四国つづき。
湯神社を出て、東へ。
湯神社が鎮座する冠山山頂から、南の石段を下ると右手に参道大鳥居が立っており、
1分ほど歩くと、すぐ社頭に到着します。
朝7:30。まだ誰もいません。
式内社 伊佐爾波神社
石段を登り切った先に立つ楼門。
振り向くといい景色。結構な坂を上ってきたのね。
なお、石段中ほどに末社の素鵞社が鎮座していました。
(御祭神:素盞之男命、稲田姫命)
朝日を拝みつつ、境内へ。
楼門・廻廊・本殿ともに、国の重文です。
社伝によれば清和天皇(858-876)の御代、
仲哀天皇・神功皇后が御来湯の際の行宮跡に創建されたといわれます。
行幸の際、沙庭(さにわ)を立て天神の勅を請奉ったことから、
沙庭神社(伊佐爾波神社)と称され、
のちに湯月八幡宮・道後八幡とも称されました。
*【沙庭】降神して託宣を聞く場所
当初は道後公園山麓に鎮座していたとされますが、
建武年間(14紀前半)頃に湯月城の築城に際して現地へ移転。
現社殿は1667年造営のもので、
石清水八幡宮を模したとされる八幡造となっています。
主祭神:神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、三柱姫大神
常盤新田霊社 (国/重文) 御祭神:新田義宗、脇屋義治、松平定長
高良玉垂社 (国/重文) 御祭神:武内宿禰命
朝早いので、他の参拝客はおひとりだけ。
大好きな廻廊を独り占め感覚でゆっくり堪能しております。
楽しすぎて三巡してしまったわ笑
ところで、
廻廊を歩くときや、社殿の裏に回るとき等もそうですが、
なぜか無意識に右回り(時計回り)をしています。
でも、「左回り(反時計回り)の法則」という言葉もあるように、
自然と左回りに行動してしまう人のほうが多いんだよね。
利き手が右の人が多いからとか、無意識に心臓を守るとか、
理由は色々あるみたい。
かくいう私も右利きだけど、
道が左右に分かれていれば右に進むことが多いし、左右どちらかを選ぶとしたら右だし、
人と並んで歩く時は、自然と右側ポジションになってるから、
「左回りの法則」の真逆をいっている。
ただ、廻廊を右回りするということは、
最初の分かれ道(拝殿・本殿の正面)では「左」へ進んでいるわけだから、
一旦は左を選んでるって事になるのかな?
うーんよくわからん。
何で右を選ぶのか?を改めて考えてみると、
左右を比べた時に、なんとなく右のほうに何かがあるような気がするから。
無意識に、わくわくする方へ引っ張られていくかんじ。
なので直感的に「右 → 何かありそう → いってみよう」になってるのかもしれない。
さて、八幡造と廻廊を堪能した後は、
北西方面へ15分ほど歩きます。
松山神社(東照宮)
住宅街を抜けると、突如として現れる社頭。
石段を登っていきます。
あぁ、明るくていい神社だなあ。
陽の空気で満ちています。
はい。登り切りました。
見晴らしのいい景色を狛さんと一緒にしばし眺める。
遠くに見える山の上に、松山城が立ってたんですね。
写真の整理しててはじめて気づきました。
燦燦と光が降り注ぐ気持ちのいい境内なので、
ここにいるだけで充電完了ってかんじです。
神門
創建は1618年。
松山城主が湯築八幡宮境内に小祠を建てて家康公の神霊を祭祀したことに始まります。
その後、1765年に松山藩主が現在地へ奉遷して東照宮と称え、
城下の鬼門鎮護の神として崇敬されてきました。
至るところに葵の御紋が配されている
御祭神:菅原道真公、徳川家康公
相殿神:大巳貴神、少彦名命
1910年には天満神社を合祀し、「松山神社」と改称。
現在の権現造の社殿は1865年に造営されたものです。
側面も美しい・・・
こじんまりとした境内ですが、威風堂々とした佇まいの社殿が本当に素敵で、
見ている私の顔は緩みっぱなし。
三つ葉葵がまぶし過ぎます。
すっきりした気分で市街を見下ろしながら、再び来た道を戻ります。
道後温泉駅
現在9:45分頃。
ここから伊予鉄道で松山駅、JRで今治へと移動し、瀬戸内バスで大三島へ。
次の目的地へ着くのは約4時間後の、14時近くです笑
つづく。