クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

貸したカセットが帰らないのはファミコンあるある?

2020年03月01日 | 民俗の部屋
2019年の11月16日から12月8日にかけて、
秋葉原にて開催された「名前入りカセット展2019」。
名前の書かれたファミコンのカセット1000本以上が展示され、
そこに自分のものがあれば返却されたそうです。

もしかすると僕のカセットもあったかな、と
その記事を見てふと思いました。
僕らが小学生のときに全盛期を迎えていたファミコン。
「高橋名人」や「十六連射」が世間を席捲していたものです。

僕のところにファミコンがやってきたのは小学2年生のときでした。
祖母を亡くし、鍵っ子となったので両親が買い与えたのでしょう。
当時、羽生本町通りにあった「ジャスコ」で買い、
最初にやってきたカセットは「スーパーマリオ」だったのをよく覚えています。

以来、新しいカセットの到来は、父親がパチンコで勝ったときや、
ソロバンの進級試験で合格したとき、あるいは学校の成績が上がったときなどでした。
当時、自分の小遣いでは手が出る値段ではなかったので、
努力をしなければ新しいカセットはなかなか手に入らなかったわけです。
したがって、僕にとっては戦利品のようなもの。
手に入れた順番や自分の名前をカセットに書き、
マリオがプリントされた黄色いボックスに入れて保存していました。

そんな少年時代の思い出が詰まったカセットが手元から離れたのは、
1997年の2月のときです。
当時の僕らは18歳。
高校卒業が目前に迫ったある春の夕方でした。
その日、ファミコンのカセットを貸してほしいと突然知人から電話が入ります。

僕が承諾すると、家にやってきた知人2人。
遊ぶことは皆無でしたがよく知る顔です。
僕はもうファミコンをほとんどやっていなかったし、
そのとき別の人が家に遊びに来ていたので、
多くのカセットを彼らに貸しました。

それが僕の見たカセットの最後となっています。
貸して以来、彼らからの連絡はゼロ。
むろん、返却本数もゼロ。
噂に聞けば、僕のカセットを違う誰かに貸して、そのまま売り払ったのだとか。
確証はありませんが、
それが事実ならば耳を疑う話です。

新しくまた買えばいいという代物ではありません。
自分の文字で買った順番やタイトル、名前まで書いたカセットです。
博物館学的に言えば、自身の少年時代を物語る一次資料というべき性質のもの。
個人的なことですが、個人的だからこそ残念でなりません。

貸したカセットはいまどこにあるのか。
噂通りに転売されてしまったのか。
この類の話はよくあるものかもしれません。
「名前入りカセット展2019」に展示されたカセットにも、
きっとさまざまな経緯を経てそこに集まったのでしょう。

貸したカセットはもう20年以上も前なので、記憶は薄れかかっています。
とはいえ、春が来ると家にやってきた知人2人の顔が思い浮かぶことがあります。
感情は薄れても、事実ははっきりと刻まれているものです。

20年以上返却されないカセットについては、
自分の愚かさを含めたアフォリズムかネタとしてずっと胸の中にありました。
今後も引き出しに入っては、また取り出すという繰り返しなのかもしれません。

重複しますが、この手の話は「ファミコンあるある」だと思います。
だから、知人2人に対し怒り心頭なわけでもないし、恨んでいるわけでもありません。
思い出すと心がざらつくだけです。
したがって、この記事も恨み節ではないのであしからず。
学芸員的観点から「資料」をないがしろにされたことに心がざらつくのです。

「名前入りカセット展2019」で展示されたカセットには、
どんなエピソードが詰まっていたのでしょう。
それぞれのカセットに物語があるはずです。
その軌跡を辿れば、あの時代の世相や文化的側面を照射するかもしれません。

41歳になっても少年時代に夢中になったファミコンは好きなままです。
ファミコンを題材にした番組等はつい観てしまいます。
博物館や資料館等では、ときどき昔の暮らしや遊びをテーマにした展示を開催していますが、
その多くは昭和30年代にスポットを当てています。
でもやがては、80年代の文化史を語るものとしてファミコンが展示され、
体験コーナーが設けられる日はそう遠くはないでしょう。
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