櫻山八幡宮つづき。
神門をくぐると、美しい光景が広がっていました。
光射す拝殿。
空気がきらきらしてて、本当にきれい。
こんな穏やかな処にいると、その歴史を忘れてしまいそうですが・・
さきに訪れた水無神社は、
大原騒動で決起した農民たちおよそ1万人が結集し、武力により鎮圧されたという場所でした。
そして、その相手方だった大原代官が自らの失明病気平癒の祈願のために寄進したのが、
この二つの石燈籠です。
大原騒動とは、
江戸時代に飛騨一円で起こった、歴史に残る大規模な百姓一揆のこと。
悪政に耐えかねて決起し、犠牲になった農民たちは、
「義民」と称され、顕彰する碑もいくつか建っています。
境内には、そんな話はおそらく知らないだろう外国人観光客がたくさんいて、
楽しそうに写真をとっていました。
創建は377年という古社、櫻山八幡宮。
仁徳天皇の時代、境内社照前神社の御祭神である難波根子建振熊命は、
この地域にいた両面宿儺を討伐するべく派遣されました。
官軍を率いて飛騨国に入った命が、先帝である応神天皇の尊霊を奉祀し、
戦勝祈願をしたのが桜山の神域であったといわれています。
その後、聖武天皇と清和天皇の時代に諸国に八幡宮がを祀ることが奨励された際、
飛騨ではこの神域を八幡宮境内と定め、社殿を整えたのだそうです。
拝殿の向かい側には末社。
手前が照前神社(御祭神:浪速根子武振熊命)
その奥が天満神社(御祭神:菅原道眞公)
稲荷社もあります。(いつものごとく写真とってませんが・・)
階段を降りると・・
琴平神社
(御祭神:大物主神、崇徳天皇/配祀神:大穴牟遲神、少名毘古那神)
天井に描かれた天狗の絵には、白いものがいっぱい。(゜Д゜)
なんだこれ?と思ったら、
『天井の天狗の顔に、口でよくかんだ紙を投げつければ病気が全快する』ということでした。
なんかすごい・・。
拝殿の右側に、のぼりの階段がありました。どこに出るんだろう。
(その後、あとで行こうと思いつつすっかり忘れてしまうのですが・・。)
下へ降ります。
さきほどの大石段の右手、方角でいうと南になりますが、
向こうに絵馬殿が見えています。
昭和63年にここへ移転された絵馬殿には、奉納された絵馬がたくさん。
圧巻です。
夏場はいい日陰になるだろうなーなんて、どうでもいいこと考えたりして。
絵馬殿に隣接し、
他の境内社とは独立した形になっているのが、秋葉神社です。
(御祭神:火結神=迦具土神)
これまた傾斜がすごい・・。さきほどの大石段の比ではありません。
慎重に階段をのぼります。
段の途中で、拝殿へ降りられる階段とつながっていました。
さきほど「後でのぼってみようと思って忘れていた」階段です。
そっか、ここに出られるんだ。
段数は大したことないけれど、何しろ急だから大変。
やっとついた!!
振り返るとこんなふう。
この階段であきらめてしまうのか、高齢の方は誰一人のぼって来ません。
まあ、降りるの大変だもんな・・。
秋葉神社は、1623年の八幡宮再興にあわせて、
飛騨領主の金森重頼が高山城鎮護の神として創祀したもの。
以後、代々の飛騨郡代により陣屋の鬼門封じ・火防鎮護の神として篤く崇敬されてきたそうです。
木々が生い茂っていて、とても落ち着く場所になっています。
社殿の横、御神木とともにあるのは、「狂人岩」という磐座。
神社神域を汚す者がこの岩に触れると、気が狂うという言い伝えのある霊石です。
怖い感じはまったく受けませんでしたが、注連縄をわたしてあるものに触る気はしません。
涼しい風に癒されつつ、下へ。
境内南側の出入り口付近に、なにやら大きな碑。
明治三十七八年役紀念之碑
乃木大将の直筆による、日露戦争の戦没者慰霊碑でした。
時間さえあれば戦死者の遺族を訪ねていたという乃木大将は、
明治39年に高山へも来られているようなので、書はその際のものでしょうか?
予定以上の長居で、1時間半ぐらいは滞在していました。
それぐらい心地よかった。
櫻山八幡宮は、その名のとおり可憐で美しい場所という印象。
さらに御祭神や由緒とは何の関連性も無く、
恋愛とか美とか、とくに女性に嬉しい処であるような気がします。
明るい気であふれていて、ここにいると幸福感でいっぱいになる。
デートとかで訪れるといいんだろうなぁと、漠然と思いました。
これで高山の神社めぐりは終了ですが、
せっかくなので帰りの電車までの時間、市内を散策してみたいと思います。
(櫻山八幡宮の御朱印)
つづく・・。