水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

特別展『古代メキシコ-マヤ・アステカ・テオティワカン-』-1

2024-05-28 | つれづれ <雑記>

 

今月初旬まで大阪で開催されていた、古代メキシコ展についてご紹介します。

(訪問 3月下旬)

 

 

 

 

特別展『古代メキシコ-マヤ・アステカ・テオティワカン-』

私が偶然その存在を知ったのは、
今年の3月はじめ頃のことでした。

 

 

マヤの「赤の女王(レイナ・ロハ)」の墓の出土品をはじめ、
メキシコ国立人類学博物館などの主要博物館から厳選した約140件が展示されるという。

しかも何と館内すべて撮影OK☆

古代遺跡マニアとしては、行かない訳にはいきません。

 

 

開催地はというと国内3カ所のみ。

東京(東京国立博物館:2023年6~9月) → 終了
福岡(九州国立博物館:2023年10~12月) → 終了
大阪(国立国際美術館:2024年2~5月6日) → 開催中

なので大阪一択です。

1時間半~2時間もあればOKかなと思い、
参拝とセットで出かけることにしました。(神社記事はまたいずれ)

 

 

8:10新大阪着。
JR → 近鉄と乗り継ぎ、
駅から徒歩25分の玉祖神社(八尾市神立)へ着いたのが10時近く。

再び歩いて駅まで戻り、近鉄+徒歩で鐸比古鐸比賣神社(柏原市大県)へ。

そこから徒歩で石神社(柏原市太平寺)へ移動したあと、
再び近鉄を乗り継ぎ辛國神社(藤井寺市藤井寺)へ。

 

 

14:30頃に参拝を終え、近鉄 → 地下鉄と乗り継いで淀屋橋で下車し、
徒歩15分の場所にある国立国際美術館に着いたのは15:30頃のことでした。

 

 

国立国際美術館

 

 

 

エントランスでは、Reina Roja(赤の女王)と死のディスクのパネルがお出迎え♡

 

 

アメリカ大陸における先スペイン時代の二大古代文明圏といえば、

インカ帝国に代表される「アンデス文明(南米アンデス地帯に栄えた小文明の総称)と、
マヤ・テオティワカン・アステカなどの、
メソアメリカ文明(中米メキシコ高原~ユカタン半島に及ぶ地域に興った文明の総称)です。

 

 

メソアメリカ文明は、メキシコ湾岸部の「オルメカ文明(前1500~前400)」、
メキシコ中央高原の「テオティワカン文明(前100~550)」「トルテカ文明(800~1150)」「アステカ文明(1325~1521)」、
マヤ広域地域の「マヤ文明(前1200~1697)」など、
紀元前1500年頃から16世紀にスペインに征服されるまでの3000年以上に渡り、
メキシコ各地で栄えました。

メキシコ国内の主要博物館に収蔵されているこれら文明の出土品が、
近年の発掘調査の成果を交えて紹介されているという事で、
展示はまず最も古い「オルメカ文明」からはじまりました。

 

 

第一章:古代メキシコへのいざない

 

メキシコ湾岸部でオルメカ文明が栄えたのは、
紀元前1500年頃から前200年頃にかけて。

文明を築いたのはベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイドの人々ともいわれ、
農業、巨石や宝石の加工技術、球技、生贄、天体観測、正確な暦、ゼロの概念、
雨の神、ジャガー信仰などの特徴を有しました。
その建築や美術様式、宗教観などがメソアメリカ文明の基礎となっていることから、
「母なる文明」とも呼ばれ
ています。

本章パートでは古代メキシコへのアプローチとして、
オルメカと後発文明との共通点などをベースに構成されています。

 

(1)オルメカ様式の石偶
 --- オルメカ文明/起源前1000~前400年/出土:セロ・デ・ラス・メサス

 

左:(2)ジャガーの土器
 --- マヤ文明/600~950年/出土:タバスコ州

中:(3)フクロウの土器
 --- マヤ文明/250~600年/出土:オシュタンカフ

右:(4)クモザルの容器
 --- 中央ベラクルス/950~1521年/出土:ベラクルス州

 

