杵築ひいなめぐり 中根邸 🎎

2024-03-04 20:20:20 | 杵築城




塀越しに見えたのは 裏庭側


通りの仕切り門を出て 屋敷前に



門構えの立派なお屋敷


お屋敷に 行ってみましょ




開け放された 玄関に お飾り





厳かな お飾りです







奥の間に 飾られてるのも 拝見






賑やかに






いつも思うのですが
お内裏様とお雛様
🎎
並び方は どうなのでしょう?






玄関は  お内裏が  左






奥間は  お内裏が  右


どっちでもいいの?
でも 意味あるでしょ!




結婚式 神前 教会… 新婦は 左

結婚式披露宴 ひな壇 新婦が 左




天皇 皇后



こっち並びだったかと



英国 ロイヤル はどうだ?



さらに アベック デートする カップルは?



はたまた

平安京
内裏
(西)右京  左京(東)

右大臣 左大臣
どっちが偉い?



言葉としたら…


右に出るもの  右腕

左遷  左うちわ



右の耳から 左の耳

左右確認  右左を見る

 

いろいろ あるようですね
説明は 省きます








こういうのだと 座敷一間 必要ですからね~









おや


これはこれは

何年ぶりの再会でしょうか





楽しそうですね~






珍しい お雛様


ここで なんと


つづく~




杵築ひいなめぐり 一松亭

2024-03-04 05:06:07 | 杵築城




今年の 三月三日 は 日曜日

お雛めぐりに出かけました

町通りの🅿が満車なので
南台の展望台に行くことに
まずは 杵築城を 見てから






🅿の石垣
なんてことはないが 石が積まれてると カメラを向ける




この石垣の上にあるのが 一松邸 らしい

ひとつまつ




戦前の別荘 ですね




木枠のガラス戸 当時は ハイカラ建築の最先端ですね

高台にあるので この日も風が強かった
台風とかだと 昔のガラス板は大変だったことだろう
雨戸を閉めてたのだろうな…

さて その 庭からは






一寸先は 断崖なので 安全策の安全柵



八坂川河口

城からすれば どでかい 濠 ですね





城も高台の 鼻(先)に あります










模擬天守ではありますが 見た目は良いです





⇦ 国東 安岐城             日出暘谷城 豊後府内城 ⇨


渡し とかあったかもです




正面に うっすらと 四国最西端 佐田の岬 



四国最西端 佐田岬 = さだみさき
九州最南端 佐多岬 = さたみさき

きちんと区別しましょう



その右側に 高島



豊後水道
速吸の瀬戸
海の難所


その右側に  佐賀関



製錬所の煙突 右側の凹んでる所が 佐賀関の町
古くは 神武天皇
幕末は 坂本龍馬
立ち寄った所ですね
昔は 豊後水道を越えるのが 命がけだったでしょうね


佐賀関 ⇔ 三崎 九四フェリー
これくらいの 時化では 運休しません
何度も 乗ったことがあります




ここを 昔は 小さな小舟 で行き来



さて 🎎 見に行きましょう

ダーダーダー♪




一松亭の塀瓦

つ~~る~~

落語のネタ思い出しました






杵築城下町資料館脇の道


新しい道ですが 景観を壊さず





塀の上から 茅葺の屋根が見えたので

塀越に .  覗き込む


門を 出てみましょう



ダーダーダー






坂の城下町・杵築 🍡餡だ!

