水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

伊富岐神社-2

2020-08-05 | ├ 岐阜(ひとり旅)
 
 
岐阜旅ラスト。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
拝殿
 
 
 
 
 
 
創建は不明。
 
713年には鎮座していたとされます。
 
 
 
 
1600年の関ヶ原の戦いにより、社殿焼失。
1636年再建。
 
 
 
 
古代、当地を勢力下に置いていた伊福氏の祖神を祀るとされ、
御祭神には幾つかの説があります
 
・伊吹山の神とされる多々美比古命
 (=霜速比古命之男、
夷服岳神、気吹男神、伊富岐神)
・八岐大蛇
・天火明命
・鸕鶿草葺不合尊    など・・。
 
 
天火明命を奉じる製鉄集団が、
その祖神を祀ったのでしょう。
 
 
 
 
それにしても自分好みの社殿です♪
 
後日、
かつてあった二の鳥居の写真を見たら両部鳥居だったので、
あぁやっぱりという感じ。
 
 
 
 
ここも習合色の強い神社だったのね。
 
 
 
 
 
 
 
社殿は、控えめながらも秀麗な造りで、
細部には美しい細工が施してあります。
 
 
 
 
 
 
木鼻の獅子さんもステキ。
 
 
 
 
獅子木鼻は定番といえば定番だけど、
この子はちょっと雰囲気がちがう。
 
 
 
 
今にも駆け出しそうな、
躍動感溢れる獅子さんです。
 
 
 
 
真夏の16時台は、まだまだ暑い。
 
でも、吹き抜ける風と木陰のおかげで
日中に比べかなり過ごし易くなってきた。
 
 
 
 
おかげでゆっくり参拝できます♪
 
 
 
 
拝殿を横から。
 
 
 
 
反対側。
 
拝殿 → 弊殿 かな。 
 
 
 
 
 
 
 
その先の本殿域。
 
瑞垣が開いており、中を見渡せます。
(中には入らずズームで。)
 
 
 
 
画面左端が境内社。その奥が本殿
 
本殿の前は、渡殿でしょうか。
 
 
 
 
 
本殿の左右に境内社が鎮座する形となります。
 
 
 
 
境内社の御祭神は、
伊富岐神の御子神九柱。(全て天火明命の末裔)
 
一御子)天香語山命
二御子)天村雲命
三御子)天忍人命
四御子)天戸目命
五御子)建斗米命
六御子)建田背命
七御子)建諸隅命
八御子)倭得玉彦命
九御子)若都保命
 
 
 
 
 
 
主祭神の多々美比古命(霜速比古命之男/気吹男神)と言えば、
 
浅井姫命(阿佐伊比売命)、比佐志姫と共に
高天原より近江国へ天下ったのち、
「伊吹山VS浅井岳(金糞岳)の背比べ」に勝ったとして
浅井岳をぶった斬ったという逸話が残っています。
 
(『竹生島縁起(都久夫須麻神社)』)
 
 
 
 
単純に、多々美比古命グループと、
阿佐伊比売命グループの勢力争いの話を
表しているんでしょうが、
近江、琵琶湖周辺は古来よりタタラ製鉄の盛んな場所なんで、
両グループともにその辺の権力争いとかが絡んでると思われます。
 
 
 
 
個人的見解では、
三柱の近江降臨は、実際はAD230前後。
 
 
 
 
水神・阿佐伊姫は豊ノ国(大分)の製鉄部族の巫女か女首長あたりで、
たぶん、元は「阿佐比姫(朝日姫)」。
水、龍、鉄を奉じる人々の神。
 
そして、おそらく同時期に豊ノ国一帯を統べていた、
水神・速秋津姫速開津比売)と
同等の立場、地位のひと。
 
 
 
 
多多美比古命(気吹戸主命)も、豊ノ国宇佐の人。
 
もう一柱の比佐志姫(坂田姫)は、おそらく、
こちらも同時期にすぐ近くの日田にいた比佐津姫のこと。
 
 
 
