水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

惹かれる

2019-05-09 | 夢うつつ

 

最大10連休というGWも終わり、日常が戻ってきました。

 


10日も休みがあるとさすがに出勤が億劫にもなりますが、
連休明けの仕事の山を前にすると、そんな気だるさも一瞬で吹き飛びます。

通常モードに戻っていく自分にすこし安堵しつつ、
心はすでに8月のお盆休みへと飛んでいる今日この頃です。

 


さて、連休中の神社巡りはというと、
どこへ行っても道中からして混雑するので、遠出をやめて近場を選びました。
(基本は平日のんびり旅。)

本記事中の写真は、
その時訪れた岐阜県の谷汲山華厳寺と、両界山横蔵寺です。

新緑の季節なので青葉がそれはそれは美しく、
そこそこ人が多いながらも楽しい一日を過ごしました。

 




特に華厳寺参詣の後、
時間があったので訪れた横蔵寺では、
一歩境内に足を踏み入れた途端に、
まるで極楽浄土にいるかのような感覚にさえなりました。

あんな美しい光景の中に身を置いたのは、
美濃の洲原神社以来でしょうか。



境内の清らかさや社殿の素晴らしさ、
心地よさ、神々しさなどを感じる機会は多々あれど、
その光景が美しいと心底思うことは稀です。



詳しい参拝記事を上げるのはかなり先になりますが、
横蔵寺は本当に行ってよかったと感じた所でした。




ちなみに、長い連休中に個人で訪れたのは岐阜だけでしたが、
実はもう一ヶ所、前日まで行く気でいた場所がありました。



そこは、近隣県をグーグルマップであれこれ見ていた際に
たまたま見つけた好みのお寺で、
絶対に行きたいと思える程ではなかったものの、
木々に囲まれた山腹の、そこそこロケーションも良さげな場所でした。



画像からはあまり明るさを感じなかったけれど、
せっかくの休みだし、明日にでも行ってみるかなー程度の動機で、
旅程も決めて用意もして、眠りに就こうと目を閉じました。



すると、目を瞑ってから数秒後、
木々の合間を縫ってこちらに迫ってくる黒い骸骨の姿が、
唐突に前方に広がりました。

黒色の体をしているというよりは、
ブラックホールのような暗い闇がガイコツの姿を形造っている。
そんな感じ。

それが笑いながら、頭を左右にゆらゆら揺らして
こっちに向かって飛んでくるんですよねー。
イヤーン。

恐怖までは感じないけど、
暗く淀んでいて、ヤな感じ全開な奴。



いつもならワクワクしてなかなか寝られない私
(←遠足の前は嬉しくて寝つけないタイプ)が、
一向に気分が上がって来ないどころか、
そんなイメージが頭に浮かんでくるなんて滅多にない。

ああこれは行かないほうが良い所なんだなと直感的に思い、
出掛けるのを即中止しました。



その山全体が良くないのか、
お寺自体の問題なのかはその時は分からなかったけど、
やっぱり、まぁいっか~的に適当に選んじゃダメよね。

行き当たりばったりでも、
とても惹かれる何かがあれば結果オーライなのだけど、
特にピンと来ない場合はやめといたほうが無難。



そういえば、今迄にもそんな感じでダメだと感じたことが数回あったっけ。



・名古屋市南区の某神社

 (別の神社に行った時にたまたま見つけて、
 イヤな感じを受けながらも境内へ入ってみたが、
 昼なのに狛犬から先の光景が真っ黒に見えて、
 途中で引き返した)



・愛知県江南市の某神社

 (通りがかりにあった神社で、奥行きが狭いため
 道路からすぐ本殿が見えたが、
 速攻で見なかったことにした)



・三重県伊勢市の某神社

 (不気味さを感じつつも参道を進んでみたが、
 社殿前でやっぱムリと思い写真も全削除した)



・奈良県桜井市の某神社

 (手前にあった池は良かったけれど、
 池の半ばから先は異質な空間が広がっているのが分かったので、
 途中まで行って引き返した)