2024-02-13 03:03:03 | 杵築城



豊後國  杵築城下





坂を上り 下り 城山を上り

けっこうくたびれました

こういう時は エネルギー補充






老舗の和菓子屋さん で 買いこんできました

城下町には お茶 お菓子 お酒

必ずありますからね






名物 みそまんじゅう


そんなに みそみそ していません

しそこのみ
というのもありました




チョコクリーム大福     カフェオレ大福



これがね~ 病みつきになるくらい おいしい

中身撮るのに 食べかけでスイマセン






そして これが 有名な 最中



ゆき笹

木付藩  松平家家紋

松山堂





パリッと してる

最中 最高


そんで これも





酒蔵さんで買った 酒粕

純米酒粕
知恵美人

こいうの 素通りできない人が 同行しておりました
どんな味か 私も 御相伴させていただきます





いや~ 楽しかったのを 思い出しました

その後 コロナで中止縮小してましたが
今年は 三連休初日から 始まってるようです
天気の良い日に また 行ってみようかと



結局 天守には入らず 帰ることにしました
城下にある バスターミナルから乗車




カードの使えない にこにこ払い


昔懐かしい 長いシフトレバー

リンク式です






貸し切り

杵築高校がありますから 通学バスみたいなもんですね





杵築駅前に到着




マンホールの蓋

展示品

北台  兜蟹  南台







賑やかだった昔を思わせる 広い駅

右手には貨物取り扱いの頃の引き込み線がある






いつもの電車で帰りました。 とさ


城下町 ブラ楽し 杵築でした

また 行こう

今度は 雨の坂でも 撮りたいな

めんどくさ






坂の城下町・杵築 🗾図だ!

2024-02-12 21:00:01 | 杵築城



豊後國  杵築城下



追加記事




← 杵築大橋   八坂川                 

ここは 干潟だった








ビリビリ



現地に こういう説明板がある






△                                 
肝心なところが 欠けている                     



あまりに 現在と ちがっていて
わからないので マップをさがしたら
現在の地図と照らし合わせた
わかりやすいのが あった…




これ 使って いいのだろうか?


え~~い

使っちゃえ

御免






観光マップ
こっちはいいと思うんだけど





坂の城下町・杵築 🏯付だ!

2024-02-12 13:14:15 | 杵築城




豊後國 杵築城





こちらが 海側 正面





1394  木付城 築城
1591  木付城 天守


全然知らなかったので 調べてみました
築城は 鎌倉幕府 南北朝時代 室町幕府
武士の戦が激しくなって来た頃

   1336 ~ 1568 室町時代      
1397    金閣寺 

「義光」でしたね

これ以降 各地で一揆が起こるようになったのでしたね


1586  島津軍に囲まれるも落城せず

島津軍は 府内城を落として 臼杵城も囲んでいた
大友軍が 連敗してた頃ですね
秀吉軍が来るというので島津軍が撤退した
  1587 岡城も囲まれたが撃退したのは有名

1600  大友軍に囲まれるも落城せず

中津の 黒田官兵衛の軍に助けられた
「九州の関ケ原」石垣原の戦いに突入
関ケ原では東につき 細川の所領に

天守の方は

1596  大地震で震災
1597  暴風雨で損壊
1608  落雷天守焼失
再建
  1615  一国一条令 破却



     1712  杵築城 御朱印状誤記 

幕府の誤記のようになってますが
木付氏は滅亡してるわけですから
幕府の意向でしょう




感じ 丸亀城っぽいです
ちょっと 大きいかも
でも 宇和島城 ほどではない?

見た目です 数字的にはわかりません

でも 丸亀 宇和島 現存天守に比べたら
一層が大きいと感じます



天守前から 海が見えます





木が覆い茂ってますが 断崖なので切るのも大変そうです


うっすら 見えるのは 島ではなくて
四国最西端 佐田の岬半島




海岸の干潟は 塩田 でしょうか…


ここの干潟には カブトガニ が生息しています
天然記念物 









城山 西側を流れる 八坂川

南台 武家屋敷の崖がすごすぎる



船溜まり あったようです
この地区は 魚町



城山の海側 城下

下から見ると こんな感じ
かっこいいです





小高い山の上にある天守

よく見かける 景色ですね





周囲の木で 一層が隠れてるからでしょうか

バランスよく見えます






城は 下から 見上げるの いいですね