春の城攻め ③-8 北出丸

2024-01-26 15:07:00 | 佐伯城


豊後 佐伯城




北出丸

本丸 北側
食い違虎口跡
水の手門跡階段
越えて
本丸から飛び出た 北の丸



     
△                 △
西側                東側



木々の向こうに 城下




三重櫓 が あったようだが



かなり 狭い





城下側の角

下に 北側園路 があり
独歩碑の道 ~ 若宮の道
つながっているみたい




西側の角




北の丸から 本丸外曲輪 天守台 を見る

   



ここも 木が多い気がするが

桜だ






天守台
本丸外曲輪

その下に 階段状の 石垣が見つかった
4段もある

15年程前のこと
それまで 放置 やったんやね




△                       
4段の 階段状の石垣                    
▽                       



本丸下の階段状の石段発見は
長い間放置され 木々に覆われていて
木々の伐採 下刈り 除草
城址の整備によってだと思う
観光客の多い城ではないので
予算繰りも大変だろう

ムササビのいる森

というのも 木々の伐採も 簡単ではない
ただ 三の丸から 城山を見上げても
石垣は 見えない
それもまた どうなんだろう







北の丸と本丸で曲輪との 食違い虎口





北の丸は 本丸で曲輪よりも 低くなっていて




ここに 食い違い虎口 ということは
北の丸から攻められて
ここで 本丸侵入を防ぐということ

でもなくて
北の丸を守る ようにみえる

それに こちら側が どう見ても手薄になりそうだが



        △
石垣の角を左に行くと 堀切へつながっている


普通 ここに 門を設置する と思うのだが
門櫓は 右手の北の丸側にある
本丸出曲輪 一周できてしまう

仕切り門ぐらいだったのだろうか…





本丸石垣 北面



乱積みよりも 進化してる積み方
のように思う
打込み接ぎまではいかない
財政と工期の問題からか?

高度な乱積み と言いたい いい積みだ

同時期 関ケ原以降 築城した
日出暘谷城の 穴太積み とは
また違う

まてまて
こんな石垣 どこかで見たような…

岡城 西の丸から 家老屋敷辺り…

彦根も ちょっと こんな感じだった気もする