水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

三輪山麓 辺津磐座巡り-1 大直禰子神社(若宮社) 再訪 <奈良県桜井市大字三輪字若宮>

2019-02-26 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

桜井市、再。

・・って、
下書きしてあったこの記事を先に上げなきゃいけなかったのに、
すっかり忘れてました(笑)。

なので改めて磐座巡り記事の仕切り直し。

 

 

 

 

 

 

橿原市の神武天皇陵から電車で移動し、
何度目かの三輪さんへ。

この参道は何度通っても気持ちがいいです。

 

 

この日は時間内に三輪山へ入るため、
大神神社の鳥居はくぐらず、
先に狭井神社へと向かいました。

 

 

・・の前に。

 

 

大直禰子神社(若宮社) 再訪。

 

 

こちらは、大神神社の境外摂社です。

以前訪れたときも思いましたが、
この神社は陽の空気で満ち溢れているんですよね。

 

 

お天気に関係なく、
常に明るくて温かい。

 

 

このあたりで大神神社の次に好きなのは?
と聞かれたら、迷わずここと即答します。

 

 

 

 

御祭神:大直禰子命

配祀神:少彦名命 活玉依姫命

本殿は重文とのこと。

 

 

大直禰子神社は、明治の神仏分離までは大神神社の神宮寺で、
大御輪寺と称していました。

だから見た目も、神社というよりお寺感が強いんです。

というかこの社殿、
大御輪寺の本堂をそのまま転用したものだそう。

なので名前だけ神社の、
まんま、お寺ですね。

 

 

神宮寺とは、
簡単に言えば「神社の境内や、神社に付属して建てられた寺院」のことで、
別当寺とか、宮寺などともいわれます。
(※神社の社号である「神宮」とは関係ありません。)

要するに、神社(神さん)のための仏教寺院。

逆に、寺院に付属して建てられた、
お寺のための神社(祠)のことを、「鎮守社」といいます。

 

 

そもそもなぜ神社のためにお寺が必要になるのかというと、
これは「神身離脱」の考えに基づいています。

 

 

当ブログにも度々出てくる言葉に、「神仏習合」というものがあります。

「神仏習合」は、
日本土着の神祇信仰(古神道/原始神道)と、
6世紀に伝来した仏教が次第に混淆して一つになったもの

仏教は、浸透する過程で神祇信仰と融和していき、
「神道の神」と「仏教の尊格」は同一視されました。

平安時代には、
“神も人間と同じように、苦しみから逃れたくて仏の救済を求めている”として、
神々も仏道に帰依することで救済されるという考え(神身離脱)のもと、
神社の境内外に寺(神宮寺)が建てられていきました。

 

 

今でこそ神社とお寺は明確に別のものとして認識されているけれど、
この神仏習合は、明治時代になるまでの約1,000年にわたって続いたのです。

つい最近まで、
神社のご神体として仏像が置かれ、神前で僧侶が読経して・・
等ということが、ごく普通に行われていたんですね。
 

 

 

戸隠神社奥社で初めて感じた、神仏習合への違和感は、
神社巡りをするごとに次第に薄れていって、
お伊勢さんの外宮を訪れたタイミングで、
ほぼ皆無になりました。
(お伊勢さんと習合って、それこそ対極にあるんだけど・・)

それどころか、尾張造りをはじめとして、
本能的に惹かれる社殿や境内の、ほぼすべてに
修験道色、習合色が重なっていたことに気付き、
実は本質的にこれが好きだったんだと認識。

多くのものに触れていくうちに、
自分の中にあった本能的なものが明確になっていく。
その過程が、我ながら面白かったですが、
ただ、「神仏習合」というモノ自体は、受け入れる事が難しいです。

 

 

“土着の神は、仏法を守る善神である”という考え(護法善神)も、
“神々の正体は、仏や菩薩が化身として現れた「権現」である”とする考え(本地垂迹)も、
今でもやっぱり理解不能。

記紀神話の神を「垂迹神」、それに対応する本源たる仏教の尊格が「本地仏」。
天照大御神の正体(本地仏)は大日如来で、
須佐之男尊の正体(本地仏)は薬師如来という具合に。

んー、やっぱ、
本地垂迹が一番理解不能(理解したくない)な考え方かな。

習合色には惹かれるのに、
その本質には拒絶反応がでる。

自分でも何故だかよくわからない(笑)。

 

 

大神神社 末社 「御誕生所社

御祭神:鴨津美良姫命

 

 

おなじく末社の「琴平社

御祭神:大物主神

 

 

 

さて、今回の桜井旅の目的のひとつが、
辺津磐座めぐり。

代表的なものは、このあと登拝する三輪山の磐座群ですが、
山麓にも古代からの磐座がいくつか点在しています。

大神神社境内の磐座神社(1個)、参道の夫婦岩(2個)、
素佐男神社(2個)、志貴御県坐神社(4個)、平等寺(2個)など。

そしてここ若宮社にも、辺津磐座がひとつ。

 

 

それがこちら。

 

 

おそらくその祭祀の成立が4世紀~5世紀にさかのぼるであろうとされる、
辺津磐座の一つだそうです。

 

 

なお、本堂手前の御饌石は、古代の磐座ではなくて
近年に祀られたものだとか。

 

 

磐座は、それ自体が「神」なのではなく、
神が降りる(依る)ための依り代、神の坐す場所です。

巨石に限らず国内には大小様々な磐座が散在し、
今まで参拝した神社の中にも、
磐船神社(大阪府交野市)
眞名井神社(京都府宮津市)、
櫻山八幡宮(岐阜県高山市)、来宮神社(静岡県熱海市)、
諏訪大社・上社 本宮(長野県諏訪市)、
 
飛瀧神社(和歌山県東牟婁)、佐太神社(島根県松江市)、
物部神社(島根県大田市)、白鬚神社(滋賀県高島市)、
大神神社三輪山(奈良県桜井市)、天白磐座遺跡(静岡県浜松市)

などなど、多くの磐座が存在していました。

巨樹とともに本能的に惹かれる存在であり、
どれも等しく心を持ってい
かれます。 

いつか石座神社(愛知県新城市)の磐座群も見てみたいなあ・・。 

 

 

最後に、鳥居横にある織環杉に再度ごあいさつ。

根元だけですが、とても存在感ありますよね。

 

 

 

 

そんなわけで、
陽の気をまとったこの場所から
三輪山麓辺津磐座巡りの半日旅の始まりです。

 


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