Life~ ここから始まる未来へ  ~新たな夢に向かって~

日々の生活で感じたことや思ったこと気づいたことを書いていきたいと思います☆

重み・重さ・重圧

2015-07-29 08:31:47 | 

私がうつ病を10年以上患っていた時に、強く感じていたのは、重み・重さ・重圧。「常に肩の辺りが重い」「心が重い」「環境による重圧」

などです。今から15年前位、発病したころは、「社会的認知」「病気への理解」「メンタル対策」があまりありませんでした。そういう環境

の中で病気と向き合うのは、かなり辛いものがありました。20歳前後で「病気になったのだから仕方ない、しょうがない。夢も希望も諦めて

それなりの人生で」そんなふうな感覚にとらわれていました。20歳前後というと、「人生これから。遊びや仕事や趣味、夢や希望」本当は

色々な可能性や楽しい事や辛い事が待っていて、成長出来る成長していけるのだと思います。私の場合、20~30歳前半は、うつ病と向き

合うことにすべてをかけたので、なんとか完治しましたが。病気・家族関係・親戚関係・地域環境など、避けたくても避けられない辛い事の

ほうが多かったように思います。その中でも、ポツンポツンと良い思い出もあります。精神科や薬は優しいと思います。ただ、薬物療法で

うつ病がすっきり治ったという人の話を聞いたことのほうが物凄く少ないのです。

 

 

 

 

 

発病して、2年後位に都内(渋谷区)に、NPO法人でやっていた、うつ病患者が集まって話をする会みたいなものに、少しの間参加させて

頂いていたことがありました。男女・年齢・職種・支えている方・病気の方関係なく。うつ病病院に通院していて、薬を飲んでいても20年

経っても良くならない人もいました。当時、同じうつ病患者として物凄い現実を見ました。「うつ病だからと言って、何を発してもいい。何

をしてもいい。そういうことではないと思います」こんなことを言っていた、真面目なうつ病患者さんもいました。これを聞いた私は、素直

に同感しました。同じうつ病患者さんに、カウンセラーを紹介して頂いたこともありました。その方も定期的にカウンセリングを受けていた

かたでした。場所が戸越銀座(品川区)だったので、行きたかったのですが実家から定期的に通うのはうつ病が酷い時期には辛すぎるという

ことで、中野区にあるカウンセリングセンターを紹介して頂いたのですが・・・。やはりきびしい・・・。とりあえず断念。その後、カウン

セリングではないけれど、そういうようなものに出会い、江戸川区まで少しの期間定期的に通っていました。品川区や中野区より遠いし、

東京の端っこから、端っこ。なんでそんなにパワーが溢れてきたのかは謎。「これだ!!」と自分の中で思ったからだと思います。

今では江戸川区は、すぐお隣ですが。随分遠回りしてここまで来たなと思います。

 

 

 

 

 

 

うつ病や自殺などの講演会に参加させて頂いて、自分なりに勉強させてもらいましたが、病院と薬を手放して3か月後位に実家に里帰りして

地元で元主治医の講演会に参加させて頂いた時、資料に自分の知らない新しい抗うつ薬や新型うつ病などが書いてあり、それを目にした時、

自分が「従来型のうつ病・定型うつ」なのに対して、「新型うつ病」って・・・。何か自分が「旧型うつ病」と言われているような感覚に

なり、「どうせ、時代にも流行にもついていけてない古い人間ですよぉ~」と、何か変な勘違いをして、すねました(笑)母も参加したいと

言ったので、連れて行きましたが、行く直前で「やっぱりめんどくさいから行きたくない」とか、講演会が終わった後に、元主治医に真面目

に挨拶してたのに、会場出て数分後には「あんな人だったけ?忘れちゃった」と言ってました。どういう思考回路しているのだかとびっくり

しましたが、「自分の精神科lifeとうつ病lifeは完全に終了した」そんなふうに思いました(笑)

医者が基準を決めて、「新型うつ病」や「未熟型うつ病」など、これからも容赦なく進化しないほうがいいものが進化していくだろうなと

思いましたし、抗うつ薬も「三環系抗うつ薬」→「四環系抗うつ薬」→「SNRI・SSRI」→「NaSSA」(なっさ)と進化。これじゃあキリ

がなくて、どんどん病気が増えていく。凄い時代になったものだと。何を求めて、何をしようと思っているのだろう?薬って色々あってよく

わかりませんが、病気になった当時は何故か「統合失調症」の治療に使う薬を飲んでいた時期もありましたが。半年後にセカンドオピニオン

と同時に、抗うつ薬(SSRI・ルボックス)以外の精神安定剤・睡眠薬は全部変わりましたが。抗うつ薬だけは一途に変えることはなく。

病院選びも物凄く重要だし、そこで何かおかしくなってしまう場合もあるのかもしれません。最初に通院していた精神科は自分で見つけて

通院していたのですが、母の姉が元看護師(医療関係者)で、その関係でセカンドオピニオンの時、教えて頂いた病院へ入院・通院する運び

になりました。インターネットとかではなく、口コミというものでした。その当時、私はパソコンを持っていませんでしたし、全然パソコン

が出来ない人間でした。

 

 

 

 

 

 

 

意地と執念とくぅちゃんでここまで生きてきたようなものだと思います(笑)最近、「体と心」が凄く軽くなったように感じます。

自分の体が、そのうち床を突き抜けて下に落ちてしまうのではないかと思うくらい(笑)私は、環境を変えてから、「下」に何かを求める

傾向があるみたいです(笑)「上」も求めますが・・・。

薬漬けの人生だったのに、手放してよくここまで回復出来たものだと不思議に思います。自分の足とか触って、「気持ちいいくぅ~~~」

とか出来るようにまでになりました(笑)「神様は、人に試練や課題を与えてくるけれど、意地悪ではない」

環境を変えてからは、お金とか物質的なものではなく「精神的な豊かさ」を、物凄く学んだような気がします。

色々な重たいものを背負って生きてきたし、その中でも地味にチマチマと何か良いものを積み重ねてきたのだと思います。だから「今」に

至ったのだと思います。感謝・感謝・感謝です☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ROCKET DIVE」

 

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