四国まとめつづき。
~2日目の後半の予定~
【観音寺】14:08(JR:特急しおかぜ 岡山いき)
|(約15分)¥1,430
(14:22着)
【多度津】14:47(JR:特急南風 高知いき)
|(約10分)
(14:58着)
【琴平】
|徒歩(約10分)
(15:15着)
◆金刀比羅宮〔16:00~17:30〕1時間30分
|徒歩(約10分)
【琴平】17:47(JR:土讃線 高松いき)
|(約15分)指定¥5,960(※マナカ不可)
(18:05着)
【多度津】18:26(JR:特急しおかぜ 松山いき)
|(約2時間)
(20:28着)
【松山】
|徒歩(5分)
【JR松山駅前】20:41(伊予鉄道:市内線 道後温泉いき)
|(約25分)¥180
(21:06着)
【道後温泉】
〔泊:愛媛県松山市〕
銭形砂絵の見物を済ませたあとは、再びJR観音寺駅へ。
多度津駅で乗り換えて、
JR琴平駅で下車。
趣のある素敵な駅舎だー。
(国の登録有形文化財)
駅を出てまっすぐ進むと、大宮鳥居。
道路の向こうには、金刀比羅宮 北神苑内の高燈籠(国:重文)がそびえておりました。
1860年完成の日本一高い灯籠で、高さは約27m。
かつては瀬戸内海をゆく船の指標、灯台として使われるとともに、
金比羅を目指す参拝者にとっての重要な目印であったそうです。
また、手前に立つ鳥居も古くて1782年造営。
表参道の手前で、四国旅初のちゃんとした食事をいただきました。
他はコンビニおにぎり程度を移動の合間に摂るぐらいだったので、
これが最初で最後のまともなご飯(笑)
やっぱうどんは食べておかなきゃね。おいしかったです♪
表参道
この時点で、時刻は16時ちょい前。
本宮までの往復+参拝で1時間30分を予定していたので、
大門が閉まる18時は余裕でクリアするはず。
ただ、本宮 ⇔ 奥宮はさらに往復2.5キロあるため、
残念ですが奥宮はパス。(16時半には本宮からの扉が閉じられます)
平日の16時という事もあってか、門前町も空いてますね。
飲食関係のお店などは17時閉店が多いので、
今から登ろうとする観光客自体が少ないのでしょう。
金刀比羅宮は象頭山の中腹に鎮座し、本宮まで石段(785段)を延々と登っていきます。
(さらに奥社までは、プラス583段)
気合入れていかなくては!と思ってスタートしたけど、
こんなふうに数段のぼったらフラットになって・・の繰り返しなので、
意外とラクなんです。
さほど時間の余裕はないので、さらっと写真撮るだけですが、
それでも見所いっぱいで、長居したくなるのをぐっと我慢。
灯明堂(重要有形民俗文化財)
1853年に船の下梁を利用して建てられたもの。
中には多くの釣燈籠が吊り下げられ、夜の参道を照らします。
次々に現れる文化財や建造物に、テンションは上がりまくり。
目の前に人参をぶら下げられた馬さん状態となり、
軽快に石段を駆け上がってる自分に驚き。
通勤の地下鉄の階段じゃ、こうはいかない笑。
きっとアドレナリン全開なんだろうな。
今日一日動き回った末の、シメの石段だというのに、
なんの苦もなくノンストップで駆け上がれる。
全くと言っていいほどキツさを感じず、息も上がらないんだから不思議。
ご褒美のごとく現れる遺物たちが更なる燃料となり、
ガンガン登っていきました。
鼓楼
1710年建築の高楼で、朝夕の時刻を知らせる時太鼓が中にあります。
太鼓は現在でも朝夕に打ち鳴らされるのだそう。
また、城に似た造りであるることから「琴平城」とも称されます。
大門
金刀比羅宮の総門であり、
1654年頃に松平頼重(讃岐国高松藩主)から寄進されたもの。
この大門から先が、当社の境内です。
境内は国の名勝/天然記念物に指定され、
瀬戸内海国立公園に含まれます。
振り返ると素晴らしい光景が。
門越しの景色には、毎度惹きつけられます。
毎日こんな夕景が見られたら最高だろうなー。
大門から続く150m程の道は桜馬場と呼ばれ、
春には桜のトンネルになるんだそう。
銅製鳥居をくぐり、さらに上へ。
書院(国:重文)への入口となる社務所門。
参道脇にある黒門から四脚門(国:重文)を遠目に仰ぐことができます。
通常は閉まっていますが、こちらが書院の正門。
祓戸社(右)
御祭神:瀨織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神
