水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

2023年初詣:金神社<岐阜県>・多賀大社<滋賀県>

2023-01-06 | ├ 滋賀(ふらり旅)

 

2023年の初参拝は、
神社(こがねじんじゃ)多賀大社へ行ってまいりました。

 

まずはこちら。

 

 

その御利益にあやかりたいとの夫リクエストにより、
金運upで有名な金神社へ。

 

 

金神社 国史見在社 <岐阜県岐阜市金町>

 

 

歴史は古いですが、社殿は1988年再建なのでまだ新しいです。

背後の建物とのコントラストがすごいけど、
岐阜の街中なんで、仕方がない。

 

 

主祭神:金大神(こがねのおおかみ)
 渟熨斗姫命(五十瓊敷入彦命の妃)、市隼雄命、五十瓊敷入彦命、日葉酢姫命

(主祭神の金大神= 渟熨斗姫命 or 4柱の総称 という説があるそうです)

 

 

五十瓊敷入彦命は、以前参拝した伊奈波神社の主祭神で、
その縁起によると、朝廷の詔を受け奥州を平定するも、
謀により朝敵とされ三野(美濃)の地で討滅されてしまいました。

妃である渟熨斗姫命は夫の御霊を弔いながらこの地で亡くなりますが、
その間、私財を投じて町を開拓し産業・農業の発展に寄与され、
岐阜の街の基盤となりました。

 

 

後にその功績を慕う人々により、財をもたらす神として信仰され、
金大神と称してここに祀られたのだそう。(創祀)

さらに成務天皇の御代(135年)。
朝廷より三野後国造として遣わされた物部臣賀夫良命(物部十千根命の嫡孫)は、
国府をこの地に定めて金大神を篤く崇敬。
神社を創建したと伝わります

 

 

 

本殿の裏手には末社が鎮座。

 

 

向かって右端に、賀夫良命を祀る社があります。

 

 

賀夫良命塚 (奥津城跡)

奥津城=お墓。

 

 

新年早々こちらにお邪魔した目的は、もちろん物部氏関係。

金運upは二の次です(笑)。

 

 

こちらは、
昭和56年に勧請された金高椅神社
(御祭神:磐鹿六雁命)。

御祭神は景行天皇御東征の際に膳臣として供奉され、
朝廷より高橋姓を賜ったとされます。

 

 

そしてずらっと末社。

左から、玉姫神社物部神社(式内社論社)猿田彦神社神明神社秋葉神社

 

 

とても心地の良い空間。

個人的にはこのあたりが金神社のメインです。

 

 

(左)金祥稲荷神社・(右)本殿

 

 

せっかくなので今年一発目のおみくじを引いてみた♪

(基本的には一旅一御籤。)

 

 

新年早々、大吉祭り始まる。

29回目(28連続)の大吉です。

 

 

たまに大吉とは思えないほどの文面に遭遇して、
愕然とする事があるんだけど、
その中でも今回のがダントツで厳しいw

これほんとに大吉??ww

 

 

大吉も30枚近く集まるとよく分かりますが、
全体的に「前半は不調だけど、後半盛り上がるよ♪」って感じが多くて、
「好調だからこそ気を引き締めて頑張れや」
「人を敬え。努力忘れんな。調子に乗んなよ」的なのもよく見かけます。
あと、失せ物は「出ず・見つからず」が多い

むしろ中吉とか吉あたりのほうが、慰めが入るぶん優しいとおもうわ。

(ちなみに、今までで全文パーフェクトに当たったのが、
椿大神社の椿みくじでした。あれはすごい。)

 

 

冒頭にも記述していますが、
金神社は「国史見在社(こくしけんざいしゃ)に該当する古社です。

 

 

国史見在社とは、
「797年~901年編纂の『六国史』に神名/社名が書かれているが、
 927年編纂の『延喜式』の9・10巻(神名帳)には記載されていない式外社
のこと。

ざっくり言うと、「『六国史』に記載のある式外社」となります。

 

 

六国史』は朝廷が作った6冊の歴史書で、
これに記載された社のほとんどは式内社(=延喜式神名帳にも載っている)です。


・【六国史】

 1『日本書紀』(720年)
 2『続日本紀』(797年)
 3『日本後紀』(840年)
 4『続日本後紀』(869年)
 5『日本文徳天皇実録』(879年)
 6『日本三代実録』(901年)

・【延喜式神名帳】(927年)

 

 

一方の『延喜式』は、1~10巻から成る平安時代の法典。
うち9,10巻は「神名帳」で、朝廷管理下の神社(朝廷が認めた神社)の
名鑑となっています。

この延喜式内に記載されているものを「延喜式内社(略して式内社)」と言い、
1,000年以上の歴史を持つ由緒ある古社となりますが、
現代において式内社とされる社は、自称や学者の推定などが根拠のため、
正確には「式内社の論社(式内社に比定される社)」です。

対して、『延喜式神名帳』に記載されていないものを「式外社」と言います。
未記載の理由は、朝廷勢力の範囲外、寺が管理、独自勢力を持つなど様々であるものの、
いずれも「式内社」と同様、歴史ある古社となります。

 

 

そして、
六国史』に記載されているが、
延喜式神名帳』には記載されていないもの式外社を、
国史見在社」を呼びます。
こちらも古来より朝廷の尊崇厚く、格式高い社とされてきました。