 
 
大和朝廷の製鉄部門強化策かなんかで、
三柱(もしくはその末裔部族)が近江へ移住したんだと思っています。
 
 
 
 
なお、阿佐伊比売命を
瀬織津姫命と同一視する見方もあるようですが、
 
多々美比古命(気吹戸主命)、
速秋津姫(速開津比売命)、
瀬織津姫命
ともに、祓戸四神のうちの一柱です。
 
 
 
 
色々とつながってきますねー。
 
 
 
 
 
 
緑豊かな境内にあって、
拝殿横には一際目立つ、立派な御神木がそびえておりました。
 
 
 
 
伊富岐神社の大杉(県・天然記念物)
 
 
 
 
高さ約30m、根周囲約9.6m、樹齢300年以上
 
 
 
 
1600年の兵火で社殿が焼失した際、
御神体はこの幹の分れた部分に安置してあったため、
無事だったと言います。
 
 
 
 
 
 
あ。
右の吽形狛さんは、口の中に珠ありのタイプだ。
 
かわいーーー♪ 
 
 
 
 
私は日頃、
「こまさん」と呼んで一対を総称していますが、
本来はこの「狛犬」、左右で違う生き物。
 
左右ともに空想上の聖獣なのは共通で、
外見的にはどっちも獅子に見える場合が多いのですが、
 
向かって右()が、「獅子(口を開けた形)」、
向かって左()が、「狛犬(口を閉じた形)」。
 
つまり、狛犬の相方は狛犬じゃないんですねー。
 
 
なので、「神社の狛犬」ではなくて
「神社の獅子狛犬と呼ぶのが正しいかたち。
 
(さらに言えば、狛犬は犬じゃなくて、
「こまいぬ」という空想上の生き物。)
 
 
 
 
地元愛知では、
右(獅子):玉取り(足元に玉)
左(狛犬):子取り(足元に子)
という、子取り玉取りペアが結構多く、
見かける度にチビ狛の姿に癒されておりましたが、
よく考えたら子持ちが狛犬、
ボール持ってるのが獅子なわけよね。
 
 
 
 
最強の猛獣、ライオン(獅子)。
 
権力者や守護する対象の両脇に獅子を配置する形式は、
古代より世界中で見られます。
 
元々は左右とも同型の獅子だったものが、
日本では独自の変化をして、「獅子&狛犬」ペアに。
さらに仏教の影響もあってか「阿・吽」の形態へと発展したようです。
 
 
 
 
ライオン像で名古屋人が真っ先に思い起こすのは、
栄の三越前のあれでしょうか。(笑
 
あ、ラ○オンズマンションとかもそうでしたね。
名古屋でエントランスに設置されたのが始まりだとか。
 
(そういえば、
市内の五軒家神明社は、もう思いっきりライオンだったなあ。
近年の岡崎型こまさんでもなく、まさにライオンそのもので、
強烈に印象に残っています。)
 
 
 
 
美濃国二ノ宮として、
また、祓戸大神へのご挨拶も兼ねて
いつか参拝したいと思っていた伊富岐神社。
 
最終的にライオン談に落ち着いてしまいましたがw
本当に素晴らしい場所でした。
 
タタラ製鉄といい、前述の勢力争いとい、
個人的には荒々しいイメージのあった気吹戸主命も、
実際は、想像とはまるで正反対の穏やかな神さんだった。
 
 
 
 
とても優しくて温かく、そっと癒してくれる。
境内を流れる時間も、
とてもゆっくり。
 
なんだろ。
年取って丸くなった みたいな?
そんなかんじ。
 
拝殿前の空間には、
古代の時間がそのまま留まっているのに、
猛々しさはほとんど感じない、
究極の癒し系神社でした。
 
 
 
 
帰りのホームで、
響き渡るヒグラシの声に包まれながら、
次は、竹生島とセットで再訪したいなと
ふと思いました
 
 
 
 
またいつか。