火雷社(左)
御祭神:火産靈神、奥津比古神、奥津比賣神(合祀:八衢比古神・八衢比賣神・來名戸神)
旭社(国:重文)
御祭神:天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大御神、天津神、国津神、八百万神
華麗な装飾を施した高さ約18mの社殿。
1837年に造営された、かつての金堂(薬師堂)ですが、
直線・シンメトリー好きの私にはグサグサと刺さりまくり。
あまりの荘厳さに、
しばらくここが本宮だと勘違いしてました。
こちらは本宮の後に参拝するのが本来のようで、
参拝ルートもそのようになっていました。
旭社の正面に立つ、約32mの廻廊。
1854年建立、1901年改築。
賢木門(二天門)
1584年に長曽我部元親が献納し、1879年改築。
賢木門から、すこし雰囲気が変わります。
遙拝所
伊勢神宮や皇陵の遙拝所。
連籬橋(れんりばし)
真須賀神社(旧:本地堂地)
御祭神:建速須佐之男尊、奇稲田姫尊
御前四段坂
本宮までの最後の石段(133段)。途中で二社が鎮座しています。
御年神社(旧:大行司堂地)
御祭神:大年神、御年神、若年神
事知神社(旧:摩利支毘沙門堂地)
御祭神:積羽八重事代主神、味鉏高彦根神、加夜鳴海神
金刀比羅宮 本宮 (香川県仲多度郡琴平町)
本宮とうちゃーく。
所々で写真を撮りつつ、
スタートから約30分弱でつきました。
御祭神:大物主神、崇徳天皇
向かって右の社殿は神饌殿で、この拝殿と北渡殿(回廊)でつながっています。
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、
琴平山(象頭山)の中腹に鎮座する、全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮。
由緒には諸説ありますが、社伝によれば、
かつて瀬戸内海に浮かぶ島だった琴平山に、大物主神が行宮を造られ、
その行宮跡に同神を奉斎した事に始まるとされます。(琴平神社と称す)
中世以降は本地垂迹説の影響で仏教の金毘羅と習合。
象頭山松尾寺の堂宇の一つとして金毘羅大権現を祀り、別当として金光院が奉斎。
明治の神仏分離により金刀比羅宮となって以降も、海上交通の守り神として信仰され、
海事関係者から崇敬を集めています。
この本宮は、神仏分離以前に松尾寺の御本社(金毘羅社)と称された建物で、
現在の社殿は1878年再建時のものです。
直所
本宮前の広場は展望台となっており、
讃岐富士などを一望できます。
御神木のクスノキ。樹高25m
神楽殿
本殿
南渡殿
本宮と三穂津姫社をつなぐ約40mの回廊。
三穂津姫社(御別宮)
1876年に改築された、かつての観音堂(のち大年社)です。
御祭神:三穂津姫神
拝殿の右手にあるのは神饌殿。
直所
厳島神社(御祭神:市寸姫尊)
御炊舎 1874年建立。
帰路は三穂津姫社正面の石段を下りていきます。
(来るとき登った本宮正面の石段を戻って下りてしまうと、
さきほどチラ見した旭社の前まで行けなくなってしまうので注意。)
大山祇神社(旧:山神社地)
御祭神:大山祇神
下りていくと、旭社の側面が見えてきました。
漂うラスボス感。
やばいやばい、なにこれ。好きすぎるんですがーー。
彫り物の凄さはもとより、この建築美。
ポイントをおさえた装飾があらゆる箇所に施されていて、
どこから視覚で捉えて良いのやら、思わず目が泳ぐ・・。
決して華美ではないのに、見る者を圧倒する美しさです。
写真を見ていて気付いたけど、
上段の軒裏にも巻雲の彫り物が。
屋根(軒)の裏に彫刻だなんて、
こんな細部に至るまで美麗な装飾が施してあるの、はじめて見た気がする。
装飾の配置と分量、全方位・どの角度から見ても整った姿、全体的なバランス・・。
計算し尽くされた完璧な美というものを、
久々に見た気がしました。
時刻は17時過ぎ。
人もまばらな境内をのんびり降りていきます。
離れがたいですが、
これからJRで松山(の道後温泉)まで行かなきゃならないのでね。
下りはほぼ写真も撮らなかったので、15分かからず。
言葉どおり駆け足での参拝となったけれど、
素晴らしい社殿の数々と御山の空気に魅了された、
印象深いひとときとなりました。
次に訪れる際は、奥社へもぜひ行ってみたいと思っています。