(5)チコメコアトル神の火鉢(※複製)
 --- アステカ文明/1325~1521年/出土:メキシコシティトラワク地区

 

(8)夜空の石板
 --- アステカ文明/1325~1521年/出土:メキシコシティ

 

(10)球技をする人の土偶
 --- マヤ文明/600~950年/出土:ハイナ

 

中:(11)ユーゴ(球技用防具)
 --- 中央ベラクルス/600~950年/出土:ベラクルス州

右:(12)ゴムボール(民族資料)
 --- マヨ族/現代/収集:シナロア州

 

(18)貴人の土偶
 --- マヤ文明/600~950年/出土:ハイナ

 

 

第二章:テオティワカン  神々の都

 

第2パートはテオティワカン文明

ナワトル語で「神々の座所」を意味するテオティワカン。

首都メキシコシティから約50キロ離れたメキシコ中央高原にある、
メソアメリカ史上最大規模の都市国家です。

暦や数字を巧みに操り綿密に計算された上で築かれた都市は、
約20平方キロメートルに及ぶ広大なもの。
最盛期の人口は10万~20万人とされ、
周辺地域の文明に対して政治的・文化的にも大きな影響力を有し、
その勢力は1000キロ離れたマヤ地域にまで及びました。

しかし7世紀に入ると急激に衰退、
他のメソアメリカ文明と同様、突如として人々は都市から去ってしまいます。
内乱・森林破壊・農業衰退など、内から崩壊していったことが主な原因とされる他、
  他民族との戦争・頻発した大地震などの外部的要因も指摘されているようです。)

それから数百年後の12世紀頃にこの地を訪れ、
すでに廃墟となっていた都市を発見したメシカ人(アステカ人)は、
これをテオティワカンと名付けて後々まで崇拝の対象としました。

なお、一大都市を築き栄華を極めたテオティワカンですが、
他の文明と違って文字らしきものを遺していないため、
神殿内部の壁画やモザイク画などの考古学面から、その背景を測るしかありません。

 

(23)死のディスク石彫
 --- テオティワカン文明/300~550年/出土:テオティワカン(太陽のピラミッド、太陽の広場)

 

背後に映るのは太陽のピラミッド

なつかしーーー♡♡

 

 

高校時代に中米マヤ・南米インカに興味を持って以来、はや数十年。

中南米の古代遺跡は本能レベルで最も惹かれるものであり、
一番好きなものは?と聞かれれば、「遺跡」と今でも即答するほど好きだったりします。

神社とは〝好き〟の種類が違うかな。

中でもメキシコ古代都市の遺跡群がその最たるもので、
あまりに好き過ぎてハタチそこそこで友人とメキシコ14日間フリー旅を敢行。

さらに公用語のスペイン語を学ぶため、
独学でしばらく勉強したのち、手っ取り早くスペイン留学。

20代後半まで、遺跡愛が私の原動力のすべてでした。

 

 

こちらはメキシコ旅での写真です。

感無量で石垣に抱きつく私の背後にそびえる、太陽のピラミッド。

(当時コンパクトカメラで撮って現像した写真を、今回の記事用にスマホで撮影したものなので、
画質の悪さや色焼けなどはご容赦ください・・。)

 

 

遺跡を心ゆくまで堪能するため、ツアーではなくもちろん個人旅。

ン十年前はまだそこまで治安も悪くなかったのと、若さゆえの勢いというものもあって、
けっこう思い切った旅だった気がする。(確かハプニング続出だった覚えが・・)

当時はスマホもPCもない時代。
市販のガイドブックが頼りでした。

 

 

せっかくなんで、メキシコ旅の写真も記事に入れちゃおう♪

 

(これは絵葉書をスマホで撮ったもの)

 

 

月のピラミッド(高さ47m、底辺140m×150m)の上から見た、
死者の大通り(長さ4km、幅45m)。

左の大きなのが太陽のピラミッド(高さ65m、底辺222m×225m)で、
200年頃の建造とされるテオティワカン最大の建造物です。

この大通りを中心に、
ピラミッドや官僚施設、儀礼の場、居住域などが整然と建ち並んでいました。

 

 

総延長は約5キロ近くあるので、
端から端まで歩くのに30分はかかりました。

 

 

