クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

小説の“解説”を読むのは最初? それとも最後?

2011年11月12日 | クニ部屋の本棚
文庫本の最後には、作者の「あとがき」や「解説」がある。
中学生の頃、再読ができなかったぼくは、
解説文を書くのは大変な作業だろうなと思ったものだ。

むろん、いまでもその仕事の苦労は感じるが、
ときに「?」と首を傾げてしまうものがある。

例えば、小説の筋をつらつら書き綴っているものや、
筆者の読書体験を材料としているものに出会うと、
解説とは何ぞやと思ってしまう。

ときにひどいものになると、
ストーリーの結末を平気で明かしているものがある。
小説は筋のみを読むのではないとしても、
もし結末に触れるなら、最初に断り書きを入れてほしい。

純文学ならまだしも、ミステリーでは致命的だ。
「解説」を最初に読む人だっているのだ。

ぼくの考える「解説」は、
その作品の書かれた時代背景や、社会に与えた影響力。
また、歴史的意義や作家にとってどのような場所に位置する作品なのか、
膾炙されているものと、
解説者独自の切り口で綴るものと思っている。

あらすじを追うのは梗概。
己の読書体験を綴るのは読書感想文であって、
「解説」ではない。
少なくともぼくにとっては。

「解説」がひどいと、せっかく心に沁み入る小説を読んでも、
全てが台無しになる。
腹立たしく、苛立たしい。
編集者もよく載せたものだ。

まあ、これはぼくの捉え方であって、
あらすじを書き込むこそ、「解説」と考えている人もいるだろう。
人にはそれぞれの読み方や感じ方、捉え方があるものだ。

中には、小説作品を凌ぐ名作「解説」がある。
しかし、つい数日前も首を傾げてしまう「解説」に出会った。
やれやれと本を閉じ、
書棚の奥へ見えないようにしまった。

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