西
🐔
酉
とり
天守の 西
北之丸から 廊下橋を渡り 西之丸へ
扉が橋に取り付けられているということは
攻め込まれても 橋は落とすという考えはなかったのか
あくまでも 櫓のように 中から迎え撃つためのものと
考えたものだろうか
橋を落とす 燃やす とすると
西之丸側 に 門を構えるだろうし…
左手(天守側)
渡ると 桝形
左手壁の向こう 内堀から 内内掘り入口
そこを 狙う狭間
片足をかけて 狙ったのだろうか
きれいに揃えられているし
滑り止めともみられる加工跡
復元時よりも 古いように思う
屋根瓦は 新しい
左に回っているように見えるが
右三つ巴
橋の右手
慶長の石垣
算木は 切っているが 中は 自然石
なかなか すばらしい
きれいな 切り込み接ぎも感動するが
こういうのも見惚れる
⇧
冠木門跡
廊下橋の向こうは 北之丸
こちら 西之丸側桝形
食い違い虎口
廊下橋正面 食い違い虎口の石垣
同じ高さだったと思う
⇧ ⇧
食い違い虎口に 冠木門があった
廊下橋側から
反対側から
外側の門跡
城内側
礎石の穴は 大きくない 位置決めか?