クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

ガキは夢見て終わるが、大人は……?

2024年02月25日 | コトノハ
S君は90年代半ばに販売されたというブーツを履いていた。
ネットで購入したらしい。
「あの頃手が出せなかったものを買ったよ」と、S君は言った。

90年代半ばというと、僕らは16、7歳になる。
そのブーツがどのくらいの金額なのかは聞きそびれた。
当時僕はそば屋でバイトをしていたが、1万円を超えるものは「高値」だったし、
数万円ともなれば手を出すことはできなかった。

10代から20代にかけて、高値で買えなかったものはたくさんあった。
いまよりも物欲があり、好奇心もあった。
が、警戒心もあって、高値のものに手を出すのにはどうしても身構えた。
車の改造にお金をつぎ込む同世代は別格に見えたし、銀座のまわらない鮨屋の常連客は、「小僧の神様」(志賀直哉)のような住む世界が異なる人のようだった。

いま思えば、それは少年(小僧)と大人の違いだったかもしれない。
映画「HiGH&LOW THE WORST」に登場するバイト先の親方が、「ガキは夢見て終わるが、大人は夢を叶えることができる」というセリフがある。
だから早く大人になれよ、と親方は番長の肩を拳で叩く。
何となく、ハッとさせられるシーンである。

ところで、値が張る問題以前に、ノスタルジー要素が強いゆえに、あの頃気になっていたものを買うことがある。
例えば、角川文庫版の『信長公記』。
手に入れ損なった1996年版の『信長公記』を古書店で見付け、新版の同書を持っているのに、買い戻すようにレジに並んだことがある。

内容はほぼ同じ。
なのに、全く違うように感じるのはなぜだろう。
『信長公記』に限らず、過去に書店で見かけて買わなかった版があると、つい手が伸びてしまう。
ノスタルジー要素のせいなのか、何かを取り戻したいのかよくわからないが、立ち止まって一考することは確かである。

S君が買った90年代のブーツも、ノスタルジー要素が皆無というわけではないらしい。
あの頃心に引っかかったものを見かけると、やはり「ん?」となるという。
S君とよく行ったアメ横が懐かしい。
魚屋のマグロのブロックや山盛りシラスに目がいく僕とは違い、彼は全く別の世界を見ていたのだろう。
90年代のブーツを履き、偶然会った夜のスーパーで、S君は高校生のような笑みを浮かべていた。
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