うつ病や薬を手放して大きく変化が出てきたこと。若い頃より「物欲」が無くなった。
うつ病になって最初の頃、車を変え買えたり、パソコンを買ったり、CDを買ったり・・・。自分が欲しいと思うものを買い、100
万円以上使ってしまったこともありました。心は満たされますが、満たしきれないような感じ。そしてまた、「お金」に執着心が
出てきて、物を買う。繰り返し。人によって、「幸せ」「幸福」の価値観・考え方・感じ方が違うと思います。お金や地位や名誉
などで幸せや幸福感を感じる人もいると思います。人それぞれでいいのですが、私の場合、「お金」や「物質的な物」で、自分自
身の本当の「幸せ」や「幸福」はつかめない、感じることは出来ないと、病気によって思い知らされました。私にとって、「お金
では絶対に手に入らない物」と言えば「健康」です。こればかりは、例えば現金1000万円を渡して、「健康にしてください」と
言っても無理です。
お金の価値観・考え方などは、東京にいる時からだんだんど変化していきました。若い時の私は、お金中心で幸せや幸福感を得て
いた部分が多かったと思います。大企業に就職して、安定した職について、安定した収入があって・・・。だけど、「先のイメー
ジ」が全然できなくなり、病気になりました。病気になってからの期間は、精神障がい者であっても「障害年金」などは一切受給
無し。病気が良くなれば良くなるほど障害年金を受給できる確率は減っていきます。考えようによってはとっても良い事です。
「お金なんかいっぱい持っているとろくなことがない」
母がこんなことを言っていたのを思い出しました。病気の期間は、基本的に中学生なみのおこずかいの金額しか与えてもらえませ
んでした。これが、不幸でもなく惨めでもないと今になって思います。逆に言えば凄く良い事。もしかしたら、病気の期間中、も
っとお金を与えられていたら、病気を治すことにも凄く影響していたかもしれません。何故かというと、今の時代、「お金があれ
ばなんでも手に入る。お金が無ければ何も手に入らない」
環境を変えてからは、カイロの専門学校で講師の方が、お金の価値観・考え方についてお話しされていたのを聞かせて
頂きました。その他、「ひきこもり支援」のセミナーなどでも、お金の価値観を勉強しました。過去の自分と照らし合わせて
みたら、色々と考えさせられました。
なぜ「健康」について、執着心を持っているかというと、「欠陥人間」だったからです。
<身体的>上から
・頭・・・頭悪い
・目・・・子供の頃、テレビゲームをやりすぎて乱視・近視
・耳・・・子供の頃、外耳炎になり耳鼻科に通う。
・鼻・・・子供の頃、蓄膿症になり耳鼻科に通う。酷くなれば手術の可能性もあった。
・口・・・歯の神経が腐る。
・左腕・・・リストカット。切り裂いた。太ももも切り裂く予定だった。
・心臓・・・胸が苦しくなり、検査。検査入院を勧められ、カテーテル検査をする予定だった。
・胃・・・高校生の頃から10年以上、色々な胃薬を常に飲んでいた。
・腰・・・2回ほどヘルニアを患い、リハビリや末梢神経の薬を飲んで、神経ブロック注射。一時、手術も勧められた。
・足・・・小指が痛くなった。疲労骨折???
<精神的>
・うつ病
身体的にも精神的にも悪いところだらけでした。ですが、うつ病を手放し、精神的な薬を手放してからは、ウソのように身体的な
病気や悪症状は無くなりました。「体と心のバランス」が悪く、自分自身苦しかったです。30歳過ぎて、「体と心が入れ替わっ
た」これが私にとって、「幸せ」です。そして、「夢」でもありました。
抗うつ剤などで、「幸福感」は得られます。だけど、薬で得られるものにも限界があると思いますし、依存状態になったり
してしまうと感じられます。今の世の中はきっと幸せなのだと思います。物は豊富で便利な世の中。
「幸せすぎるから、幸せがどういうことかわからなくなってしまい、幸せの意味がわからなくなり、幸福感を感じられなくなる」
場合によっては、抗うつ薬や精神安定剤が「自殺願望」や「希死念慮」などを引き起こしてしまい、「自殺」や「死」の方向に
導いてしまうこともあると思います。私自身、薬を完全に手放すまでの間、少なからずの自殺願望があり、そこから完全に抜け出
すのに苦労しました。病歴も長いし、薬を飲んでいた時期も長かったので、おかしな「固定観念」や「癖」や「思考」に縛られて
いたのだと思います。悪いものを知らず知らずに積み重ねていた結果だと思います。
私にとって「至福」というのは、今住んでいる土地に来ていた時に感じていました。その1日だけは、苦しい現実から解放されて
自然と涙が出てしまうほどでした。それだけ、何かに苦しめられていることさえも気づくことなく、病気と共に生きていたのだと
思います。「この土地での生活が現実になればどれだけいいものか」いつもいつもそんなことを1人で考えていました。
ちょっとしたことが「至福の時」で、その感じたことが夢や希望になっていくのかもしれません。
病気を治すも、薬を手放すのも、今の土地で生活するのも、自分自身を変えていくのもの、夢や希望を叶えるのも、結局は
「自分次第」なのかもしれません。自分が今の道を選んでいなければ、病気のまま、薬を手放さない、今の土地には住んでいない
、自分自身は変わっていない、夢や希望は諦める。こんな道が自分の中でどうしても納得がいかなくて、生きている意味さえ
見失っていたと思います。
忘れたいことばかりなら、忘れたいことは忘れ、忘れられない程の「良い思い出」を作り、良いものを積み重ねて行けば
「死んでいる場合ではない」というような心の変化が表れてきて、病気もすっ飛んで、薬も必要なくなるように思います。
「お金では絶対に手に入らない物」
私は環境を変えてから、それを探し続けてきたし、探し続けているのだと思います。
それが見つかることで、自分自身に物凄くプラスになっていると思います。
これが、東京では出来なかった事でもあるし、自分の中で物凄くかけていた部分だったのだと思います。
安易に「死」を選んだり、「自殺」など、何か大きな間違えのような、だんだんとそんなふうに感じてきます。
「雰囲気」や「何か」が、「自殺」や「死」に追い込んでいる部分も大きいと私は思います。
福山雅治「心color」