クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“なまり”はそれほどか?

2024年04月18日 | はにゅう萌え
4月から地域の人たちと関わることがめっきり増えた。
予期せず、中学時代に学年主任だったS先生と約30年ぶりに再会。
意外なつながりを知る。
どこにどんな縁があるわからないものである。

おばあちゃん子だったせいもあるせいか、年輩者のなまりがわからないと感じたことはない。
高校時代、行田の同級生が「羽生のなまりはわからない」というようなことを言っていた。
行田も羽生も同じ北埼玉である。
そんな大差ないだろう思っていたが、加須の人からも「羽生はなまっている」と時々耳にする。

妻もわからないことがあるらしい。
地域によってなまりの強弱があり、聞き返すことがあるのだとか。

どうやら羽生はなまっているらしい。
むろん、個人差はあるだろうが、令和6年においても昔なつかしい言葉の響きが聞ける地域と言えるかもしれない。

「なんでなんで」
「そぉだでぇ」
「どうだんべ」
「どうだがな」
「たべやっせ」
「そうなん」
「くるんかい」
「くんがな」
「そうですで」
「いいどぉ」
「ぼっこれる」
「ぼっこす」
「かんなびる」
「なびる」
「そっちっぱた」
「しかたなかんべ」
「しなかんべ」
「おせぇべぇ」
「あいんじゃあ」
「いいころかげん」
「すんべぇ」
「たんなかんべ」
「はーねろー」

こう書いているだけで、妙にあたたかい気持ちになる。
亡くなった母方の祖父母に会っているような、遠い記憶を思い出すような……。

下手子林で集会所前の小さな空き地に駐車しようとしたとき、「そこはいこまねぇからだいじゅだよ」と言ってくれた年輩者がいた。
「そこは(車が)沈み込まないから大丈夫ですよ」という意味である。
あのおばあちゃんは元気だろうか。

羽生育ちの僕は、羽生がどのくらいなまっているのかわからない。
ということは、僕自身も案外なまっているのだろうか。
それは忌避すべきことではなく、勲章みたいに思える。

幼い頃、祖母はよく僕を自転車の後ろに乗せて近所を巡っていた。
知り合いに会うと、長い立ち話が始まった。
話の内容が僕にわかるはずもなかったが、祖母たちのなまりは子守歌のように聞こえていたのかもしれない。
コメント
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