竿が有ったりする。
途中には赤いテープも巻いてあるが、目的がなんなのか
判らないので、完全に頼る事ができない。
目標方向を頼りに尾根道を歩く。
やがて倒木が道をふさいでいたが、根元を迂回した
踏み跡が有った。
窪地が続く場所に出た。もしかするとこれは
昔の人たちが歩いた道跡なのか、から堀なのか不明だが
窪地は荒れているので、土手の踏み跡をたどる。
しばらくすると藪が多い道になり、踏み跡を探しながら
藪こぎで進む。
だがその先は、竹の密生する尾根で、人一人がやっと通れる
踏み跡が有る道で、身体中がほこりだらけになる
後で気がついたが、カメラもホコリだらけで失敗だった。
こんな時は、ポケットに入るカメラの方が便利かも。
尾根の下には、平行するように平らな部分が続いている
帰りは、その部分を歩いてみたが、結構歩きやすい。
やがて、やや開けた尾根のピークとおぼしき所に出るが
そこは城跡ではないらしい。
そこから一段下った所に少し平らなスペースが有り
大きな石が二つ転がっていた。
もしかして、これが城跡かな、と思ったのだが、GPSの目標
とは微妙に位置が違う。
右下の窪地におりてみると、二つの石のあるスペース側は
石が積み重なった崖の様にも見える
桜川市で聞いた話では、史跡には何の表示もなく、土塁の
跡が有るだけだで、ガイドなしでは判らないだろうと言っていたが
本当にその通りで、素人の私には確定することができなかった。
が限りなく史跡に近づいたことは間違いない。
これは土塁の跡だよなーと未練がましく付近をさまよった
終わり
後記
その少し先は崖で、崖の向こう側の斜面はモトクロスの練習場
のようで、沢山のバイクが轟音を上げて走り回っていた。
尾根道は、この崖に沿って左右に分岐している様だが、練習場
から丸見えで、不審者と思われるのが嫌で行かなかった。
たぶん、左に行けば羽鳥集落に出ると思われる。
機会が有ったら、再び探訪して羽鳥集落への道を確認したいと思う
帰り道、筑波梅林の横を通ったら、車があふれていた。
久しぶりの晴天の祝日で、筑波山にも賑わいが戻ったようだ。
参考までにネットで調べたら
竜ヶ井城の場所を、次のように書いている人がいた。
所在地 真壁郡真壁町羽鳥字北坪145
これは桜川市に合併する前の旧町名だが、地名としての
北坪はある。
惜しむらくは、市販の地図で北坪の番地を確認できないことだ
その方は参考書として「真壁町の城郭」とか「重要遺跡調査
報告書Ⅱ(城郭跡)」をあげておられる。
桜川市の資料館のような所に行けばみられるかもしれないが
今のところ、そこまではできない。尾瀬関係や山の資料を
調べるだけで、手一杯てあるし、何よりもボケがひどくて(笑)
NHKの大河ドラマ「平清盛」視聴率がイマイチとか言われて
ネットでも主演の方の評価が飛び回っている。
視聴率を上げるために、お色気場面も取り入れるとか言われて
いるが、何おか言わんやである。
ところで、平清盛は、あの将門の乱で有名な板東平氏がその
祖先であると言われている。
通説では、その系図は次のようなものだ
桓武天皇-葛原親王-高見王-平高望-平国香-平貞盛-
平維衡-平正度-平正衡-平正盛-平忠盛-平清盛
この中の平国香の弟が平良兼で、その下の弟が良将で将門の
父である。
また良兼の娘が将門の妻であったから、叔父、甥の関係でも
あると同時に、義理の親子でもあった。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
このブログに掲載の地図およびGPS軌跡図等は国土地理院の
承認を得ています。
「 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)
数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)
数値地図50mメッシュ(標高) 及び数値地図10mメッシュ(火山標高) を使用した。
(承認番号 平22業使、第446号) 」