つづいては、籠神社の奥宮(境外摂社)である、眞名井神社へ。
籠神社の東側の道(駐車場のあるところ)から行けますが、
ちゃんと看板が出ているのですぐわかります。
一の鳥居です。
この先の参道は少々上りになっていて、坂道ヘタレな自分にはちょっとキツかった。
神社に隣接するユースホステルのお客さんなのか、ただの参拝客なのかわかりませんが
何人もの人と行き交いました。
眞名井神社、到着。
眞名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)といい、
籠神社の北東およそ400メートルのところに鎮座しています。
籠神社の御祭神である豊受大神が、神代のころに鎮座していたのがこの「真名井原」の地(現:眞名井神社)。
石碑にみえる「匏宮(よさのみや)大神宮」とは、籠神社ができる以前の眞名井神社の呼称で、
天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮(与佐宮・吉佐宮・与謝宮)」にあたるとされています。
719年より以前の本宮が、この眞名井神社であり、
「上宮」と呼ばれています。
この御神紋、本来は三つ巴ではなくて六茫星が刻まれてたんでしたっけ。
(眞名井神社 六茫星 でググると画像いっぱい出てきますね)
二の鳥居。
鳥居の左右には狛龍。
こま犬ならぬ、こま龍さんなのです。あぁ感動。
しかもちゃんと阿吽なのね。
お役目ごくろうさまです。
御霊水「天真名井の水」
電車旅だし、ポリタンクで大量にという訳にいかないので、持参ペットボトルでいただきます。
めっちゃ水量あって、すぐに溢れてしまった。
写真はここまで。
なおかつ拝殿の背後には瑞垣が作られていて、境内社や磐座は遠くから拝むかたちとなります。
残念ですが、磐座に登って写真を撮ったりする不届きな輩がいるせいで、
このようになったようです。
ググってみると、磐座のまわりに梵字の書かれた小石が撒かれてただの、
磐座で座禅だの・・。なんでそんな畏れ多いこと出来るんだろうなあ。
神との交信とかやりたい勘違いスピ厨は、自宅の庭にほこらでも建てて勝手に修行しとき。(´-ω-`)
有名すぎて撮影禁止になってしまう眞名井さん。
パワスポだなんだと騒がれてますが
確かに、スピ厨ぎらいの私でも思わず頷いてしまうほど凄い神社なのは間違いない。
長い階段をのぼり、瑞垣越しに境内社や磐座に相対したとたん、からだ前面がビリビリする。
電気を全身で受けているような感覚。
いろんな神社で癒されてきましたが、こういうビリビリ感は滅多にない。
とくに凄かったのが、2,500年前からその姿を残している、本殿の背後右側の磐座。
御祭神は、鹽土老翁(亦名住吉同体/大綿津見神/亦名豊受大神)。
あぁそうか、綿積神さん・・。海部氏の実際の祖(ry じゃん。
そりゃ強いわ。
九州の天岩戸神社 で御神体の岩戸に対面したときの、強い圧をからだで受けたときに似てる。
この日、瑞垣の前で両手広げて立ってる人とか、
じーっと向こうを見つめて微動だにしない人とか色んな方がいましたけど、
その気持はわかる気がする。
神さまっているの?と聞かれれば、ここにはいる。と即答しちゃう。
そんな神社でした。
では再び天橋立を歩いて駅へ戻ります。
あれ、行きは気付かなかったな。(天橋立神社そば)
この大砲は、海軍思想普及のために大正12年2月海軍大臣より下付されたもの。
名称:四十口径安武十五センチ砲身
重量:約5トン
長さ:6メートル40センチ
元搭載戦艦名:軍艦春日
松とはまた違った歴史の証人がここにも。
智恩寺の門前には、飲食店や茶屋のようなお店が並んでいました。
この「智恵の餅」が名物だそうですね。
↑撮影OKのお返事をいただき、さらに試食まで・・。(*>ω<*)
伊勢の名物「赤福」に似たかんじでとても美味しかったので、即購入(笑)。
青空にさそわれて赴いた京都。
途中、日傘が必要なほど暑くてヘロヘロになりそうでしたが、とても充実した楽しい一日となりました。
明日なんて何があるかわかりません。
思い立ったが吉日。やりたい事はやっときましょう
・・てことで、
一日あいだをあけて翌々日は奈良へGO
写真の整理が追いつかないのでまた後日・・。
辻利の「京茶ラスク」
抹茶チョコがかかったラスクです。京都駅のキオスクで衝動的に購入。
したらコレ、美味しいのなんの。甘くてほんのり苦い抹茶チョコが絶妙で・・。
もっと数多いの買っとけば良かった~
(籠神社と眞名井神社の御朱印)