※国史見在社・式外社は、
 私が過去に参拝した中にも、何社か存在しています。

熊野那智大社(和歌山)
白鬚神社(滋賀)
高千穂神社(宮崎)
櫟谷宗像神社(京都)

 

 

ということで、久々に見た国史見在社の名にちょっとワクワクしつつ、
お次は、ちょっと足を延ばして滋賀県へ。

 

 

 

多賀大社 式内社 <滋賀県犬上郡多賀町多賀>

 

 

境内に着くなり雨がパラついてきたけど、まだ耐えられるレベル。

 

 

太閤橋:豊臣秀吉が奉納した米1万石を元に築造。

 

 

拝殿までのながーい列を避け、今回は先に摂末社にご挨拶します。

 

 

末社:

(左)愛宕神社(御祭神:火産霊神、伊邪那美神)
(右)秋葉神社
(御祭神:火産霊賀具都知神)

 

 

(左)竈神社(御祭神:火産霊神)
   年神神社(御祭神:大歳神)

(右)子安神社(御祭神:木之花咲哉姫命)

 

 
(右)聖神社(御祭神:少彦名命)
   三宮神社(御祭神:角杙神、活杙神、大冨道神、大冨辺神、面足神、惶根神)

 

 

(左)熊野新宮(御祭神:速玉之男神)
   天神神社(御祭神:天之御守主神、高皇産霊神、神皇産霊神)
   熊野神社(御祭神:櫛美気野神)

 

 

文庫

 

 

大釜

徳川幕府による二度の大造営(正遷宮)を記念して設けられた釜で、
御湯殿神事の調度と伝わるもの。

 

 

 

神輿庫

古例大祭(多賀まつり)に出御される神輿・鳳輦を奉安。

 

 

梵鐘

1555年の彫刻がある梵鐘。
不動院の初代別当の勧進により鋳造、奉納されたもので、
陰刻される奉賛者の中には当社に関係深い土豪達が名を連ねる。

当社における神仏習合の遺構のひとつ。

 

 

 

太閤蔵

 

 

 

摂社:

式内社 日向神社(御祭神:瓊々杵尊)

古来より土地の氏神として崇敬されています。

 

 

 

拝本殿あたりと違い、西参道沿いは人がほぼいないので、
ゆっくり参拝できました。

 

 

 

御祭神の瓊々杵尊。

この方もまた謎の多い神さん。

 

 

 

 

拝殿前へと連なる人の列と喧騒が嘘のように、
ここでは静かな時間が流れています。

 

 

瓊々杵尊も私が好きな神さんの一柱ですが、
こちらの瓊々杵さんは、今なお臨戦態勢というか、
何かを強く見据えて立っておられる気がする。

 

 

それが護りなのか攻めなのか、
どちらとも判断つかない。

 

 

そして、
向いているのは正面ではなく、主祭神が祀られた本殿。

 

 

未だ解けぬ使命のような、
強い何かを抱えて立っておられる。

不思議な感覚です。

 

 

 

 

日向神社の右地。

 

 

神明両宮(御祭神:天照大神、豊受大神)

 

 

 

 

 

夷神社(御祭神:事代主神)

 

 

だいたいどこの事代主さんも、ふわーっと穏やかなものをまとってるんだけど、
こちらはちょっと違うかんじ。

門番のような審判のような、透明でパキっとした空気を感じました。

 

 

 

 

さて、拝殿へたどり着く頃には結構な雨量に。

 

 

 

カメラ死守しつつ人混みを避けるって、本当に大変。

 

 

 

御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命

 

 

御由緒については、ちょっとふんわりしておりまして、
「古事記」の写本の一つである真福寺本に、
「伊邪那岐大神は淡海(あふみ=近江)の多賀に坐すなり」とあり、
これ当社の起源とする説があります。

 

 

ただ、以下の理由(byウィキ)により、
「淡路(あわじ=淡路島)」の誤写である可能性が高いのだとも。

・『古事記』以前は、一帯の支配豪族である犬上氏の祖神を祀ったとの説がある。
・『延喜式神名帳』の記述は「近江国犬上郡 多何神社二座」であり、
  伊邪那岐命・伊邪那美命であるとまでは記されていない。 

・ 南北朝時代までは、祭神は伊弉諾尊ではなかった。
・『古事記』において、近江は「近淡海」と記述されるのが常である。
・『真福寺本』以外の多くの古事記写本は、「淡路に坐すなり」となっている。
・『日本書紀』では、一貫して「淡路」と記されている。

 

という事で、今の御祭神はナギ・ナミさんですが、
かつては別の神さんを祀っていたと思われます。

 

 

そして案の定、
拝殿での参拝を済ませたタイミングで雨が上がる。

出雲大社熊野大社(島根)の時と同じだー。

神さんの歓迎とか、清めの禊とか言うけれど、
撮影が大変なんでそれも良し悪しです・・。

 

 

能舞殿

 

 

 

昨年に引き続き、三が日に参拝したけれど、
やっぱお正月は人が多くて大変だねー。

来年は松の内があける頃にしよう。

 

 

2023年も、皆さまにとって佳き一年でありますように。

 

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。