午前は出勤し、午後は久喜の病院へ行く。
忙しさを理由に、しばらく心療内科から遠ざかっていた。
よくないと思いつつ、実際よくなかった。
主治医のいない曜日だったが、せめて年を越せるだけのクスリを処方してもらう。
年の瀬のせいか、病院は混んでいた。
診察の待ち時間にカポーティの小説、薬局では斉藤孝氏のノート本を読む。
ついで、書きためたメモの整理をする。
病院は待っているだけで疲労感を覚える。
薬局を出ると、ひどく体が重かった。
銀行へ寄り、コンビニで濃いめのコーヒーを買う。
カフェインで少し体力を回復。
その勢いで県立図書館へ足を延ばした。
病院と異なり、図書館に人はまばらだった。
パソコン優先席に座り、短編を書き進める。
「了」まで辿り着く。
11月いっぱいで、まとまった作品を書き終えたばかりだ。
なので、あまりカチッとしたものは書きたくない。
いまは、思いゆくまま書きたいものを書く。
そうしている内に、何かのタイミングでまとまったものを書き始めることが多い。
人生は何ごともタイミングだと思う。
振り返っても、しみじみそう感じる。
図書館を出て、ゆずと卵を買って帰宅。
冬至には1日早いが、ゆず湯にして子どもたちと一緒に入った。
夜が最も長いこの季節、太陽の光をたくさん浴びて育ったゆず湯に入ることで、
その滋養と活力を得ようとする昔からの年中行事である(諸説ある)。
家によっては、ゆずのみそ漬けやカボチャの煮物を食べる。
ほかに、屋根に水をまいたり、赤飯を焚く家もあったらしい。
そうすることで、痛風が治ったり融通(ゆうずう)が利くようになると言われた。
年末年始は、「年中行事」を最も感じる季節でもある。
ゆず湯からあがったあと、市町村史の民俗編を読み返す。
そういえば、ある地域で年中行事を調査しようとしていて、年明けにその会議に出席することになっている。
それをふと思い出し、パタンと本を閉じた。
民俗学ついでに、宮本常一の本を読みたくなる季節でもあるかもしれない。
忙しさを理由に、しばらく心療内科から遠ざかっていた。
よくないと思いつつ、実際よくなかった。
主治医のいない曜日だったが、せめて年を越せるだけのクスリを処方してもらう。
年の瀬のせいか、病院は混んでいた。
診察の待ち時間にカポーティの小説、薬局では斉藤孝氏のノート本を読む。
ついで、書きためたメモの整理をする。
病院は待っているだけで疲労感を覚える。
薬局を出ると、ひどく体が重かった。
銀行へ寄り、コンビニで濃いめのコーヒーを買う。
カフェインで少し体力を回復。
その勢いで県立図書館へ足を延ばした。
病院と異なり、図書館に人はまばらだった。
パソコン優先席に座り、短編を書き進める。
「了」まで辿り着く。
11月いっぱいで、まとまった作品を書き終えたばかりだ。
なので、あまりカチッとしたものは書きたくない。
いまは、思いゆくまま書きたいものを書く。
そうしている内に、何かのタイミングでまとまったものを書き始めることが多い。
人生は何ごともタイミングだと思う。
振り返っても、しみじみそう感じる。
図書館を出て、ゆずと卵を買って帰宅。
冬至には1日早いが、ゆず湯にして子どもたちと一緒に入った。
夜が最も長いこの季節、太陽の光をたくさん浴びて育ったゆず湯に入ることで、
その滋養と活力を得ようとする昔からの年中行事である(諸説ある)。
家によっては、ゆずのみそ漬けやカボチャの煮物を食べる。
ほかに、屋根に水をまいたり、赤飯を焚く家もあったらしい。
そうすることで、痛風が治ったり融通(ゆうずう)が利くようになると言われた。
年末年始は、「年中行事」を最も感じる季節でもある。
ゆず湯からあがったあと、市町村史の民俗編を読み返す。
そういえば、ある地域で年中行事を調査しようとしていて、年明けにその会議に出席することになっている。
それをふと思い出し、パタンと本を閉じた。
民俗学ついでに、宮本常一の本を読みたくなる季節でもあるかもしれない。
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