当時はパノラマ撮影を多用してたんだよなーー・・

って感慨深く写真を眺めつつネットで現在情報を調べてみたら、
月のピラミッドも太陽のピラミッドも、今は登れなくなったようですね。

それどころか、
チチェンイツァの全ての建造物や、
ウシュマルの魔法使いのピラミッドなど、
他の遺跡も軒並み登頂不可という。

あぁ、あの時ぜんぶ登っといて良かった・・。

と思いながら最近の写真をネットで見てみると、
上に登れないどころか、
全ての建造物の周りにぐるっと柵がしてあって、
敷地内にすら入れなくなってるじゃん。

じゃあピラミッドの上から遺跡を見渡すことも、
彫刻が施された壁や柱をさわることも、階段に腰かけることも、
立柱の中を歩き回ることも何もできなくて、
少し離れた場所からただ遠巻きに眺めるしかできないのか・・

まじかーーー。

 

 

月のピラミッド

(当時は登れました)

 

 

シウダデラ(城壁)

(当時は登れました)

 

 

ケツァコアトルの神殿

(当時は登れました)


シウダデラの内側奥に建つ6層のピラミッド。
農耕神ケツァルコアトルと雨の神トラロックの彫刻が施されています。

ケツァルコアトルは古代ナワトル語で「羽毛の蛇」の意味をもち、
文化神・農耕神・風の神・蛇神としての性質を有します。
トルテカ族はケツァルコアトルを祖神として篤く崇拝し、
アステカ文明においては創造神として信仰され、
マヤ文明では最高神「ククルカン」と呼ばれました。

また、雨神の崇拝は古くオルメカ文明にもさかのぼるとも言われ、
トラロックはアステカ文明で崇められた神のひとつであり、
マヤ文明の雨神チャックとも同一視されています。

 

 

わかりにくいけど、パノラマ写真2枚組。

 

 

展示にもどります。

 

(24)火の老神石彫
 --- テオティワカン文明/450~550年/出土:テオティワカン(太陽のピラミッド)

 

(26)首飾り
 --- テオティワカン文明/200~250年/出土:テオティワカン(月のピラミッド)

 

上:(29)蛇形エキセントリック(両面加工石器)
下:(30)ナイフ型エキセントリック(両面加工石器)
 --- テオティワカン文明/200~250年/出土:テオティワカン(月のピラミッド、埋葬墓5)

 

上:(34)耳飾り
下:(35)首飾り
 --- テオティワカン文明/300~350年/出土:テオティワカン(月のピラミッド、埋葬墓5)

 

羽毛の蛇ピラミッド

 

右:(40)羽毛の蛇神石彫
左:(41)シパクトリ神の頭飾り石彫
 --- テオティワカン文明/200~250年/出土:テオティワカン(羽毛の蛇ピラミッド)

 

右:(44/45)トランペット
左:(46)嵐の神の土器
 --- テオティワカン文明/150~250年/出土:テオティワカン(羽毛の蛇ピラミッド、地下トンネル)

 

(47)
 --- テオティワカン文明/200~250年/出土:テオティワカン(羽毛の蛇ピラミッド、地下トンネル)

 

(48)嵐の神の壁画
 --- テオティワカン文明/350~550年/出土:テオティワカン(サクアラ)

 

(49)嵐の神の屋根飾り
 --- テオティワカン文明/250~550年/出土:テオティワカン(サクアラ)

 

(50)香炉
 --- テオティワカン文明/350~550年/出土:テオティワカン(ラ・ベンティージャ、宮殿 B)

 

(51)香炉
 --- テオティワカン文明/350~550年/出土:ラ・ベンティージャ、宮殿 B

 

(53)盾を持つ小像
 --- テオティワカン文明/450~550年/出土:不明

 

(54)鳥形土器
 --- テオティワカン文明/250~550年/出土:テオティワカン(ラ・ベンティージャ、宮殿 B)

 

(55)人形骨壺
 ---サポテカ文明/450~550年/出土:オアハカ地区

 

(57)鏡の裏
 --- テオティワカン文明/450~550年/出土:テオティワカン

 

 

その②へつづく・・

 


(カンクンにて

 

 

 

 


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