クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

舞木城の戦いは“太田資忠”も苦戦した? ―舞木城―

2013年04月21日 | 城・館の部屋
 次太田図書助依令進発、佐野越前入道館波等降参、将又攻寄上州佐貫庄立林
 舞木城之刻、図書助其外多数被疵并討死有之云々、旁以尤感悦
 (「江藤正澄氏旧蔵」)

 進日攻寄舞木城合戦之時、同名図書助其外数輩或被疵討死云々、尤神妙
 (「同上」)

舞木城は、群馬県千代田町舞木に比定される。
「舞木城跡」の案内板の建つ公園はある。
しかし、城の遺構を見ることはできない。
閑静な住宅街に囲まれ、
公園には「藤原秀郷公誕生之地」という碑が建っている。

上記の引用文は、文明3年に比定される足利義政感状だ。
享徳の乱のまっただ中、“太田図書助資忠”は各地を転戦。
館林を攻めたあと、向かったのは舞木城だった。

しかし、資忠はこの城で苦戦を強いられたらしい。
太田勢は疵を被り、戦死者も続出したという。
舞木城攻防戦の激しさの一方で、
この城がいかに堅固だったが窺える史料である。

とはいえ、前述のとおり、その堅固な構えをいまに見ることはできない。
碑の建つ公園は、かつての小学校跡でもあるという。
時代の流れとともに城の遺構は消滅し、
その記憶も薄れていったのだろう。
ここにも、失われた城の歴史が静かに眠っている。


太田資忠の墓碑(千葉県佐倉市)
最初の写真は舞木城址(群馬県千代田町)

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