・・こんな感じで、
アカンだろうなーと感じつつも参詣を強行(笑)しようと試みてるケースもありますが、
共通するのは「惹かれない」ということ。



「イヤな感じがする」所は勿論のこと、
「惹かれない」所も、同様にやめたほうがいい。



偶然見つけた神社でも、自分が「惹かれた」所は大丈夫だったので、
良いか悪いか判断がつきにくい場合は、
「行ってみようかな」と思えるかどうかが基準になる。

「まぁ行ってみるかな.... (´-ω-`)」じゃなくて、
「行ってみようかなっ(・∀・)」となる所にする。

そこは基本です。




ちなみに、上記4ヶ所以外の、
これまで参拝した社寺(ブログに載せた所)は全て、
私にとって何も問題の無い素晴らしい場所ばかりでした。



ただ、そこはもちろん人によると思うので、
神さんのタイプや神社自体の歴史、土地にまつわる因縁、
さらに細かく言えば時間帯なども含め、
霊的なことに敏感な人から見れば、グレーな場所もあったかもしれませんね。



私はそのへん気にならないというか、霊は見ようとしなければ見なくて済むし、
本当にヤバければ上記のように赤信号が灯るから、
そうで無い限りは影響が無いので平気です。



そんな、多少のあれこれは気にしない私でも、
今回のように“どーしてもムリ”っていう場所が稀にある。

回避できるかどうかは自分の直感にかかってますが、
神社との相性やら参拝の可否やらを気にされる方の場合、
まずは「惹かれるかどうか」を最低限の基準にすると良いかなと思います。




聖地に限らず、どんな場面でもどんな場所でも、
直感を大切にすることが重要。

自分を突き動かすものがある場合を除き、迷った時はやめる。



今回のゆらゆら骸骨の一件で、改めてそう思いました。




実はこのガイコツ話には続きがあって、
後でネットでその場所のことをじっくり調べてみたところ、
地域では有名な心霊スポットでした (゜Д゜)

なんだよそれーー
知ってたら別の所で探したのに・・



で、ガイコツが出てきたせいで翌日そこへ行くのを取り止めて、
翌々日に予定していた岐阜行きを前倒しで敢行することに・・。

でも結果的にこれが大正解だったんです。



華厳寺 → 横蔵寺 → 揖斐駅 とバスで移動したのですが、
揖斐駅へ行くバスに乗った際に、
「このバス、明日は臨時で運休なんですよ~」と
運転手さんに言われました。

何でも、次の日は揖斐祭りの道路規制があって、
華厳寺~横蔵寺、横蔵寺~揖斐駅 の路線が運休となるそうで、
「もし横蔵寺に来るなら、華厳寺からバスで谷汲駅へ戻って、
そこから揖斐駅行きのバスに乗り換えないと無理」とのこと。

時間的な事を考えると乗り換えるヒマはないし、
かと言ってタクシー使ってまで来ることはしなかったと思う。

なので、もし予定通り翌々日に岐阜を訪れていたら、
ほぼ確実にここへは来なかったでしょう。



前日に黒ガイコツが出て来なかったら、
私はこの美しい光景を見ないまま帰ってた。



やはり直感は大事ですね。

黒ガイコツのせいで行く気が萎えて、
同時に予定していた別の社寺を参拝する機会まで逸したけれど、
おかげで岐阜旅を順調に終えることができた。

目の前にある良くないものを本能的に避けた結果、
その先にあった更なる不運を回避できたわけで、

そう思うと、あの不気味なガイコツに感謝の気持ちすら湧いてくる。

 


今後は、
自分が惹かれるものに向かって進むだけじゃなく、
本能レベルで発する信号には素直に従おうと思う。

求めるだけではだめで、
出直すこと、止まって考え直すことも大事。

たとえその時は不本意でも、痛みを伴うことでも、
長い目で見たら正解だったってこともある。


今日の不運は、明日の幸運のきっかけかもしれない。



平成から令和にかけてのながーい連休の中で、
改めて思い、そして認識を新たにした、
小さな出来事でした。